日曜美術館「ルーブル美術館(1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」/ アートシーン「高橋秀・藤田桜」

ルーブル美術館と所蔵作品で見る、芸術大国フランスの歴史・第1弾です。
フランスの国立美術館であるルーブル美術館には現在
古代メソポタミアから19世紀まで幅広い時代の美術品が収められていますが、
そのはじまりは16世紀の国王フランソワ1世によるイタリア・ルネサンス美術の蒐集です。
芸術家を保護したフランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに招聘し、
《モナ・リザ》などレオナルドが描いた作品の多くがフランスの所有になりました。
集められた作品を模倣し研究することから、フランスのルネサンスが始まります。

2020年5月17日の日曜美術館
「ルーブル美術館(1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」

放送日時 5月17日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月24日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ルーブル美術館には、人類のあらゆる美の記憶が刻まれている。それは16世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチから始まった。イタリア・ルネサンスに憧れた国王フランソワ1世が天才ダ・ヴィンチを招き、美の殿堂の礎を築く。「モナリザ」「岩窟の聖母」など、ダ・ヴインチの傑作が次々とルーブルに収集され、フランスは芸術大国の道を歩み始める。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど世界最高の美を圧巻のカメラワークで堪能してください(日曜美術館ホームページより)

出演
マチュー・デルディック (コンデ美術館学芸員)


ルーブル美術館とレオナルド・ダ・ヴィンチでたどるフランス史

第1回は、フランソワ1世によるレオナルド・ダ・ヴィンチの招聘から
フランス・ルネサンスの開化までをたどります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖アンナと聖母子》1503-1519

現在グランド・ギャラリーに展示されている《聖アンナと聖母子》は、
幼子のイエスと聖母マリア、マリアの母である聖アンナを描いた作品です。
レオナルドが得意としたスフマート(絵の具を塗り重ねて陰影をつける技法)が
存分に発揮され、イエスの姿は輪郭線がわからないほどです。

ジャン・クルーエ《フランソワ1世の肖像》1527-1530

レオナルドをフランスに呼び寄せたのが、時のフランス国王フランソワ1世です。
1515年に即位した国王は、2代前のシャルル8世が始めたイタリア戦争を引き継いで
ミラノ公国に攻め入り、多くの美術品をフランスに持ち帰ります。
レオナルドはミラノ公国を治めていたスフォルツァ家に仕えていましたが、
この戦争でスフォルツァ家が追放されたために職を失い、
1516年にフランスに移ってルネサンス文化を伝えることになりました。
この肖像画は写実的に描写された顔やイタリア風の豪華な衣装とその質感など、
ルネサンスの影響を感じさせます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》1483-1486

レオナルドが30代の頃に依頼された祭壇画でしたが、
聖なる存在が洞窟の暗がりに描かれていることが受け入れられなかったために
依頼人から受け取り拒否されたそうです。
描かれているのは聖母マリア、祈りをささげる幼い洗礼者ヨハネと
ヨハネを祝福する幼子のイエス、イエスに寄りそう天使。
レオナルドによる同じ構図の絵は
ロンドン・ナショナル・ギャラリーにも所蔵されています。

ミケランジェロ・ブオナローティ《抵抗する奴隷》《瀕死の奴隷》1513-1515

イタリア・ルネサンスの美術を蒐集したフランソワ1世は、
ルネサンス随一の彫刻家ミケランジェロの作品も手に入れています。
《抵抗する奴隷》と《瀕死の奴隷》は
ローマ教皇ユリウス2世(1443-1513)の霊廟のために制作されたものですが、
経済的な理由から計画が中断され、紆余曲折をへてフランソワ1世に献上されました。
苦しみの多い生に抗う姿と、苦痛から解放され死に身をゆだねる姿を表現した、
墓所にふさわしい作品です。
奴隷像はもともと6体あり、残る4体はフィレンツェのアカデミア美術館にあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-1519

現在ルーブル美術館の顔ともいえる《モナ・リザ》。
レオナルドの没後に弟子が相続し、それをフランソワ1世が買い上げました。
完成されたスフマートの表現や女性の正体、謎めいた表情が話題となるこの作品ですが、
背景にはレオナルドが探求した世界の成り立ちが表現されているんだそうです。

  • 隆起した大地は水に削られ切り立った絶壁となる
  • 水は川となって血液のように循環し地球を息づかせる
  • やがて人の住む土地が生まれる

という世界のはじまりの光景と、それを背に微笑む女性。
よく知っているはずの姿が、まったく違う壮大なものに見えてきます。

ピエール・ルドン《国王シャルル9世の兜と盾》1570頃

この兜と盾は金銀細工師のピエール・ルドンが制作したもので、
戦場や伝説の怪物を打ち出した鉄兜に金を張りつけ、琺瑯で色付けしています。
権力者が武具をコレクションするのはよくあることですが、
時代背景を考えると不穏な気配を感じてしまうかもしれません。
フランソワ1世の孫・シャルル9世の時代、
王家が信仰するカトリックとプロテスタントの宗教対立が激しくなり、
内乱(ユグノー戦争)が起きています。

