イサム・ノグチが「全ての僕のアートに対する興味の入り口」だという
山口一郎さんと、東京都美術館で開催中の「イサム・ノグチ 発見の道」へ。
会場を回りながら、山口さんの思うイサム・ノグチについてお聞きします。
2021年7月11日の日曜美術館
「わたしとイサム・ノグチ サカナクション 山口一郎」
放送日時 7月11日(日) 午前9時~9時45分
再放送 7月18日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
20世紀を代表する彫刻家、イサム・ノグチ。規則性と不規則性、人工と自然、相反する要素を拮抗させ、調和させ、唯一無二の彫刻世界を作り上げた。そんなノグチ作品に触れた事が、その後の人生、アートにハマる “初期衝動” だったと語るのが、サカナクションのボーカル・山口一郎さん。ノグチ彫刻に感じる “違和感” とは?そこにある、楽曲作りとの共通点とは?現代をけん引する山口一郎が、イサム・ノグチの魅力を語りつくす。(日曜美術館ホームページより)
ゲスト
サカナクション 山口一郎 (ミュージシャン)
中原淳行 (東京都美術館学芸員)
出演
安藤忠雄 (建築家)
和泉正敏 (石匠、イサム・ノグチ日本財団理事長)
ミュージシャン山口一郎と、彫刻家イサム・ノグチ
イサム・ノグチがどんな音楽を聴きながらデザインしてきたのか、
その時代にはどんな音楽があったのか、
ミュージシャンとして気になっていた山口一郎さんは、
「イサム・ノグチ 発見への道」のために
サウンドツアー「イサム・ノグチと音楽」を編集しました。
会場では音声ガイド形式で提供されます(800円)。
番組内ではその中から、拠点であるニューヨークで活躍した
デューク・エリントン(ジャズ・アーティスト)の「Sophisticated Lady}や
イサム・ノグチがアトリエで聞いていた
ラヴィ・シャンカル(シタール奏者)の曲「Prabhati」が紹介されました。
古今東西の楽曲を調査してゆかりのサウンドを選び出すほど
思い入れの深い山口さんがイサム・ノグチと初めて出会ったのは
ミュージシャンとしてデビューする前、20代のはじめ頃だったそうです。
《あかり》と「茶柱」
ひとり暮らしをすることになった山口さんは
曲を作る空間用の照明器具として「提灯」を選びました。
そこから辿りついたのがイサム・ノグチと岐阜の提灯メーカーが
1951年に商品化した、光の彫刻《あかり》です。
それがイサム・ノグチの作品だとは知らず、
慣れないひとり暮らしに「秘密基地」のような彩りをそえてくれる照明に
心を癒されていたそうです。
小野さんいわく「イサム・ノグチさんが知ったらめちゃ喜ぶんじゃないですか」
というエピソードでした。
サカナクションが2019年にリリースした「茶柱」のステージ演出にも
《あかり》が取り入れられ、ロックの世界に日本的な味付けを加えています。
「イサム・ノグチ 発見への道」の会場内には
球形の《あかり》を大小150個も吊り下げたインスタレーションがあり、
ほかにも縦長、角ばったもの、ヒョウタンのようなものなど、
さまざまな形の《あかり》が展示されていました。
《空間の道》の違和感、《フロアー・ロック(床石)》の作為と無作為
イサム・ノグチの彫刻作品の魅力として、山口さんは「違和感」を挙げ
本来なら反発しあう要素が融合し、逆に意外な魅力を生み出すことを
「ポテトチップにチョコレートがかかったお菓子」に例えています。
たとえば晩年の作品で、
縦長の岩をところどころ削り取ったようにも見える《空間の道》。
山口さんによれば
「緊張感がある部分」「優しい部分」「そのままの部分」が混ざり合っています。
イサム・ノグチの彫刻を知るまで、
頭の中にある意識や抽象など、形のないモノを伝える手段として、
絵やアートは文学(ことば)に及ばないと思っていた山口さん。
抽象性を視覚的に表すイサム・ノグチの彫刻は、
