佐伯祐三《郵便配達夫》― パリで出会ったモデル

パリに憧れ、パリで没した画家・佐伯祐三(1898−1928)。
人生の最後に描いた作品のひとつである《郵便配達夫》のモデルは、病気が重くほとんど外に出られない中で、偶然出会った人でした。

佐伯祐三とパリへの憧れ

佐伯祐三(1898-1928)は、大阪の歴史あるお寺(房崎山光徳寺。1580年開山)に4男3女の次男として生まれました。
海外旅行どころか西洋の画家が描いた油絵を直接見る機会も滅多にないような時代です。
そんな中で佐伯が西洋美術の道を選んだきっかけには、5つ上の従兄で早稲田大学の学生だった浅見憲男の影響がありました。
佐伯は、美術や音楽を好んだ憲男が東京から持ち帰った文芸誌『白樺』から、セザンヌやゴッホを知ったと言います。

佐伯は1918年に東京美術学校西洋画科に入学しましたが、憲男はその翌年、大学卒業を前に肺結核で亡くなります。
また翌年の1920年に父親が亡くなり、同じ年に兄の婚約者が自殺。
さらに翌1921年には弟が20歳の若さで結核で死去と、この時期の佐伯一族には不幸が続きました。

もっとも佐伯にとっては1919年に妻となる池田米子と出会い、1920年の11月に挙式(結婚届の提出は1922年)し、東京の下落合(現在の新宿区中落合)にアトリエ付の家を新築するなど、めでたい事が続いた時期でもあります。
1922年の2月には一人娘の弥智子も生まれました。

佐伯は「弟危篤」の知らせを受けて大阪に帰省する直前、武者小路実篤の自宅で、初めてゴッホの《ひまわり》を見ています。
(この時見たのが神戸空襲で焼失した「芦屋のひまわり」です)
ヨーロッパに渡る計画を話したり、パリから一時帰国していた椎名其ニ(1887-1962)のもとに通ってフランス語を習い始めたのはその次の年で、ゴッホとの出会いがパリ行きを決心するきっかけになったようです。

以前の記事で紹介した朽木ゆり子さんの著作『ゴッホのひまわり―全点謎解きの旅』(集英社新書,2014)では、「芦屋のひまわり」についても詳しく語られています。


佐伯祐三の2度のパリ渡航

佐伯祐三は生涯で2度フランスに滞在し、パリやその郊外で生活しています。
フランス滞在は、合わせておよそ3年。
第2回の最後5ヶ月は結核が悪化してほとんど寝たきりになっていたといいますから、絵を描くことにあてられた時間は2年半程度でした。
フランス行には妻・米子と娘・弥智子も同行しており、弥智子は佐伯から感染した結核がもとで、父親の死の2週間後に6歳で亡くなっています。

1度目は1924年1月(出発は1923年11月)から1926年1月まで約2年。
絵を見てもらいに行ったモーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)から「アカデミック!」と叱られたのをきっかけにアカデミズムを離れ、自分のモチーフとしてパリの街の風景を見出した時期でした。
佐伯は1度目の渡仏中すでに結核を患っていて、1926年の一時帰国は兄の祐正に説得されたようです。
(祐正は欧米のセツルメント【貧困地域を支援する社会事業】施設を視察するために渡欧したところでした)
この時「日本へ留学するんです。すぐパリへもどってきます」と語っており、事実1年半ほどで2度目の渡仏を実現します。

2度目は1927年8月から1928年8月16日に結核で亡くなるまでの約1年。
この時の佐伯には生きて日本に帰れないという予感があり、その覚悟も決めていたようです。
病状が進んでも制作を止めることなく、絵筆をとれる間はむしろ描くペースを上げていったと言います。

佐伯は完全に病床につく少し前、郵便配達の老人とロシアの少女をモデルにした絵を描いています。
これら室内の人物画と、わずかな回復期に戸外で描かれた風景画《扉》《黄色いレストラン》が、実質的に遺作となりました。

佐伯祐三と言えば独特のタッチでパリの街を描いた風景画が有名で、生涯で描いた人物画の数はそれほど多くありません。
野外での制作に耐えられる状態であれば、最後の作品に人物画が入ることはなかったかも知れませんね。


佐伯祐三と《郵便配達夫》のモデル


《郵便配達夫》は2023年の大回顧展でもキーヴィジュアルに選ばれた、佐伯の代表作です。

佐伯祐三《郵便配達夫》(1928。大阪中之島美術館所蔵)

白い髭を豊かに生やした老人が金ボタンのついた黒い制服を着て木製の椅子に腰掛けている、佐伯には珍しい全身の人物像です。
右肘を右腿に乗せて体を支えるようなポーズですが弱々しさはなく、むしろ力強い印象を受けます。
画面の左上には壁に貼られたポスターの一部が見切れており「WAGNER(ワーグナー)」の文字が読み取れます。
(音楽会の告知でしょうか?)

《郵便配達夫》のモデルとの出会い

豊かな髭を蓄えた郵便配達の老人というモチーフは、ヴィンセント・ファン・ゴッホの《郵便配達夫ジョゼフ・ルーラン》(1888)を意識したものでした。
ゴッホは佐伯に大きな影響を与えた画家のひとりで、佐伯は1度目の渡仏した時にゴッホが描いた建物を自分でも繰り返し描いたほか、友人たちと一緒にゴッホとその弟テオの墓を訪ねたりしています。

《郵便配達夫》のモデルとの出会いは、まったくの偶然でした。
モデルとなった老人は本物の配達人で、佐伯家に手紙を届けにきた彼にインスピレーションを得た佐伯がモデルになって欲しいと頼んだそうです。
老人は次の休みの日にやってきて、佐伯はその日のうちに3つの作品を完成させました。
このうち全身像の《郵便配達夫》と顔をアップにした《郵便配達夫(半身)》は、現在大阪中之島美術館が所蔵しています。
もうひとつ、グワッシュの作品があったのですが、そちらは戦災で焼失しました。

実業家でコレクターの山本發次郎(1887-1951)が《郵便配達夫》を含む多くの佐伯作品を収集し、そのコレクションが大阪中之島美術館に落ち着くまでの経緯は、2022年2月27日の日曜美術館でも紹介されました。


「佐伯祐三 自画像としての風景」

佐伯祐三の生誕125周年を記念する一大回顧展。
東京では18年ぶり、大阪でも15年ぶりの開催になります。

公式ホームページ

東京展(東京ステーションギャラリー)

東京都千代田区丸の内1-9-1 JR東京駅 丸の内北口 改札前

2023年1月21日(土)~4月2日(日)

10時~18時 (金曜日は20時まで)
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館(3月27日は開館)

一般 1,400円
高校・大学生 1,200円
中学生以下 無料

大阪展(大阪中之島美術館)

大阪府大阪市北区中之島4-3-1

2023年4月15日(土)~6月25日(日)

10時~17時
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館(5月1日は開館)

一般 1,800円(1600円)
高校・大学生 1,500円(1300円)
小・中学生 500円(300円)
※( )内は前売り券・20名以上の団体料金