1572年8月17日、カトリックとプロテスタントの和解を目的として、
プロテスタント側の指導者であるナバラ王アンリと
シャルル9世の妹であるマルグリットの結婚式が行われました。
そして1週間後の8月24日、サン・バルテルミの祝日に
カトリック強硬派が結婚を祝うために集まっていたプロテスタント貴族たちを殺害する
「サン・バルテルミの虐殺」が起きます。
襲撃の現場となったカリアティードの間は、
フランソワ1世がイタリアの建築を手本に改修した大広間でした。

この内乱は宮廷の制御をはなれてプロテスタントの市民にも被害を出し、
さらに地方にも飛び火して多数の犠牲者を出しています。
2年後にシャルル9世が死去し弟のアンリ3世が即位すると、
事態はアンリ3世・カトリック同盟のギーズ公アンリ・ナバラ王アンリが対立する
「三アンリの戦い」となりました。
生き残ったナバラ王アンリがアンリ4世として即位した(1589)後カトリックに改宗し(1593)、
さらにプロテスタントの信仰を認めるナントの勅令(1598)を出したことで、
宗教戦争は終息に向かいます。

現在のルーブル美術館最大の展示室であるグランド・ギャラリーは
このアンリ4世が作らせたもので、
ここを拠点としてフランス独自の美術が発展することになります。

作者不明《ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像》1594

裸体の女性が2人並んで浴槽に入り、片方がもう片方の乳首をつまんでいる。
その背後では若い女性が縫物をしているという、不思議な構図の絵です。
つままれている方はアンリ4世の愛人ガブリエル・デストレと考えられており、
この絵の意味については様々な憶測があるようですが、
肝心なのは、それまで神話や伝説の場面としてのみ描かれていたヌードが
実在の人物をモデルに制作されるようになったということです。

コンデ美術館所蔵《モナ・ヴァンナ》

実在する人物のヌードをフランスに広めたきっかけとして注目されているのが
コンデ美術館が所蔵する《モナ・ヴァンナ》通称「裸のモナ・リザ」です。
モナリザと同じポーズをとる木炭デッサンの裸婦像で、
近年の調査ではレオナルドの指導で弟子が描いたと考えられています。
レオナルドの死後、天才を模倣しようとした人々が競ってこの絵を模写するうちに
現実の裸体を描くスタイルがフランスに定着し、
フランスで新たなルネサンスがもたらされたというのですが、
それが本当ならルーブルどころかフランスにおける芸術は
「レオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」ことになるのではないでしょうか。


アートシーン 特別編アーティストのアトリエより―高橋秀・藤田桜

特別編は岡山県倉敷市に高橋秀さんと藤田桜さんご夫妻。
2019年7月、世田谷美術館の「高橋秀+藤田桜――素敵なふたり」で
展示された作品の制作風景でした。

アートシーンは特別編。「アーティストのアトリエより」と題してお届けする。2019年7月に放送した「日曜美術館」からアーティスト高橋秀さんと、絵本作家で布貼り絵作家の藤田桜さん夫婦の暮らしと制作の様子を撮影した。合計183歳の素敵なふたりが織り成すハーモニー。

画家を目指して上京した高橋さんと
雑誌編集者兼布貼り絵作家として働いていた藤田さんが結婚したのは、
1958年のことでした。
アルバイト生活をしていた高橋さんは、
「当分食わせてくれ」と手をついてお願いしたそうです。

高橋さんは1961年に《月の道》で
新人洋画家の登竜門と呼ばれる安井賞(第5回)を受賞しましたが、
「安井賞受賞者」という名前がついて回り、安井賞風の作品ばかり求められることに
「このまま素直に従っていると殺されるな」と思って
1963年にイタリア政府留学生としてローマに留学しました。
簡潔な線で心をざわつかせるような形をつくる「エロスの画家」高橋秀の作風は、
この時につくられたものです。
1993年にはローマ国立近代美術館で滞在30周年記念のの個展を開催。
これは日本人初の快挙でした。

一方藤田さんは、雑誌「よいこのくに」の創刊(1952)以来
40年近く表紙の制作を担当していました。
ローマ滞在中も「よいこのくに」の仕事をつづけながら
1971年に最初の絵本『ぴのっきお』を制作し、絵本作家としてデビューしています。

2004年に岡山県倉敷市に引っ越したお二人は、
高橋さんはガレージのようなアトリエで、藤田さんはリビングルームでと、
それぞれの場所を決めて制作活動をしています。
お互いの作業に口を出さない決まりになっているんだとか。

ベニヤ板に鉛筆で線を引き、電ノコで形を切り抜き、
キャンバスを貼ってアクリル絵の具を塗るダイナミックな高橋さんの作業と、
さまざまな布を切ってコラージュしていく藤田さんの作業は
方向性が違うようでいて
自分の手と感覚を重視する職人的なところが共通しているように思えます。
この時作られた高橋さんの《環》と藤田さんの《初夏のなかま》(どちらも2019)は
世田谷美術館の二人展(2019年7月)で発表されました。

2019年には4回の展覧会と講演会、ワークショップなどで大忙しだったお二人ですが、
今は次の作品の準備期間として構想を練っているそうです。