布施英利『「進撃の巨人」と解剖学―その筋肉はいかに描かれたか』講談社ブルーバックス,2014 (アートのおすすめ本)

漫画『進撃の巨人』に登場する巨人たちの造形に魅せられた著者が、
美術解剖学の視点から巨人の世界に切り込んでいきます。
超大型から奇行種まで、あらゆる巨人の体について
筋肉、骨格という視点から考察を巡らせ、
生命としての巨人の成り立ちにまで踏み込んでいく過程では、
基礎知識としての美術解剖学についてもかなり詳しく説明されます。
読み終わる頃には巨人だけでなく人間の体の構造にも興味がわくことでしょう。

筋肉と骨で考察する、美術解剖学的『進撃の巨人』

解剖学をベースに観察・分析していく過程がこの本の大事なところで、
そのために原作から引かれた図版とその解説がふんだんに取り入れられていますが、
見逃してはいけないのが美術解剖学に関するパートです。
何故美術に解剖学が必要なのかといえば、
人体を描く時体内の筋肉や骨格を理解しているかどうかで
仕上がりが変わってしまう重大なポイントだから。
巨人の体の生々しさが実は人体の適切な描写と
デフォルメの組み合わせで成り立っていることを知ると、
改めて『進撃の巨人』の世界と物語の奥深さに気づくことになります。

第1巻から登場する超大型巨人の、足が太く腕はやや細い構造から
下から見上げると遠近感とあわせて一層巨大感が増すこと、
また筋肉に覆われて体脂肪率はほぼ無いと思われる女型の巨人が
筋肉の形を工夫することで丸みのある女性的なシルエットを実現していることなど、
人体への理解がなければ気が付かないポイントはたくさんあります。
ほぼ筋肉の描写だけでセクシーな意匠を作りだしている女型の巨人の造形は
“筋肉の描写はセクシーにすらなる!” と感嘆の声を上げてしまうほど
著者にとっても発見だったようです。



巨人とはあまり関係ないのですが、
解剖に関するエピソードも生々しく、読み飛ばしを許してくれません。
遺体の下腿(膝から下)を持ち上げて伸ばそうとしたら
最初は片手で持ちあがると思っていたのに、
両手で “どっこいしょという感じで” ようやく持ち上がった…
なんてエピソードからは、足の重さと筋肉の強さが実感をもって伝わってきます。
ちなみに膝を伸ばす大腿四頭筋は、体内の筋肉ではもっとも大きく、
足よりも細い腕、しかも片方で勝負するのは最初から無謀な話だったようです。

筋肉や骨の正式名称など、一見とっつきにくい漢字が大量に登場しますが、
具体的かつユーモラスな語り口のおかげで、分かり難くはありません。
背中を広く覆っている広背筋は逆三角形をしており、その上辺はちょうど
“風呂上がりの、バスタオルを巻いた、上縁のライン” といわれると
ついその辺りを意識してしまったり、
自分の体を触って筋肉や骨の位置と動きを確かめてみたくなったりします。
そして『進撃の巨人』から抜き出した図版で
巨人の体のパーツが人間で言うならどこにあたるかを分かりやすく解説されると、
巨人は間違いなく人間から変異したのだという理解がジワジワと効いてきて
背筋が寒くなる感触を味わえます。

著者は25歳ではじめて人体を解剖し、
それから10年ほど東京大学医学部の解剖学教室で研究生活を送ったそうです。
(指導教授は養老孟司)
この本でも美術解剖学の視点から巨人の体にターゲットを絞り、
ストーリーの分析や世界観には触れていません。
そのため、2014年11月にこの本が出版された後で判明した事実と照らし合わせると
間違っている部分もあり、逆に「鋭い!」と喝采したくなるような部分もあります。
(2014年の時点だと、原作では世界の真実が明かされる前です)

『進撃の巨人』は10年以上続いている長期連載ですから、
作品は知っているけど読んだことはない、という人もいると思います。
この本は既に漫画を読んだことがある読者を想定しているようですが、
興味はあるけど手に取る踏ん切りがつかない…という人にもおすすめできます。

  • 突然現れた人喰い巨人によって絶滅しかけた人類が
    現代で言うならスペインくらいの領土を城壁で囲って立て籠もり、
    以来100年ばかり細々と命脈を保っている

という基本的な設定を押さえておけば理解できますし、
この設定は本文でも紹介されているので
ヴィジュアルやデザインに興味があるけど『進撃の巨人』自体は未読、
という人も問題ないと思います。(多少のネタバレはありますけど)
リアルタイムで原作を追いかけている読者も、
巨人の体を見つめなおし、人間の体の巨人への変異を実感することで、
改めてその恐ろしさ、世界の残酷さを意識することになるでしょう。



美術解剖学というメスを使って巨人を解剖する試み。
目の前にある体を手掛かりに、造形を確認しながら
作品世界への考察にまでつなげていく過程を実践で示してくれるこの本は、
『進撃の巨人』鑑賞にとどまらず、
アートとしての人体を鑑賞する上でも、心強い手引書になるのではないでしょうか。