国立西洋美術館のロダン《考える人》など…彫刻は本物?(松方コレクションのこぼれ話も)

上野公園の国立西洋美術館の前庭には、オーギュスト・ロダンの《考える人》を筆頭に6体のブロンズ像が展示されています。
うち5体がロダンで、《弓をひくヘラクレス》のみエミール=アントワーヌ・ブールデルの作品です。

ロダンといえば、19~20世紀初頭になっても頑固に古典主義を貫いていた彫刻の世界を、ほとんど一人で変革してのけた大スター。

そんな巨匠の作品が野外にポンと置かれているせいか「これは本物?…もしやレプリカ?」と疑われることも多いそうです。
(わたし自身「多分コピーなんだろうな」と思い込んで素通りした過去があります)

国立西洋美術館の前庭を飾るロダンは…「本物の没後鋳造」

《考える人》の鋳造はロダンの没後…?

《考える人》のキャプションを見ると、

オーギュスト・ロダン(1840年-1917年)

考える人(拡大作)
1881-82年(原型)、1902-03年(拡大)、1926年(鋳造)

と、作者名(作者の生没年)・作品名・制作年があります。
気になるのは「原型」「拡大」「鋳造」と、3つの年が書かれていること。

作者のロダンが亡くなったのは1917年、鋳造は1926年…
死後9年たってから鋳造された《考える人》はレプリカなの? と心配になりますが、そんなことはありません。
《考える人》は「ロダンの死後に鋳造された本物」です。

ちなみにほかの彫刻も、鋳造年が確認できるものはやはりロダン没後の鋳造になっていますが、これらも「死後に鋳造された本物」なのです。


《考える人》ができるまで ― ブロンズ像の鋳造と「オリジナル」の意味

ブロンズ像ができるまでには

  • 粘土などで元になる像を作る
  • 石膏などで型をとり、原型を作る
  • さらに原型から型をとって鋳型を作る
  • 溶かしたブロンズを流し込んで固める

といった段階があります。
もちろん一人の作家が全工程を手がけるわけではなく、最初の像をつくった後は専門の職人の仕事になります。

完成した像が「元の像を作った作者の作品」になるのは不思議な気もしますが、ブランドのデザイナーと職人の関係に置き換えるとわかりやすいかもしれません。

現在《考える人》と呼ばれている人物像は、もともと《地獄の門》を飾る群像の一部だったものです。
(《地獄の門》は同じく国立西洋美術館の前庭、JR駅よりの場所に設置されています)

《地獄の門》はロダンの生前に鋳造されることはありませんでしたが、《考える人》のように、一部が独立した作品として鋳造されることはありました。
前庭には出ていませんが、国立西洋美術館は原寸の《考える人》も所蔵しています。

国立西洋美術館にある《考える人(拡大作)》は

  • 1880-90年 《地獄の門》の原型が作られる
  • 1881-82年 《考える人》単独の原型が作られる
  • 1902-03年 《考える人(拡大作)》が作られる
    (拡大作の原型を作ったのはロダンの友人の職人アンリ・ルボッセ)
  • 1926年 拡大作の原型から鋳造される

という手順を踏んで作られたわけです。

ただしこのやり方だと、原型さえあれば際限なく「本物」が作れてしまいます。
簡単にコピーを作れるということは簡単に贋作ができるということでもあって、ロダンの「贋作」は彼の生前から大量に作られていたそうです。
中には本物の像から型をとったコピー商品を作る輩もいたとか…

コピーを繰り返すことで質が低下する問題もあります。
没後鋳造の場合、正しく出来ているのか判断を仰ごうにも肝心の作者がいません。

こういった事態を防ぐ手段として、作者歿後の「鋳造する権利」を特定の相手が所有・管理する方法があります。
現在、ロダンの作品を鋳造する権利はフランス政府が所有し、作品の原型はロダン美術館(1919年開館)が管理しています。

フランスの法律では、一つの原型から鋳造されたブロンズ像は
12体目までが「本物(オリジナル)」
13体目以降に鋳造されたものは「複製(レプリカ)」
と決められています。
国立西洋美術館の前庭で見られる彫刻は、フランス政府の許可を得て鋳造された12体の「オリジナル」の1体。
間違いなく「本物」です。

もっとも作者の生前に鋳造分は「12体」の対象外なので、同じ《考える人》はロダンの生前に作られた9体を含めて世界に21体あるそうです。


《考える人》の名付け親? ロダンの彫刻を支えた「鋳造職人」リュディエ

国立西洋美術館の《考える人》には “A. Rodin” の作者銘のほかに “Alexis Rudier / Fondeur Paris” と、像を鋳造した「アレクシス・リュディエ鋳造所」の銘があります。
この工房は1874年に初代のアレクシスが開き、息子のウジェーヌ・リュディエの代にロダンの作品を鋳造するようになったそうです。
(工房がロダンの作品を扱いはじめたのは1902年頃)

生前からロダンに協力し、多くの作品を手掛けた工房の仕事ですから、原作者のチェックが入らない没後鋳造といっても元のロダンにかなり忠実な作品…つまり優れた作品と考えて良いでしょう。
(国立西洋美術館が所蔵するロダンのブロンズ像は、殆どにリュディエの銘があります)

もとは「詩人(Le Poète)」と名付けられていた像を、ロダンの没後に「考える人(Le Penseur)」と改名したのもリュディエなんだとか。
(ロダンが生きていたらどう思ったんでしょうね?)

