日曜美術館「ホリ・ヒロシ 人形風姿火伝」(2021.7.18)

真っ白い面に金色に光る切れ長の目、
この世のものならぬ神秘的な人形を生み出すホリヒロシさんは、
人形と人形師がともに舞う舞台芸術「人形舞」の創設者でもあります。
奥様の堀舞位子さんを亡くして以来、新作を発表していなかったホリさんは、
コロナウィルスの蔓延を機に3年ぶりの新作《MAYA》に着手しました。
人形舞の世界をともに切り開いてきた舞位子さんの思い出についても語られています。

2021年7月18日の日曜美術館
「ホリ・ヒロシ 人形風姿火伝」

放送日時 7月18日(日) 午前9時~9時45分
放送局 NHK(Eテレ)

オリンピックのため、7月25日、8月1日は休止。
8月8日は夜のみ放送。
8月15日、22日はアンコール放送の予定。

人形師・ホリヒロシ。等身大の人形を一から作り、その人形と一緒に舞う「人形舞」を創設。この世とあの世をつなぐかのような舞台は、伝統と前衛のはざまにあると名高い。しかし3年前、人形舞を二人で作り上げてきた妻を失い、喪失感から新作を生み出せなくなった。コロナ禍の今年、愛する人を失った痛みと向き合わなければと新作へと踏み出す。若き日にホリから大きな影響を受けたという稲垣吾郎も出演。その魅力を熱く語る。(日曜美術館ホームページより)

出演
ホリ・ヒロシ (人形師、日本舞踊家、着物デザイナー)
稲垣吾郎 (俳優)
梅若紀彰 (観世流シテ方能楽師)
川崎悦子 (演出家、振付家)
浅野祥 (三味線プレイヤー)
帆之亟 (俳優)


ホリ・ヒロシさんのこと

人形舞のための人形は、身長およそ170cm、重さは20kg前後。
和紙を張り重ねた首(かしら)や体は空洞になっており、
そこに人形を動かす仕掛けが入ります。
人形を遣う伝統芸能の文楽は3人一組になって1体の人形を動かしますが、
人形舞では1人の人形遣いが1体の人形を操ります。
また、人形遣いが黒子に徹する場合と共演者として人形と一緒に踊る場合があり、
表現方法はかなり自由なようです。

人形舞の創設者であるホリヒロシさんは、
1958年に神奈川県横須賀市で生まれました。
テレビで「ひょっこりひょうたん島」(1964-1969)などの人形劇に親しむ一方で
日本舞踊の師範だった祖母に踊りを習っていた子どもの頃、
将来の夢は「人形劇団の団長」だったそうです。
現代の子どもがアニメーターや声優に憧れるのと同じ、とご本人は言いますが、
今ある職業から選ぶのではなく好きなものを合体させてしまうあたり、
当時からオリジナリティのある子どもだったようです。
人形師が人形と一体になって踊る人形舞は、
幼いホリさんの夢が形になったようにも見えますね。

独学で人形を作り続けていたホリさんは
20歳の時《楊貴妃》で創作人形公募展に入選。
翌年《福助猿》が日本創作人形協会で優秀賞を受賞しています。
同じ年に初の展覧会「明治の女たち」を開催し、
本格的に人形作家の道を歩み始めました。

奥さんとなる堀(旧姓早野)舞位子さんと出会ったのは23歳の時。
舞台演出家で日本文化に造詣の深い舞位子さんは
以来前例のない人形舞という舞台芸術を
「獣道を切り開くように」開拓する同志となりました。
舞位子さんが初めて創作した人形舞《聴花》(1982)は
1年のうち10日ほどで盛りを終えて散る桜の美しさと
その寂しさ・虚ろを籠めた作品。
安土桃山風の腰巻装束をまとう人形と桜の花の取り合わせは、
既に失われた華やかな時代とこれから失われる美しいものの儚さを感じさせます。


ホリ・ヒロシを語る 稲垣吾郎と梅若紀彰

稲垣吾郎さんは「月晶島奇譚」(1999)でホリさんと共演し、
人形の静かさに対して「ホリさん自体はすごく熱い」と感じました。
重たい人形を遣う姿は「ワイルド」でもあり、
そのギャップ、そして人形とホリさんが作り出すものの魅力に吸い込まれて
「あの時間というのは何だったんだろう」と、
夢を見ていたような気がするそうです。
役者である稲垣さんには、舞台を演じている時は常に
「僕という人形を、人形師である僕が操っている」という感覚があり、
「そんな時にホリさんのことを思い出しますね」とも語っています。

