ヴィジェ=ルブランは、フランス王妃マリー・アントワネットお抱えの肖像画家として18世紀のヨーロッパで広く知られた女性で、漫画「ベルサイユのばら」にも登場しています。
日本でも東京富士美術館が作品2点と模写1点を所蔵しているのですが、本人はそれほど知られていないのが残念です。
ヴィジェ=ルブランとマリー・アントワネットの肖像画

写真の本の表紙はヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵する《薔薇を持つマリー・アントワネット王妃》(1783)。
この肖像画を描いたのが、ヴィジェ=ルブランことエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)です。
現代のわたしたちが思い浮かべる「王妃マリー・アントワネット」のイメージはヴィジェ=ルブランが作ったと言っても大袈裟ではありません。
革命前後のパリを舞台にした超・名作漫画『ベルサイユのばら』(池田理代子作 集英社,1972-1973)でも、マリー・アントワネットの衣装にはヴィジェ=ルブランの肖像画が参考にされたそうです。
(『ベルサイユのばらの真実』新潮社,2025)
肖像画家ヴィジェ=ルブラン
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランは1755年にパリで生まれました。
父親は画家ルイ・ヴィジェ。
1776年に画商のルブランと結婚してヴィジェ=ルブラン(Vigée Le Brun)となるのですが、ここではヴィジェ=ルブランで統一します。
ヴィジェ=ルブランは12歳で父親を亡くし、15歳のころにはもう肖像画家として家族を養っていました。
当時の常識だと「立派な芸術」である歴史画や宗教画は男性が描くもので、女性が画家を目指すなら肖像画か静物画になるしかありませんでした。
(主な理由は、女性が男性のヌードモデルを写生するのは好ましくないから、だそうです)
ヴィジェ=ルブランの場合はモデルの顔立ちや雰囲気を壊さずに適度な美化を加える(いわゆる「盛る」)のが得意だったので、元々肖像画家に向いていたのかもしれません。
腕の良い肖像画家だったヴィジェ=ルブランは、王妃マリー・アントワネットのお気に入りの画家として王妃をはじめ王族や貴族の肖像を多く描きますが、やがてフランス革命が没発します。
1789年10月、ヴィジェ=ルブランは9歳の娘ジュリーとジュリーの家庭教師を連れてパリを脱出しました。
イタリアをはじめ、オーストリア、ロシアなどに滞在し、肖像画家として活動。
各国のアカデミー会員にも推挙されています。
ヴィジェ=ルブランがパリに帰ることができたのは、およそ16年後の1805年7月のこと。
フランスではナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位して、第一帝政の時代を迎えていました。
偉大な画家として名声を築いていたヴィジェ=ルブランは歓迎されましたが、ヴィジェ=ルブラン自身は革命後のフランスに複雑な思いがあったようです。
ヴィジェ=ルブラン1842年に87歳で亡くなりました。
フランスに帰国してからも制作をつづけ、晩年には書簡体の自伝『回想録』を執筆しています。
その間にフランスは、ブルボン王朝が復活(1814年)、ナポレオンが一時的に復権するも短命に終わり(1815)、さらに7月革命で立憲君主制が成立(1830)…と、変化し続けました。
ヴィジェ=ルブランが死去した6年後に2月革命(1848年)が起きて第二協和政府が成立(1848年)し、王政は廃止。
ヴィジェ=ルブランが描いた人々とその時代は過去のものになりましたが、彼女の作品は現代まで華やかな時代の面影を伝えています。
ヴィジェ=ルブランの作品が見られる日本の美術館
現在、ヴィジェ=ルブランの作品は多くが欧米にありますが、日本の美術館にも所蔵されています。
東京富士美術館(東京都八王子市谷野町492-1)は、ヴィジェ=ルブランの作品を2点、ヴィジェ=ルブランの模写(姪で画家のウジェニーの作)を1点所蔵しています。
フランス王妃の画家として活躍した時代の作品、フランス革命から逃れてロシアに滞在した時代の作品、亡命生活を終えてフランスにもどった晩年の作品(の模写)と、ヴィジェ=ルブランの人生の異なる時期に描かれた作品です。
3つの作品が一堂に会することは難しいかもしれませんが、機会があれば並べて見てみたいものです。
ルイ16世の妹 エリザベート王女(1783?)

