日曜美術館「蔵出し!西洋絵画傑作15選(2)」光と闇を描く、個性派の競演(2020.07.12)

西洋絵画傑作選の第2回はいずれ劣らぬ個性派ぞろい。
ボス、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメール、ゴヤと、
西洋美術を語る上で外せないメンバーが揃っています。

2020年7 月12日の日曜美術館
「蔵出し!西洋絵画傑作15選(2)」

放送日時 7月12日(日) 午前9時~9時45分
再放送  7月19日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

人間が生み出した名画中の名画「蔵出し!西洋絵画傑作15選」。第2回は、ルネサンスのボスから19世紀のゴヤまでが登場。寓(ぐう)意に満ちた祭壇画は、今も謎だらけ!?人生をかけて描いた“光と闇の絵画革命”。一人一人が主人公。その一枚は今も市民の誇り!谷川俊太郎が言葉を失うあの名画。そしてスペイン宮廷画家が晩年に描いた「我が子を食らう」おぞましき一作。人間の光と闇が交錯する!(日曜美術館ホームページより)

出演
楳図かずお (漫画家)
西村由紀恵 (ピアニスト)
藤原 新也 (写真家)
ヤマザキマリ (漫画家)
北村 一輝 (俳優)
ヴィットリオ・ストラーロ (撮影監督)
ジャコモ・ベッラ (美術史家)
太田 治子 (作家)
谷川俊太郎 (詩人)
篠原ともえ (デザイナー・アーティスト)
絹谷 幸二 (画家)
大髙保二郎 (スペイン美術史家)
田村 隆一 (詩人)


西洋美術の傑作第2弾 15世紀から19世紀まで

西洋美術15選の第2弾は、《快楽の園》《聖マタイの召命》
《夜警》《牛乳を注ぐ女》《わが子を喰らうサトゥルヌス》でした。

ヒエロニムス・ボス《快楽の園》1503-1504頃?

新日曜美術館「幻想の誘惑~ヒエロニムス・ボスの異世界~」1997
新日曜美術館「ネーデルラント 人間を見つめた巨匠たち第1回~幻想の画家 ヒエロニムス・ボス~」2003
日曜美術館「私とボッス」1982 より

祭壇画として描かれたこの作品は三面鏡のように折り畳める構造になっています。
左右のパネルの外側には天地創造の地球がモノクロームで描かれ、
開くと色鮮やかな世界が出現します。

左側のパネルはエデンの園で、神がアダムとイブを引き合わせる様子を、
中央のパネルは裸の男女が架空の植物や動物と遊び戯れる情景を、
右側のパネルは地獄で拷問を受ける人々の様子を描いているようですが、
絵の解釈には諸説あって今でも結論は出ていないようです。

楳図かずおさんは特に中央のパネルに注目して、
1組のカップル(アダムとイブ)から増えたオタマジャクシに例えています。
1人1人が特に主張しているわけではない、衣装も取り払われた没個性的な人間たちは、
確かに魚や昆虫の群れに見えてきます。
そんな人間たちが奇妙な生物や巨大な果物と戯れる様子は異様にも見えますが、
藤原新也さんによれば、「必ずしも想像の世界ではない」ようです。
人間は何かしらの理由付けができてしまえばおかしなことも平気でしてしまうもので、
絵の中の情景も、生きている世界に既にある現実を
デフォルメしたものに過ぎないというのが藤原さんの推測です。

作者のボスは敬虔なキリスト教徒で、知識人でもありました。
あまりにも多くの人や物が描かれているために分かり難いのですが、
絵を構成するものたちはすべて何らかの意味を持って配置されているようです。
スタジオでは絵の一部を切り出したカードを用意して、
カードと同じ図を実物大のパネルから探すゲームをしていました。
フクロウ(異教の女神の象徴)や穴のあいた氷の上でスケートをする人はまだしも、
読書をする人魚のような生物(顔の部分に鴨のようなクチバシがある)は
何を意味しているのでしょう?

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《聖マタイの召命》1599-1600

「カラヴァッジョ 光と闇のエクスタシー」2016
日曜美術館「幻の光 救いの闇 カラヴァッジョ 世界初公開の傑作」2016 より

早くに両親を亡くし、ほぼ無一文でローマに出てきた青年カラヴァッジョを
人気画家に押し上げた出世作です。
サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の聖堂を飾る三部作のひとつで、
ほかに《聖マタイの殉教》《聖マタイの霊感》があり、
《聖マタイの召命》はほか2点と比べても傑作とされています。

それまでの宗教画が明るい光を隅々まで行きわたらせることで
神の恩恵を表現していたのに対して、
主人公であるマタイに強い光が降り注いでいる他は
「私に従ってきなさい」と告げるキリストさえも
闇の中にいるような光と影の使いかたは、非常に強い効果をもたらします。

漫画家のヤマザキマリさん、撮影監督のヴィットリオ・ストラーロさんは、
それぞれの視点から暗闇の強い(時には強すぎる)効果について語っています。
ストラ―ロさんによれば、カラヴァッジョは「最初の映画監督」」なんだとか。

