能の世界をテーマにした美人画を多く手がけた上村松園が
「私の作品の中でも力作」という《序の舞》に描かれているのは、
扇を手に仕舞を披露する良家の令嬢。
昭和初期の風俗の中に「幾分古典的で優美で端然とした心持ち」を表現した作品です。
シンプルな舞い姿は、同じ能を題材にした作品でも
謡曲の一場面をドラマチックに描いた《花がたみ》や《焔》に比べると
なんだかそっけないようにも見えるのですが、
この形は松園が長年試行錯誤した末に辿りついたもののようです。
上村松園《序の舞》1936(重要文化財・東京藝術大学所蔵)
額装 231.3×140.4cm 絹本着色
詳細なデータは「国指定文化財等データベース」でも見ることができます
松園によるもう一つの重要文化財《母子》については、こちらの記事をどうぞ。
「上村松園の重要文化財《母子》」
《序の舞》は昭和十一年度、文部省美術展覧会に出品しました。私の作品の中でも力作であります。
この絵は私の理想の女性の最高のものといっていい、自分でも気に入っている「女性の姿」であります。
この絵は現代上流家庭の令嬢風俗を描いた作品ですが、仕舞の中でも序の舞はごく静かで上品な気分のするものでありますから、そこをねらって優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いたつもりです。
(「作画について」『青眉抄』青空文庫に全文があります)
絵の中の女性は、扇を逆手に握った手をまっすぐに伸ばして
そこに翻った袖の袂がかかるポーズをとっています。
身につけている朱色の大振袖は
裾と袂に彩雲(虹色に染まった雲。吉兆のしるし)の模様があり、五つ紋。
そこに鳳凰紋の丸帯を占め、髪型は文金高島田…と、かなり改まった装いです。
ちなみに現在では花嫁さんのカツラとして定着している文金高島田ですが、
江戸時代には上流の武家のお姫様にしか許されなかった格の高い髪型でした。
タイトルにある「序の舞」とは
舞いはじめに序破急の「序」(緩やかで拍子に合わない)の部分がある舞のこと。
能で演じられる舞のうち、特にゆったりしたテンポの静かなもので、
主に高貴な女性や精霊が舞います。
《序の舞》の女性のように、
面・装束をつけずに紋服(紋のついた礼装用の和服)で
能の舞だけを演じることを「仕舞(しまい)」といいます。
絵の中の女性も発表会で稽古の成果を披露しているところかもしれません。
彩雲模柄の着物ですから、舞っているのは「羽衣」の天女の舞でしょうか。
江戸時代、裕福な庶民の間では
仕舞、能の謡(歌・語りの部分)や囃子に使う楽器などを
お稽古事として習うことが流行していました。
松園が暮らしていた上方では特に盛んだったそうです。
自分でも金剛流の師匠について謡曲を習っていた松園は、
こういった風景に親しんでいたことでしょう。
京都国立近代美術館が所蔵している《舞仕度》(1914)では、
舞台に上がる直前の女性を中心に仕舞の会の情景を描いています。
上村松園と《序の舞》― いつ頃の作品? モデルは誰?
《序の舞》は、1936年の文展(同年に「帝展」から「新文展」に改組)の
招待展に出展され、政府買い上げとなって東京藝術大学に収蔵されました。
制作時、作者の上村松園は61歳。画家として円熟の時期を迎えた頃です。
翌年の第一回新文展に出展した《草紙洗小町》(1937)、
さらに翌年の第二回新文展の《砧》(1938)も政府の買い上げになりました。
現在、《草紙洗小町》は《序の舞》と同じ東京藝大に、
《砧》は山種美術館(東京都渋谷区)に所蔵されています。
2000年(平成12年)の6月には、「序の舞 上村松園筆 絹本著色」の名前で、
国の重要文化財に指定されました。
《序の舞》のモデルについて
《序の舞》のモデルについて、松園は以下のように語っています。
この絵は私のあとつぎである松篁の妻のたね子や、謡の先生のお嬢さんや、女のお弟子さんたちをモデルに使いましたが、たね子を京都で一番上手な髪結いさんのところへやって一番上品な文金高島田に結わせ、着物も嫁入りのときの大振袖をきせ、丸帯もちゃんと結ばせて構図をとったのであります。
(「作画について」)(前略)そこで嫁を、京都で一番品のよい島田を結う人のところへやりまして、文金高島田を結ってもらいました。そして婚礼の時の振袖を着てもらい、いろいろな仕舞の形をさせ、スケッチいたしました。途中で、中年の令夫人にしようかとも思いましたので、早速嫁に丸髷を結ってもらい、渋い着物を着て、立ってもらったこともございました。私の謡の先生の娘さんがよく仕舞を舞われますので、いろいろな仕舞の形をしてもらって、それも、スケッチいたしました。
(「画筆に生きる五十年」『青眉抄その後』青空文庫)
松園の作品は決まった人物をそのまま描くというよりも、
複数いるモデルのパーツを組み合わせて
さらに美しい形に描くという方法を採っていたようです。
(それとも、絵を描く人は皆そうなんでしょうか?)