ブロンズ像を手掛ける鋳造職人のほかに大理石を原型通りに掘って大理石像を作る下彫り職人もいて、ロダンの工房では50人を超える下彫り職人を抱えていた時期もあったそうです。

同じく西洋美術館の前庭にある《弓をひくヘラクレス》の作者ブールデルも、大理石の下彫り職人としてロダンの工房に長く務めていました。


《考える人》が野外に展示されている理由

さて、貴重かつ優れた作品が外に置かれているのはなぜなのか…
これは「屋外展示を想定して作った作品だから」という理由に尽きます。

市の記念碑として作られた《カレーの市民》や、美術館の門扉になるはずだった《地獄の門》とその両脇を飾る予定だった《アダム》と《エヴァ》は言うまでもありません。

劣化しにくく壊れにくいブロンズは、もともと屋外で使われることが多い素材。
ロダンやブールデルでなくても、ブロンズ製の像や記念碑を野外で見かける機会は多いはずです。

それでも貴重な作品なら屋内で大切に保管するべきでは? という考えは国立西洋美術館の設立当初からあったようで、
「何かあったらどうする!?」という文部省(現・文部科学省)と「野外に置くべき作品だ!」という建築家・美術家の間で論争があり、最終的に美術館の敷地を柵で囲むことで合意したという経緯があるそうです。


松方コレクションとロダンの彫刻

国立西洋美術館の《地獄の門》(松方コレクション)を巡るちょっと残念な話


国立西洋美術館のもととなった松方コレクションを収集した松方幸次郎は、当時リュクサンブール美術館で後にロダン美術館の初代館長となるレオンス・ベネディットを通じ、オリジナルの像を新しく注文・鋳造してもらうやり方でロダン作品を購入しました。
(注文がロダンの死後だったから、松方コレクションのロダンは没後鋳造なのです)
前庭の彫刻のうち《考える人》《地獄の門》《アダム》《エヴァ》は松方コレクションです。

ただし、現在「松方コレクション」に入っているブロンズ像の一部は、松方の注文時に製造されたものではありません。
松方が購入した作品はさまざまな事情から長いことロダン美術館で保管されていたのですが「新しく鋳造して埋め合わせるなら転売しても良い」という条件になっていたため、もっと後に鋳造された作品に置き換えられた物もあるそうです。

実は《地獄の門》も後で置き換えられた作品のひとつです。
パリに新しくできる装飾美術館のために注文されたこの作品は、美術館の計画が中止になったことで設置予定場所を失い、ロダンの死後も石膏原型のまま置かれていました。
なお現在《地獄の門》の石膏原型を所蔵するオルセー美術館は装飾美術館の建設予定地だった場所に建っています。

松方の注文は《地獄の門》初のブロンズ鋳造だったのですが、その時鋳造された作品は転売されて、国立西洋美術館にある《地獄の門》は1930-33年に補填されたもの。
世界に現存する《地獄の門》の中では3番目の鋳造だそうです。
世界初を逃したと思うと、ちょっと残念な気持ちになりませんか?


国立西洋美術館の《カレーの市民》が松方コレクションではない理由


松方が注文した作品には《カレーの市民》も入っていたのですが、国立西洋美術館の《カレーの市民》は松方コレクションではなく、1959年に日本政府がフランス政府から購入したものです。
国立西洋美術館の所蔵作品検索

松方注文の《カレーの市民》は1919-21年頃に鋳造されています。
これが先の約束(新しく鋳造して補填するなら転売OK)にしたがって1926年に代わりの作品と置き換えられました。

こちらが帰ってきていたら《カレーの市民》も松方コレクションに入っていたかもしれませんが、1950年の返還交渉でフランスに残すことが決まり、
さらなる代わりとして1953年に鋳造されたのが現在の《カレーの市民》なんだそうです。
松方が聞いたらどう思うでしょう…


松方幸次郎のロダン収集

よりオリジナルに忠実な作品というなら鋳造時期が古いものの方が価値が高い気がしますが、松方は割とおおらかだったようです。

とは言え、日本の若い芸術家たちに「本物の西洋美術を見せたい」という思いで
一大コレクションを築いた松方には、手本にするための質が保証されるなら鋳造が古いかどうかは重要ではない、という考えがあったのかもしれません。

《地獄の門》や《考える人》のほかにも、あまりのリアルさに「生身の人間を型取りしたのでは」と疑われた《青銅時代》など、ロダンの代表作をひととおり押さえた買い方をしていた松方。
自分の好みより若者の勉強のために、というポリシーを感じる…ような気がします。

松方はロダンをかなり重要視していたようで、松方コレクションの彫刻部門はその大半をロダンが占めています。
(なんと50点以上!)
松方コレクションの多くは散逸・火災による消失などで失われ、国立西洋美術館に展示されているのはその一部だといいますから、元はどれだけの数があったのでしょうか…