光と影の劇的な効果に加えて、庶民を主役にしたことも
この作品が話題となった理由のひとつです。
もともとこの場面は、罪深い職業とされた徴税人が
キリストに招かれる様子を描くことで、
救いはあらゆる人に訪れることを示したものです。
さらに絵の中に登場する人々はカラヴァッジョの時代の服を着ており、
当時の人に開かれた救いの図だった、と考えることもできます。

レンブラント・ファン・レイン《夜警》1642

世界・わが心の旅「オランダ 拝啓レンブラント様」1999 より

17世紀のオランダでは海上貿易がもたらした富によって
市民が社会の主役となり、市民のための文化が発達しました。
複数の人々がお金を出し合って描いて貰う「集団肖像画」もこの中で生まれたものです。

この作品は地元の自警団を描いた集団肖像画ですが、
全員を平等に描くのではなく中央にいる2人の男性(隊長と副隊長でしょうか?)と
やや左側にいる少女に強い光が当たっているのが特徴です。
集団肖像画としては異色ですが、
まるで物語の一場面のようにドラマチックな雰囲気があります。
太田治子さんの言うように「レンブラントが描きたいように」自由に描いた結果、
見る側に感動を与えるような絵になったのかもしれません。
ただ、端っこの方にいる人からクレームが来なかったか心配になります。

当時のスポンサーの意向に沿っていたかはわからないものの
現在の地元では大変愛されており、
アムステルダムではレンブラントにちなんだ記念日やイースターに
《夜警》の衣装を身に付けた人たちがパレードをするそうです。
太田さんが見にいったパレードでは、
衣装はもちろん絵の右下にいる犬まで完全に再現されていました。
(わたしはこの映像で《夜警》に犬が描かれていることに気が付きました)

2023年9月10日の日曜美術館で《夜警》を高精細8K映像で鑑賞しています。
「“実物大” で迫る!レンブラント「夜警」」

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1657頃

日曜美術館「私とフェルメール」1980
日曜美術館「ようこそ フェルメール部屋へ」2018 より

谷川俊太郎さんはこの絵について
「本当に綺麗だなと思っているだけなんですね」と言っています。
言葉を尽くした感想が浮かんでこないほど《牛乳を注ぐ女》は綺麗なのです。

現存するフェルメールの作品はそのほとんどが同じ家の中で描かれたと言われており、
フェルメール自身も生涯のほとんどを1㎞四方の街で過ごしたそうです。
父親の死後は実家の稼業であった宿屋(酒場も兼業)の経営をしながら絵を描いた彼は、
日常のディティールを絵の中に描き込みました。

牛乳、ガラス、パンなどの質感をリアルに再現できたのは、
身の回りにあるものをよく観察したからでしょう。
篠原ともえさんは、いわゆる「インスタ映え」を意識しがちな現在の風潮と引き比べて
フェルメールは誇張のない「日常にある真実」を美しいものとして、
誇張なく描いたのではないかと言います。

目の前にある存在に注目し、その美しい一瞬を見つけ出すことができるからこそ、
フェルメールの絵は現在も人の心を捉えて離さないのでしょう。

フランシスコ・デ・ゴヤ《わが子を喰らうサトゥルヌス》1819-1823

日曜美術館「よみがえる暗黒の予告~ゴヤの『黒い絵』~」1998
日曜美術館「ゴヤ 戦争の惨禍」1995 より

ゴヤが1819年に購入したマドリード郊外の別荘(通称「賢者の家」)の壁に
4年がかりで描いた14点の連作壁画「黒い絵」のひとつです。
「自分の子どもに殺される」と予言されたサトゥルヌスが、
生れてきたわが子を次々と喰らったという神話に由来するこの作品は
食堂の奥の壁に描かれたそうですが、
正直にいうと食事中に見て嬉しい図ではないと思います。

絹谷幸二さんはこの絵について「人間はこんなにすごいこともするんだ」と
人間の一面をさし示したものだと言い、
大髙保二郎さんは後の世界で生きるわたしたちへの「絵画の遺言」だと言います。

この絵が描かれたのは、
スペイン独立戦争戦争(1808-1814 ナポレオンの支配に対して民衆が蜂起した戦争)
が終結した数年後のことでした。
ゴヤは半島戦争中の市民に対する虐殺を写実的に描いた
《マドリード 1808年5月3日》(1808)も残しています。
そして「黒い絵」のシリーズもまた、悲惨な時代を写した作品だったのです。

田村隆一さんはこの絵を、殺し合ったり苦しめ合ったりする人間に対して、
生の根源に立ち戻ることを説いていると語っています。

自宅に閉じこもって「黒い絵」を描き続けたゴヤは、
1824年に亡命するまでこれらの絵とともに過ごしていました。
彼がこの絵を見ながら何を考えていたのか、聞いてみたい気がします。