倉敷にある大原美術館には、とても有名なゴッホの贋作《アルピーユの道》があります。
この作品、ヨーロッパでは1930年代頃には贋作と分かっていたのですが、その情報が日本に伝わってきたのはだいぶ後になってからだったそうです。
ゴッホの贋作《アルピーユの道》(大原美術館所蔵)とは?
《アルピーユの道》(伝フィンセント・ファン・ゴッホ)
1889年5月に南仏サン=レミの精神病院に入院したフィンセント・ファン・ゴッホ(1820-88)は、同年10月から野外での制作に励んでいます。
《アルピーユの道》(伝フィンセント・ファン・ゴッホ)は、サン=レミから見えるアルピーユ山脈とそれに続く道を描いた風景画。
デコボコ道の脇にくすんだ緑色の糸杉が2本生え、背景にはアルピーユ山脈の稜線が連なり、左側の少し奥には赤い屋根の建物が見えます。
大原美術館が所蔵するこの作品はゴッホが描いたものではなく、ドイツの画商オットー・ヴァッカー(1898-1970)が弟に描かせた贋作です。
元になったと思われる絵はアメリカ(オハイオ州)のクリーヴランド美術館が所蔵していて、微妙なタッチや色使いはもちろん物の配置なども違っています。
(大原美術館の絵では2本の糸杉が道を挟むように立っているが、クリーヴランド美術館の絵は同じ側に並んでいるなど…図にするとこんな感じです)
1935年の12月に倉敷にやってきたこの作品は長らくゴッホの真作として展示されていましたが、1984年に贋作の可能性が高いとわかりました。
現在はキャプションに「伝フィンセント・ファン・ゴッホ」(ゴッホ作と伝わっています)と表記されています。
さて、この作品はどこからやってきたのでしょう?
贋作ゴッホ事件(オットー・ヴァッカーの贋作)
1927年、オットー・ヴァッカーが展覧会に出品した作品に贋作の疑いがかかりました。
調査の結果、ヴァッカーはゴッホの贋作を大量に売り捌いていたことが判明。
1932年に裁判が起こされ、ヴァッカーは有罪になりました。
大原美術館の《アルピーユの道》は、オットー・ヴァッカーによる贋作のひとつだったのです。
ちなみに「オットー・ヴァッカーの贋作」は歴史的価値が高く、世界有数のゴッホコレクションを誇るオランダのクレラー・ミュラー美術館にも所蔵されています。
《アルピーユの道》が贋作だと明らかになったのも、「オットー・ヴァッカーの贋作」を見にやってきた外国人研究者の会話が元だったんだとか。
ジャコブ=バート・ド・ラ・ファイユの鑑定書(?)
ヴァッカーの贋作には、当時の有名な研究者の書いた鑑定書が付いていました。
ゴッホの最初の作品総目録(カタログ・レゾネ)を編集した美術史家ジャコブ=バート・ド・ラ・ファイユ(1886-1959)もそのひとりです。
ラ・ファイユは贋作事件の際にヴァッカーの画廊由来の作品を贋作と認め、カタログの補遺を出版し、1939年には改訂版を出版しています。
ゴッホの贋作と大原美術館
大原美術館が《アルピーユの道》を購入した経緯
1935年にバーナード・リーチが大原美術館を訪れた際「素晴らしいコレクションだがゴッホがないのが残念だ」と語ったそうです。
これがきっかけで、大原美術館はオランダの画商から《アルピーユの道》を購入しました。
ラ・ファイユはヴァッカー事件で贋作と判断した作品の一部について「やはり真作だった」と評価を改めていて、《アルピーユの道》もそのひとつだったのです。
(現在ではヴァッカーの「ゴッホ」はすべて贋作とされています)
大原美術館の《アルピーユの道》のカンヴァスの裏には、ラ・ファイユによる「私が作った最初の目録に真作として載っている」という、なんだか歯切れの悪い鑑定書(?)が貼ってあるそうです。
ゴッホの贋作を見た棟方志功の感想
大原美術館と縁の深い芸術家・棟方志功は、《大原美術館を初めて観る》(制作年不詳)という作品の中で、1938年5月に大原美術館を訪れた感想を綴っています。
シヤバンヌにかんしんす
ゴッホを初めて
ホンモノで見ました
が
コレは弱いと思ひました
棟方は《アルピーユの道》が贋作だと知らなかったはずですが、何かが違うと感じたのか(好みではなかったのかも?)やや不満なゴッホ体験になったようです。
カタログで見たゴッホの《ひまわり》をきっかけに画家を目指した棟方ですから、初めて見る「ホンモノ」のゴッホを楽しみにしていたことでしょう。
実は偽物だった結果も含めて、なんだか気の毒な気がします。
贋作のゴッホと本物のゴッホ研究者
棟方志功には「弱い」と言われてしまった《アルピーユの道》ですが、この作品がきっかけでゴッホの研究者になった方もいらっしゃいます。
西洋美術史学者の圀府寺司さんは、大学時代に初めて訪れた大原美術館で《アルピーユの道》に感動しますが、その一か月後に海外の資料で贋作と知りました。
日本で《アルピーユの道》が贋作らしいとニュースになったのはその更に後で、圀府寺さんは「感動のやり場に困った」そうです。
この体験が圀府寺さんと美術との関わりにおいて、大きな意味を持つようになったんだとか。
このエピソードは圀府寺さんの著書『もっと知りたいゴッホ 生涯と作品』(東京美術、2007)で紹介されています。
本の冒頭では大原美術館の贋作とクリーヴランド美術館の真作、さらに現代の画家である福田美蘭さんが《アルピーユの道》を「もっとファン・ゴッホらしく」アレンジして描いた作品《ゴッホをもっとゴッホらしくするために》を並べています。
作品が素晴らしいから感動するのか、それとも巨匠の作品を見る体験に感動するのか。
作品を鑑賞する時、自分に問いかけてみると、意外な発見があるかもしれません。
(ちなみにわたしは、贋作のエピソードを聞いてから大原美術館に出かけて「これがあの有名な贋作!」と喜んだタイプです)
圀府寺さんと《アルピーユの道》のエピソードは、ウェブ上のインタビューでも語られています。
ほぼ日刊イトイ新聞 ゴッホの贋作を見て覚えた感動は本物か
ゴッホの贋作を見に大原美術館へ?
贋作《アルピーユの道》は、今でも大原美術館にあります。
贋作とわかった後に一度しまい込まれたこともありましたが、現在は貴重な「ゴッホの贋作」として、そして美術館の歴史を語る史料として扱われているようです。
圀府寺司さんは大原美術館の依頼を受けて、《アルピーユの道》を前に贋作について講演したこともあるんだとか。
展示されている所を見られたらラッキーかもしれません。
大原美術館
岡山県倉敷市中央1-1-15
JR倉敷駅から大原美術館へのアクセスは、こちらの記事で紹介しています。
大原美術館へのアクセス ー JR倉敷駅から徒歩の行き方
月曜休館 (祝日・振替休日は開館)
*冬季休館あり
*7月下旬〜8月は無休
3月〜11月 9時〜17時
12月〜2月 9時〜15時 (入館は閉館の30分前まで)
一般 2,000円
小学・中学・高校生(18歳未満) 500円
小学生未満 無料