日曜美術館「大阪中之島美術館 ~蒐集もまた創作なり〜」 山本發次郎と佐伯祐三を中心に(2022.2.20)

2022年2月2日に開館した大阪中之島美術館を訪れた小野さんと柴田さん。
美術館建設のきっかけを作った山本發次郎コレクションを中心に、
個性豊かなコレクションを鑑賞しました。

2022年2月27日の日曜美術館
「大阪中之島美術館 ~蒐(しゅう)集もまた創作なり〜」

放送日時 2月27日(日) 午前9時~9時45分
再放送  3月6日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

今月2日、大阪に新たな美術館が誕生した。大阪中之島美術館、19世紀後半から現代まで数々の名作や近現代デザインなどを堪能することができる。誕生のきっかけは100年前のある大阪商人のコレクション。戦時中も美術品収集に情熱を傾け、関西に美術館を作りたいと願っていた。彼の夢は時代を超えて多くの人に受け継がれ美術館へと結実していく。知られざる100年の物語。(日曜美術館ホームページより)

出演
菅谷富夫 (大阪中之島美術館 館長)
西園寺幸夫 (山本發次郎の孫)
橋爪節也 (大阪大学総合学術博物館)
熊田司 (美術館建設準備室 研究主幹)


コレクター・山本發次郎のこと

山本發次郎(やまもと はつじろう、1887-1951)は、
岡山の地主の家に生まれました。
東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、紡績会社に勤務。
優秀さを見込まれて、大阪の船場でメリヤス業を営む
山本發次郎(初代)の婿養子となり、1920年に2代目山本發次郎を襲名します。
美術品の収集を始めたのは、事業にも余裕が出た40代のころ。
新築した自宅を飾る美術品を探したのがきっかけでした。

孫の西園寺幸夫さんによると、
發次郎はモダンなものや個性を発揮できるものを好んでいたそうです。
最初に集めたのは単純な線の中に作者の味わいが出る墨蹟(墨で書いた文字や禅画)。
日曜美術館では、白隠慧鶴の《大達磨》
仙厓義梵の《布袋画賛》(どちらも江戸時代)と、
確かに個性派の2作品が紹介されました。


山本發次郎と佐伯祐三コレクション

發次郎が、大阪生まれの画家・佐伯祐三(1898-1928)の
《煉瓦焼》(1928)に出会って「胸に動悸打つ異様な感じ」を覚え
作品の収集に乗り出したのは、1932~33年ごろのことでした。

東京美術学校西洋画科を卒業して1924年にフランスに渡った佐伯は、
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)から
作品を「アカデミズム」だと批判されたことをきっかけに、
独自の表現を追求するようになります。
大胆な構図や独特の色づかいといった絵画としての魅力はもちろんですが、
30年の生涯(画家として活動したのは5年あまり)で
自分らしさを突き詰めていった佐伯自身の生き方が、
發次郎に強く訴えかけたのではないかと
大阪大学総合学術博物館の橋爪節也教授は指摘します。

また大阪中之島美術館の菅谷富夫館長は、
佐伯の作品に見られる黒々とした線が
發次郎の好んだ墨蹟とつながるものがあったのではないかと考えています。
(佐伯は実際に墨を使うこともあったそうです)
日曜美術館では佐伯の線と共通点がありそうな墨蹟のコレクションとして
慈雲飲光の《不識(達磨画賛)》を取り上げました。

發次郎は《煉瓦焼》との出会いからおよそ5年で
《郵便配達夫》(1928)など佐伯の主だった作品およそ150点を集め、
1937年には東京府美術館(現在の東京都美術館)で
入場無料の「佐伯祐三遺作展覧会」を開催。
それと合わせてカラー刷りの『佐伯祐三画集』を自費出版しています。
家族から見ても「佐伯を世に出すために生まれてきた」使命を感じていたかのように
佐伯の作品に惚れ込んでいたという發次郎には、
所有する地所の良い場所を選んで美術館を建てる計画もあったそうです。

しかし戦争に突入する当時の情勢はそれを許さず、
太平洋戦争末期になると空襲のために美術品を保管することも難しくなります。
日曜美術館では、發次郎の蒐集を手伝っていた画家の山尾薫明(1903-1999)が
当時の切羽詰まった状況を語る映像が公開されました。

發次郎はコレクションの中にあった御宸筆(天皇の直筆の書)を守る名目で
輸送用のトラックを手配し、美術品の一部を岡山に疎開させるなど
手を尽くしましたが、全ての作品を守ることはできませんでした。
150点に達した佐伯祐三コレクションのうち、およそ3分の2(約100点)は
1946年の空襲で芦屋にあった山本邸とともに焼失しています。

美術館の計画が違った形で日の目を見るのは、
發次郎の死後30年以上後のことでした。


山本發次郎コレクションと大阪中之島美術館

1983年、佐伯祐三をはじめとする絵画・墨蹟・染織品・陶磁器など
574点におよぶ山本發次郎コレクションが、
次男の山本清雄さんから大阪市に寄贈されました。
これが発端となって美術館の建設構想が発表され、
1990年には美術館建設準備室が開設。
多くのコレクターからコレクションが寄せられます。

1988年から1994年にかけて、画廊を経営していた高畠良朋が
マリー・ローランサンの《プリンセス達》(1928)など、
佐伯祐三と同時代のエコール・ド・パリの作品からなる
「高畠アートコレクション」131点を寄贈。
1987年、鉄鋼業で財を成した実業家・田中徳松の遺言によって
近代日本画など19点が寄贈。
1996年、大阪出身の前衛美術家・吉原治良の作品およそ800点が寄贈…と、
未来の美術館のために沢山の作品が集まりました。

2000年代になると、市の財政悪化のため美術館の計画は凍結されますが、
2012年に寄託されたサントリーポスターコレクション1万8000点など
作品の寄贈・寄託はつづき、
計画が練りなおされて(「美術館要るの?」の声にも負けず…)
2013年には美術館の建設にゴーサインが出ることになりました。

美術館建設準備室の熊田司さんは、
おのれの審美眼に従って好きなものを集めたコレクターたちによる
それぞれが異なる個性を持つコレクションが集まることで、
創造性のある「大阪中之島美術館のコレクション」が作られたといいます。

孫の西園寺さんから
「(美術館に展示されているのを見たら)飾り方とかいろいろ注文したかも…」
と言われるほどコダワリをもって作り上げられた發次郎コレクションは、
これからも大阪中之島美術館の個性を形成する
重要なパーツとして存在し続けることでしょう。
番組のタイトルに採用された「蒐集も亦創作なり」は、
發次郎が生涯大切にしていた言葉だそうです。


大阪中之島美術館開館記念 「Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり―」

大阪府大阪市北区中之島4-3-1

2022年2月2日(水)~3月21日(月・祝)

10時~17時
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館(3月21日を除く)

日時指定事前予約優先制
一般 1,500円
高大生 1,100円
中学生以下無料

公式サイト