サグラダ・ファミリアの完成はいつ? 完成しない理由とは?

100年以上「未完の建築」だったスペインのサグラダ・ファミリア贖罪教会。
さまざまな理由があって着工当初から工事が遅れに遅れ、完成まで300年と言われたこともあります。
21世紀に入って予想工事期間は大幅に短縮されたのですが、新型コロナウイルスの影響でまたもや完成延期となってしまいました。

サグラダ・ファミリアが完成しない理由3つ

資金難による工事の中断

サグラダ・ファミリアは聖家族(イエス・キリスト、聖母マリア、養父ヨセフの3人)に捧げられた教会で、正式には「Temple Expiatori de la Sagrada Familia(聖家族贖罪教会)」といいます。
「贖罪」とはキリスト教徒が罪を贖うために犠牲を払うこと。
ここでは教会の建設資金のために献金することが贖罪にあたります。

サグラダファミリアの建設を最初に計画したのは、1866年に設立されたカトリック系民間団体「聖ヨセフ信心会」の代表ジュゼップ・マリア・ブカベーリャです。
ブカベーリャは宗教系の書籍をあつかう出版社と書店の経営者で、聖ヨセフ信心会はブカベーリャ発行の機関誌『サン・ホセ(聖ヨセフ)帰依の布教』を通して多くの会員を集めました。
信者たちの祈りの場となる聖堂(のちのサグラダ・ファミリア)の建設が計画された1870年代初頭には、スペイン内外に数十万人の会員がいたそうです。

建設にかかる費用は会員からの献金で賄われることになったのですが、聖ヨセフ信心会の会員の多くは貧しい人々だったために資金難は避けて通れない問題でした。
まず土地の確保がなかなかできず、工事の開始まで16年ほどかかっています。
工事は1882年3月19日にはじまりましたが、充分な資金を確保できずたびたび中断し、赤字経営が続きました。


ガウディによる計画変更

初代の主任建築家フランシスコ・デ・パウラ・ビリャールは無報酬の奉仕活動としてサグラダ・ファミリアの仕事を引き受けたのですが、建築方針の違いでブカベーリャと対立し、着工の翌年に辞任しました。
2代目建築家に着任したのが、サグラダ・ファミリアの設計者として知られるアントニ・ガウディ(1852-1926)です。

現在サグラダ・ファミリアが「ガウディの作品」として扱われるのは、初代ビリャ―ルの計画(当時流行のネオ・ゴシック様式)を改めて、独創的かつ壮大な聖堂をデザインし、実行したのがガウディだったからです。

ガウディがデザインしたのは、放物線形のアーチやイエスの生誕・栄光・受難を表す彫刻群で飾られた3つの正面(ファサード)、18の塔(それぞれイエス・聖母マリア・4人の福音書記者・12使徒に捧げられたもの)などを備えた大聖堂でした。
壮大かつ華麗な建築計画には、手間と時間そして資金が必要です。
もともと資金難だったサグラダ・ファミリアの完成はますます遠のいて、ガウディが生前に完成させたのは東側の「降誕のファサード」など、全体の4分の1以下でした。
それでも完成形の凄さを想像させる仕上がりは大きな話題になり、サグラダ・ファミリアの名前が世界的に知られるようになりました。

31歳で就任したガウディは73歳で亡くなるまで、人生の半分以上の時間をサグラダファミリアに捧げました。
1914年以降は他のすべての仕事から手を引いてサグラダ・ファミリアの建設に打ち込み、謝礼は受け取らず、資金難で計画が中止しそうになれば自ら援助を呼び掛けて回りました。
ガウディが予算的にも工期的にも厳しそうな聖堂を構想した理由は分かりませんが、これを一生の仕事と決意していたのは間違いなさそうです。


設計図が不明(スペイン内戦の影響)

元々の資金難に加えて、より時間と手間のかかる設計デザイン。
ガウディ本人が「神が聖堂の完成をお決めになる」つまり「いつ完成するか人間にはわからない」と言ったとされるサグラダ・ファミリア建設計画をさらに遅らせることになったのは、スペイン内戦(1936-1939)でした。

スペイン全土を巻き込んだ抗争によって、ガウディが遺した設計図や模型、さらにガウディの弟子たちが作った資料が焼失し、目指すべき完成形が分からなくなってしまったからです。
現場の職人たちが大まかなスケッチや模型の残骸などから計画を復元しなければ、サグラダ・ファミリアは完成することなく取り壊されていたかもしれません。

サグラダ・ファミリアの工事は明確な設計図がないまま、生前のガウディの言葉や断片的な資料をもとに、手探りで続けられることになりました。
後世に復元された完成予想図とガウディの考えていたものが本当に同じなのかは分からないため、サグラダ・ファミリアが本当に「ガウディの作品」なのか疑問視されることもあります。


サグラダ・ファミリアの完成が早まる ― 完成はいつ?

「300年を要する」から「2026年完成」へ

「完成までに300年を要する」と言われていたサグラダ・ファミリアですが、20世紀の終わりになると予想される工期は大幅に短縮されることになります。

1980年代の経済成長で観光客の数が増え、拝観料の収入が大幅に増加。
さらに21世紀になるとIT技術が発達して、完成予想図の解析やシミュレーションがより正確かつ速く行われるようになります。
3Dプリンターの導入で、模型の製作もスムーズになりました。
(技術が進んだ結果、計画時点では石組みだったのが鉄筋コンクリートになったことは賛否両論があるようです)

2013年には9代目主任建築家のジョルディ・ファウリがガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定と発表しました。
もとの300年に比べると、半分以下の工期に短縮されたのですが、これで「めでたしめでたし」とはなりませんでした。

再びの延期…それでも工事は進む

工期が大幅に短縮されたサグラダ・ファミリアですが、2020年初頭に新型コロナウイルスの世界的蔓延が発生。
工事現場は14カ月もの間閉鎖され、献金やチケット収入も大幅にダウンしてしまいます。
2026年の完成は絶望的となりました。

しかし、不安のはびこる世の中だからこそ聖堂の完成を、という考えのもと、建設委員会は使える予算のすべてを18の塔のうち2番目に高い「マリアの塔」に投入。
2021年12月8日、完成した塔の頂上に飾られた星(重さ5.5トン)に明かりがともされました。

マリアの塔は45年ぶりの新しい塔でしたが、2020年代は他にも重要な塔の完成が予定されています。
2023年には福音書家(新約聖書の「福音書」を著したマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4人)に捧げられた4つの塔がすべて揃います。

2026年はサグラダ・ファミリアの完成には至りませんでしたが、そのかわり中央にひときわ高くそびえる「イエスの塔」が完成する予定です。
172.5mの高さとなるイエスの塔は、ヨーロッパ全体でも最も高い宗教建築になるはずで、節目の年にふさわしい大イベントとなることでしょう。
イエスの塔の完成後、聖堂の正面入り口となる「栄光のファサード」と12使徒の塔4本が建設される予定です。

2023年6月から2023年3月にかけて開催の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(東京・滋賀・愛知に巡回)のポスターやチラシでは、完成したマリアの塔を正面に、建設途中のイエスの塔が確認できます。
(2022年12月の映像)

アントニ・ガウディと「ガウディとサグラダ・ファミリア展」については、2023年7月23日の日曜美術館でも紹介されました。
日曜美術館「永遠なるサグラダ・ファミリア 〜“神の建築家” アントニ・ガウディ〜」

2026年の完成はかないませんでしたが、サグラダ・ファミリアの完成は確実に近づいています。