《序の舞》に関しては、メインでモデルを務めたのは
息子である上村松篁(1902-2001)の妻で間違いないようです。
松園にとっては義理の娘にあたるたね子(田中太祢)は
滋賀の出身で、京都の女学校を卒業した後、
須磨の旧家で行儀見習いをしていたところを
松園が「松篁の嫁に」と見染めた人だそうで、
よく「松園さんが(息子の嫁に)選んでくれはったんや」と自慢していたと、
松篁とたね子の長男である上村淳之(1933-)が語っています。
(「松園に選ばれた嫁」『唳禽抄』)
平成の《序の舞》修復事業とバンク・オブ・アメリカの文化財保護プロジェクト
発表当初から高い評価を受け、重要文化財にも指定された《序の舞》ですが、
制作から長い年月が経過したために
汚れ・紙の歪み・絵具の剥落などの劣化が進み、
2015年から2017年にかけて大規模な修復がおこなわれました。
この修復にはバンク・オブ・アメリカ(当時はバンクオブアメリカ・メリルリンチ)の
文化財保護プロジェクトが助成金を給付しています。
修復の内容は、クリーニング・裏打ち紙の交換・絵具の補強など。
また掛け軸の形だった表装を
展示・収納のとき絵に負担がかからないように、額装にあらためています。
(発表時には額装だったといいますから、元に戻したと言うべきかもしれません)
2010年にはじまったバンク・オブ・アメリカの文化財保護プロジェクトは、
歴史的・文化的に重要な芸術作品を保存・継承するための助成金を
バンク・オブ・アメリカが提供するプロジェクトです。
日本では《序の舞》のほかに、
伝陳容「五龍図巻」(重要文化財)(2012年度)
狩野永徳「檜図屏風」(国宝)(2012年度)
渡辺崋山「鷹見泉石像」を含むゆかりの作品3件(国宝)(2013年度)
紫地唐草文印金九条袈裟(重要文化財)(2018年度)
埴輪 挂甲の武人(国宝)(2019年度)
が対象となっています(2022年現在。すべて東京国立博物館所蔵)
《序の舞》制作の背景
何ものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志を、この絵に表現したかったのです。幾分古典的で優美で端然とした心持ちを、私は出し得たと思っています。(「作画について」)
と松園は語っているのですが、わたしなどは絵心がないせいか
《序の舞》の抑制のきいた構図は面白みがないように感じてしまいます。
藝大のコレクション展で実物を見た時も
「さすがに迫力があるなあ、きれいだなあ」と感心はしたものの、
好き嫌いで言うなら「嫌いではないけれど特別好きでもない」程度に思っていました。
(いっそ仕舞の心得でもあれば、ポーズの意味くらいは理解できたかも?)
なかなか良さが分かりにくい《序の舞》ですが、
日本美術史の上でも、上村松園の画業の上でも重要な位置を占める作品です。
明治期に入ってきた西洋美術に影響されたことで、
日本画壇も大きな変化の時期を迎えていました。
大正時代には、人物を巧みに・美しく描くだけではなくその内面に踏み込んで
怒り・悲しみ・苦悩などの生々しい感情や、ありのままの現実を描くべきだ
(そうでなければ芸術とは言えない)という考えが画壇の主流になって、
既に美人画の名手として知られていた松園も
「美しいばかりで個性・人格・精神性に欠ける」と批判されたこともあるそうです。
新しい芸術が求められる時代の中で、
松園も時代に即した新たな美人画を模索するようになりました。
ちょうどその頃、1914年に能楽師・金剛巌(初世。1886-1951)に入門したことは
これ以降の作品に大きな影響を与え、
松園は能楽をはじめとする舞台芸術を題材とした作品を次々と発表します。
恋慕のあまり物狂いとなる《花がたみ》(1915)や
嫉妬心から生霊と化す《焔》(1918)も、この時期に生まれた作品でした。
松園は《焔》で人間のおどろおどろしい内面を描くことに成功していますが、
その表現をさらに追求するよりも、
画壇の流行を離れて伝統的な日本画の美を見直す方向に舵を切ります。
古典をふまえた上に細密な写実表現を組み合わせた
松園独自の様式が確立したのがこの頃で、
《序の舞》は、松園様式の代表作と言えます。
《序の舞》は、いわば生涯をかけて画に精進した松園が
自分の絵を追い求めた先に辿りついたひとつの答えですから、
人生経験の足りていない自分に《序の舞》の良さが分からないのも
致し方ないことかもしれません。
制作時の松園の年齢を超えるまでには
《序の舞》を味わいつくすことができる自分になりたいものだと考えているのですが…
それにはまだ修業が必要なようです。