アートの形で「心の中にある者をより立体的に表現できるのでは?」と
考えを改めるきっかけになったそうです。
同じく晩年の《フロアー・ロック(床石)》は
岩が割れたような多面体が2つ並んでいる作品で、
ザラザラしたまま放っておいたような「無作為」的な面と
つるつるに加工された「作為」的な面が
すばらしいバランス感覚で組みあわせてあるところが「恰好いい」といいます。
放っておきすぎるとアートにならず、作り込みすぎてもやりすぎになってしまう、
そのバランスをとって思いもよらない感動を生み出すところが
音楽と共通しているんだとか。
イサム・ノグチの生い立ちなど
川原に転がっている石ころをそのまま大きくしたような《幼年時代》。
人によっては「いがぐり頭の少年がうつむいているように見える」という
この作品について、山口さんは可愛らしさとともに影を感じると言います。
小野さんが「彼自身の幼年期みたいな、心の影が差してるってことなんですかね?」
と解釈していますが、
イサム・ノグチの幼年期はたしかに複雑な物でした。
彫刻家イサム・ノグチ
イサム・ノグチ(1904-1988)は、
日本人の野口米次郎(詩人 1875-1947)と
アメリカ人のレオニー・ギルモア(作家、教師 1873-1933)の息子として
ロサンゼルスに生まれました。
1907年に母とともに来日しますが、その時父親の米次郎は日本人女性と結婚しており、
レオニーは1909年にイサムを連れて野口と別居することを選びます。
1918年に進学のため単身でアメリカへ帰国。
(母のレオニーと妹のエイルズは1920年まで日本で暮らしていました)
高校卒業後、彫刻の道を選んだイサム少年。
21歳でコンスタンティン・ブランクーシの抽象彫刻《空間の鳥》とであい、
鳥の形ではなく「飛翔」そのものを形にした彫刻に感銘を受けました。
「私の前に 新しい美術の世界が 急速に開けた」と語ったという彼は、
パリのブランクーシのアトリエを訪ね、
6か月ほどアシスタントを務めながら教えを受けています。
ニューヨークを拠点にヨーロッパとアメリカを行き来して
最先端のアートに触れたノグチは
46歳の時日本で見た龍安寺の石庭に深い感銘を受けました。
岩石がただ単に
そこに置かれているのではない
それらは地面から生え出ていて
その重量が大地と結びついていると感じる
ここには掃き清められた
清浄な宇宙が存在する
イサム・ノグチの「空間そのものを司る彫刻」の誕生には、
この体験も関わっているようです。
第2の拠点 香川県高松市牟礼町
1967年、良質な花崗岩の産地である牟礼に第2の拠点を構えたノグチは、
亡くなるまでのおよそ20年間、年の数か月をこの地で過ごしています。
1999年からイサム・ノグチ庭園美術館として公開されているアトリエには
《エナジー・ヴォイド》など晩年の作のほかに
作品の模型や未完成の作品などが並び、精力的な活動の跡をとどめています。
制作は地元の職人たちに支えられ、
中でもノグチの右腕ともいうべきパートナーとなったのが
「なぜ高松に来たかというと和泉さんがいるから」というほど信頼を寄せた
和泉正敏さんでした。
代表作のひとつである《黒い太陽》以降
ノグチの制作をサポートし続けた和泉さんは、
ノグチについてこう語っています。
ノグチ先生は、誰かが作ったものには興味がない。
新しいものに興味があります。
だから昨日と同じような仕事ができた時は、
夜食事しているときに機嫌が悪かったんですね。
何か新しいことを見つけるか、
自分が見たことのないものができると、
すごく喜んでいました。
ノグチは、常に新しい表現を追いかけていました。
石本来の要素を残しつつ自分の手を加えるイサム・ノグチの彫刻は、
牟礼で完成に至ったようです。
イサム・ノグチの彫刻と空間の融合
建築家の安藤忠雄さんは、自ら設計したGALLERIA[akka](ガレリアアッカ)で
1989年に開催されたイサム・ノグチの展覧会を回想し、