福島の震災で亡くなった人たちに捧げられた
「黄泉比良坂」(2012)で共演した能楽師の梅若紀彰さんは、
能楽とホリさんの世界には共通点が多いと感じています。
もともと能楽師の動きはロボットのように鋭角的なもので、
「人形的」であるために
人形と同じ舞台にいても違和感がないんだそうです。
ホリさんの人形や人形舞にも能の要素をとりいれた部分があって、
たとえば金箔を貼った人形の目は、能面の「泥眼」を意識したもの。
光の加減で輝く目は、表情を動かせない人形の「思い」を表現します。
こちらも、面の角度や仕草で
幾通りもの表情を見せる能面との共通点があるようですね。

舞台上の人間と人間が操る人形の差は、
わたしたちが思う以上に小さいのかもしれません。


舞位子さんの死と新作人形舞

40年近くホリさんのパートナーであった舞位子さんは、
今から3年前に亡くなりました。
それから新型コロナウィルスの蔓延により
舞台公演の中止が相次いだこともあって、
ホリさんは活動休止の状態だったそうです。

家内を丁度、亡くしてから3年たつんですけど
ちょっと深い喪失感みたいなのも実はあって
ここ2,3年、何かに突き動かされて作りたいって
実は思わなかったんですね

コロナという事もあって、活動も自粛して外へも出られぬって言うと
外からのエネルギーが入ってこないんですね
世界全体が悲しみで覆われているところなんですけど
それを自分から癒していく、
誰かから与えてもらおうというのではなく
自分から癒していこうという
それにはやっぱり、何かひとつ作ろう

死というものを乗り越えた、無限なる命みたいなもの
果てどない所に飛んでいけて、次元も超えて…

新作人形のイメージの元になったのは、
石川県金沢市の善妙寺(日蓮宗)に祀られている
摩耶夫人(釈迦の生母)の像でした。
金沢出身の文豪・泉鏡花も亡き母の面影を見たという極彩色の像は
人に母性や慈しまれている感覚を思い出させるのかもしれません。

舞位子さんとともに、日本の哀感や情感といったものを形にしてきたホリさんは、
摩耶夫人像の懐に招いてくれるような(または胎内回帰させるような)様子に
「そういう作品はひとつも作っていなかったな」と思ったそうです。
新しい人形は摩耶夫人がお釈迦様に、
そして舞位子さんがホリさんに注いだような慈しみ、
死を超えて存在する無限の生命を表すような作品を目指しました。

《MAYA》2021

着物デザイナーでもあるホリさんの人形といえば
人形にあわせて一からデザインされた
豪華な着物を着ているイメージがあったのですが、
新作の人形は仏教彫刻の天女のような半裸の姿でした。
豊かな乳房をもつ丸みのある体つきは
原始的な女性像である土偶に影響されたもの。
人々の苦しみや邪なものをすべて吸い取って天上に登っていく
孔雀(苦邪喰)をイメージしたそうです。

髪飾りは実際の仏像に使われていた天冠(享保時代のものだそうです)、
肩から腕・腰を覆う衣装の一部に
舞位子さんの形見のストールも使われている人形は、
《MAYA》(2021)として完成。
3年ぶりの新作人形舞は、2021年6月1日に仙台電力ホールで発表されました。

公演の後ホリさんは《MAYA》を燃やして散華を撒く
不思議な儀式を行っています。
皆の抱え込んだものを吸い取り、燃やすことで昇華して天に帰す、
そんなことが「この人形ならできる」と期待してのことでした。


綺麗・美しいに「何かもうひとつ」

5年ほど前の海外公演の映像の中で、
舞位子さんはこんな話をしています。

ツルツルツルツル行っちゃうところがあるんですよ
綺麗に綺麗に見せることで
それを止めることが私の作業だと思っていて
止めること、動かないこと、綺麗じゃなくてもいいから
何かを伝えられることの方を大事にして
もうずーっと、そのせめぎあいでやってきました

前例もお手本もない芸術を一から作りあげるうえで、
「気品のあることをやってほしい」と考えていた舞位子さんは、
「綺麗、美しい、だけじゃずっとは続かない」
「何かもうひとつ超えてほしい」「そうしたら凄くなる」とも言っていました。

その「何かもうひとつ」の答えなのでしょうか、
ホリさんは左半分が黒く焼け焦げた《MAYA》の首を持ち帰りました。
焼いて終わりではなく「次のあなたの道はこれですよ」と
バトンを渡された気がした、と言います。

鬱屈したところに「光が差したって感じですかね」と語るホリさんが進む道を、
片方だけになった《MAYA》の目は、優しく見守っているようにもみえました。