日曜美術館「地球の脈動を塗る」(2023.5.21)― 挾土秀平の左官の技と新たな追求

左官の技術を使って平面彫刻か立体的な絵画を思わせる壁をつくる挾土秀平(はさど しゅうへい)さんは、芸術が「勉強しなきゃわからないっておかしくない?」と語ります。
何も知らない状態でも、言葉によらずただ惹きつけられる。
そんな境地を理想とする挾土さんは、壁の形をした新たな美を追求し続けています。
日曜美術館では、九州の天然硫黄を使った作品の材料集めから完成までを追いました。

2023年5月21日の日曜美術館
「地球の脈動を塗る」

放送日時 5月21日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月28日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

挾土秀平さんは、左官として伝統的な塗り壁からビルのコンクリートの壁まで、様々な現場を手がけながら、芸術作品のような壁を制作してきた。左官の枠を超えた創作への情熱。ある日、硫黄の写真を見て、その鮮やかな黄色に恋焦がれるようになった。火山のエネルギーに満ちた島に渡り、自らの手で、硫黄や溶岩を採取。荒ぶる自然と格闘しながら新たな創作に挑む、葛藤の日々に密着した。(日曜美術館ホームページより)

出演
挾土秀平 (職人社秀平組代表)
大岩根尚 (地質学者)
小林澄夫 (『左官教室』元編集長)


挾土秀平さんのこと

挾土秀平さん(1962-)の左官職人としてのキャリアは40年以上になります。
左官職人の2代目として岐阜県高山市に生まれ、熊本や名古屋で左官の修行を積み、1983年には技能五輪全国大会で優勝するほど腕を上げました。
修行を終えて岐阜に戻った挾土さんは父親の会社で働き始めますが、コンクリートを塗るだけの仕事に味気なさを感じていたそうです。
そんな時挾土さんは、とある雑誌のコラムと出会い「これしかない」という衝撃を受けました。

土壁との出会い

伝統的な左官の仕事は竹などを縄で格子状に組んだものに土を塗りつける土壁づくりです。
ところがこの方法は時間も手間もかかるためにコンクリートに取って代わられるようになり、特に戦後になって石膏ボードやビニールクロスの壁紙などの開発が進むと、土壁の技術はほとんど使われなくなってしまいました。

業界誌『左官教室』に掲載されていた土壁に関するコラムを読んだ挾土さんは、土の豊かな色やそれを使った土壁の世界に開眼。
山などに出かけて素材となる土を採取するようになりました。
当時の『左官教室』編集長でコラムの著者でもあった小林澄夫さんに、見つけた土を見せに行くこともあったそうです。

今でこそメーカーの規格品が主流ですが、元々の左官の仕事は自分で素材を集め、それをどのような粒子にして何を混ぜるかを決めるところから始まります。
(一つの壁を塗るにしても、内側に強く荒い素材、外側に細かく見た目の良い素材と重ねる必要があります)
一見奇抜に見える挾土さんの仕事は、実は昔ながらの左官の仕事を忠実に実践していると言えるでしょう。

職人社秀平組

挾土さんは2001年に「職人社秀平組」を設立し、職人を率いる親方として様々な壁を手がけています。
岐阜県高山市にある職人社秀平組の社屋には、土・砂・石灰・植物の繊維など、自然の素材を使った芸術作品のような壁のサンプルがならぶ展示スペースがありました。
最初は注文者に見せるために小さめの見本を並べていたのが、次第に大きくなって作品になったんだとか。

挾土さんの作品で最もよく知られているのは2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の題字とタイトルバックだと思いますが、知らないうちにホテルや空港の壁などで見かけている可能性もあります。
日曜美術館では岐阜県庁のエントランスホールを飾る《岐阜に舞う》(2022)、岐阜関ケ原古戦場記念館の《関ケ原の合戦》(2020)の岐阜県にある作品2点と、東京都千代田区のJPタワー(旧東京中央郵便局)のロビーに飾られた巨大な絵画《ウォーターフォール》(千住博、2012)を取り囲む土のフレームが紹介されました。
公式ホームページには他の作品の紹介もあり、ここから近くの作品を探してみるも楽しそうです。

職人社秀平組
企画フェノミナ
「職人社秀平組」の企画会社である「企画フェノミナ」は2016年に設立されました。


挾土修平の新作 硫黄の土壁

薩摩硫黄島の天然硫黄を採取

2023年1~2月に寺田倉庫のイベントスペースで開催された個展「土に降る」(会期終了)の合間を縫って、挾土さんは新しい作品にとりかかりました。
素材は以前写真を見て惚れ込んだ、薩摩硫黄島(鹿児島県)の天然硫黄。
黄色い硫黄が大地から湧き出しているような光景に、深い核の中から出てくる地球の膿、脈動そのものといったイメージを得たといいます。

地質学者の大岩根尚さんとむかったのは、硫黄が湧き出す山の中腹でした。
88度を超える温度の火山ガスが噴き出す場所は、本来は立ち入ることができない危険な場所。
(挾土さんと大岩根さんは役場に立ち入り許可をとっています)
ガス対策のマスクも必要です。

挾土さんはこの時、さまざまな硫黄を袋に詰めて持ち帰っています。
地表近くの不純物の混じった硫黄は白や灰色の混じった柔らかい石のよう。
硫黄の壁の裂けめの奥から採取した上質な硫黄は濃い黄色の結晶で、挾土さんも「膿なんて言ったけど宝石やもんな」と見とれるほどキラキラと輝いていました。


火山岩と硫黄の作品

硫黄島の硫黄使った作品は、まず麻の繊維を石膏で固めるところから始まりました。
水で練ると15分ほどで硬化してしまう石膏は、話している間にも湯気を出して固まっていきます。
挾土さんによると左官の仕事はすべて素材の都合に合わせて進めなければならず、一度始めたら考えている暇はないそうです。

制作を開始した時点での挾土さんは、大地の裂け目から硫黄が滲みだしてくるような作品を構想していたのですが、途中から路線変更になりました。
島で採取した溶岩を砕いたものを敷き詰めて黒い山の峰が連なる様子を、硫黄の粉末でそこから噴き出す火山ガスを表現します。
ガスは不純物を含む硫黄から黒っぽい不純物多めの部分と黄色い硫黄の部分でグラデーションを作りました。
(採取した鉱物に捨てる場所はない、と挾土さんは言います)

そして煙が漂う山を見降ろすように、配置されたのは、最も色鮮やかな硫黄の黄色をまとった鳳凰。
硫黄島で生まれた新しい着想から生まれた景色です。

挾土さんは自然の景色に「綺麗だな」と思っても、反射的に「どうやったらこれできる?」と考えると言います。
「そろそろあれやるかな」という作品は頭の中に一杯あるんだとか。
硫黄島の作品を作り終えて新しく生まれたアイデアは、まだたくさん残っている硫黄から一番きれいな所だけを吟味して「レモンイエローの無地で1枚やってみたい」そうです。