ノグチの彫刻を置くことで「一気に緊張感がはしります」と
彫刻が空間に及ぼす力について語っています。
ノグチは彫刻の制作はもちろん、
展示の仕方やその空間にも妥協しませんでした。
イサム・ノグチの死後に完成した北海道札幌市の「作品」
イサム・ノグチが札幌を訪れたのは最晩年の1988年3月。
札幌市にはノグチがデザインした作品が残っています。
《ブラック・スライド・マントラ》
札幌市の中心部を東西に横切る「大通」の一部を占める
大通公園内(西8丁目と西9丁目の中間)に、
イサム・ノグチの作品《ブラック・スライド・マントラ》があります。
これは1986年のヴェネツィア・ビエンナーレで発表した
らせん状の滑り台《スライド・マントラ》(白大理石製)を、
雪の中でも目立つ黒に変えて復刻したもの。
もとは西9丁目にあった滑り台(通称クジラ山)を撤去して置く予定でしたが、
視察に来たノグチは子どもたちと一緒にクジラ山で遊び、残すことを主張しました。
さらにノグチは、西8丁目と9丁目の間を横切る車道を潰して
《ブラック・スライド・マントラ》を設置することを提案。
2つの滑り台は現在も子どもたちに親しまれています
勝手な想像ですが、一度に大勢が遊べるクジラ山がなくなって
1人ずつしか遊べない《ブラック・スライド・マントラ》だけが残ったとしたら
遊ぶ側は味気ない思いをしたかもしれません。
《モエレ沼公園》
《ブラック・スライド・マントラ》と同時期に計画されていた
札幌市東区の「モエレ沼公園」は、
東京ドーム40個分の埋め立て地を利用したアートパークです。
「人間が傷つけた土地をアートで再生する、それは僕の仕事です」
と参加への意気込みを語ったノグチは、
地形そのものをダイナミックに作り上げ、
公園全体を一つの彫刻作品とするプランを提案しました。
標高62mの人工山「モエレ山」、
99の石段が連なるピラミッドのような「プレイマウンテン」などが
設置された公園は、空から見ると確かにひとつのアート作品のように見えます。
イサム・ノグチは1988年12月に急逝しましたが、その後も計画は進められました。
《ブラック・スライド・マントラ》は1992年に現在の位置に設置され、
《モエレ沼公園》は2005年にグランドオープンしています。
彫刻と空間 《ねじれた柱》の変化
香りや音楽が特定の気分を呼び起こすように、
彫刻もそこに置かれることで空間と混じりあい
新しい空気を生み出すと山口さんは言います。
この場合、置かれる場所によってはまったく別のものになるわけで、
同じ彫刻でも、山に置かれる場合と美術館に置かれる場合では
別の感じを与えることでしょう。
細長く切りだした石材に手を加えたような《ねじれた柱》は、
牟礼で見るのと美術館で見るのではまったく印象が違うそうです。
自然の石をそのまま残したような部分と
手を加えたことがはっきりわかる部分とがせめぎあう歪な表情は、
牟礼で野外に展示されているときは自然なものに見えますが、
美術館という空間に置かれたとたんに不自然で尖ったものに見えるんだとか。
東京都美術館の中原淳行さんによると、これに限らず
毎日見ていた牟礼のスタッフが「こんな見え方するんだ」と驚くほど
「化けた」作品もあったそうです。
石をただ削った素朴な彫刻に見えて、
実は場所を変えてよく見てみると思いもよらない複雑さをもっている。
そんな作品たちを生み出したイサム・ノグチについて、
山口さんは「たぐいまれなるセンスを持っていて、ズルい人だな」と語っていました。
「イサム・ノグチ 発見の道」東京都美術館
(日時指定予約推奨)
東京都台東区上野公園8-36
2021年4月24日(土)~8月29日(日)
9時30分~17時30分 ※入場は閉館の30分前まで
月曜休館
※ただし、5月3日、7月26日、8月2日、8月9日は開室
一般 1,900円
大学生・専門学校生 1,300円
65歳以上 1,100円
高校生以下 無料
※日時指定予約を推奨