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《ルイ16世の妹 エリザベート王女》東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/03625/)
ヴィジェ=ルブランがフランスの宮廷画家画家として活躍していたころの作品。
エリザベート王女(1764-1794 通称マダム・エリザベート)はルイ16世の末の妹です。
生涯独身でしたが兄弟やその家族と仲が良く、兄嫁のマリー・アントワネットとも親密だったそうです。
革命の際はルイ16世一家と行動をともにし、マリー・アントワネット処刑の7か月後にギロチンにかけられました。
ヴィジェ=ルブランは『回想録』でエリザベート王女のことを「彼女は目鼻立ちは整っていませんが、その顔からたいそう愛情のこもった親切心がうかがわれます。」と語っています(『ヴィジェ・ルブラン:マリー=アントワネットの画家』三菱一号館美術館、2011)。
肖像画の王女はとても美しい人に見えますが…ヴィジェ=ルブランお得意の「美化」が効いているのでしょうか。
この作品は1782年に描かれた肖像画(現在所在不明)をもとに衣装や構図を変えて描かれたうちの1枚で、エリザベート王女はすみれ色のドレスを着て当時流行した花飾りのある麦わら帽子をかぶっています。
ドレスを着た胴体の部分は別の女性の肖像画から写したもので、顔と体を別の作品から写して新しい肖像画を作り上げる手法は一派的に行われていました。
ユスーポフ公爵夫人(1797)

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《ユスーポフ公爵夫人》東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/00532/)
この作品はヴィジェ=ルブランの亡命中にロシアで描かれた作品です。
ロシアは16年におよぶ亡命生活でもっとも長く滞在した土地でした。
ユスーポフ公爵夫人ことタチアナ・ヴァシリエーナ(1769-1841)はロシアでも屈指のお金持ちで、文豪プーシキンも出入りする文学サロンを主催していました。
最初の結婚で夫に先立たれ、1973年にユスーポフ公爵と再婚してユスーポフ公爵夫人になりましたが、この結婚はうまくいかず、作品が描かれた1797年には別れていたそうです。
ヴィジェ=ルブランは、モデルを古代の女神や巫女に見立てた肖像画が得意でした。
この作品でも、森の中の祭壇に腰掛けて花輪を編む夫人は、バラの花冠を被って白いシュミーズドレスに赤いショールを羽織る古代の巫女のような姿をしています。
他の作品でも小道具に使われているこのショールは、ルイ15世の愛人だったデュ・バリー伯爵夫人からヴィジェ=ルブランに贈られたものと思われます。
フランス王妃マリー=アントワネットの肖像(19世紀の模写)

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの作品による《フランス王妃マリー=アントワネットの肖像》東京富士美術館蔵 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/06181/)
ヴィジェ=ルブランの作品を模写したこの作品の作者は、ヴィジェ=ルブランの義理の姪で画家でもあったウジェニー(夫の姪)と考えられています。
ウジェニーともうひとりの姪カロリーヌ(ヴィジェ=ルブランの弟エティエンヌの娘)は、ともに晩年のヴィジェ=ルブランを支え、ヴィジェ=ルブランの『回想録』の執筆も手助けしました。
ヴィジェ=ルブランは2人の姪を遺産相続人に指名しています。
(ヴィジェ=ルブランの娘ジュリーは、1819年に39歳で亡くなりました)
ヴィジェ=ルブランは、マリー・アントワネットの没後にもかつての王妃の姿を描いています。
赤いドレスと同じ色の帽子をかぶり、バロックパールのネックレスとイヤリングをつけた王妃の半身像は、ヴィジェ=ルブランが晩年(1820年代)に制作し、生涯手元に置いた絵を写したもの。
ヴィジェ=ルブランによる元絵では、王妃はマントと黒真珠のネックレスをつけていたそうです。