東京メトロ日比谷線の六本木駅から直通のエスカレーターを上って六本木ヒルズ(東京都港区六本木)に入ると、背の高いクモのオブジェが見えます。
ヒルズ創業時からいるこのクモさん、実は世界的に高い評価を受けているアーティストの作品なんです。
六本木ヒルズのクモ《ママン》
高さ10メートル、ブロンズ製でお腹に大理石の卵を抱えたこのクモは《ママン》といい、六本木ヒルズの案内図にも載っているパブリックアートです。
六本木ヒルズホームページのフロアマップでも確認できますよ。
《ママン》へのアクセス
《ママン》が設置されているのは六本木ヒルズ2F、ハリウッドビューティプラザと森タワーの間。
東京メトロ日比谷線の六本木駅から広尾方面の改札を出て、1c出口から円筒状の吹き抜け(メトロハット)内のエスカレーターを上ると、左側に見えてきます。
六本木通りから徒歩でのアクセスは、メトロハットの脇の階段を登るのがわかりやすいでしょう。
ヒルズに陣取るクモのオブジェ
作者のルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)は、フランス出身のアメリカ人アーティスト。
彫刻のほかにも絵画・版画・インスタレーションなど多くの作品を残し、20世紀で最も重要なアーティストと評価されています。
ブルジョワが制作した巨大なクモはこれ1体ではなく、同シリーズの彫刻はテート・モダン(イギリス・ロンドン)、カナダ国立美術館(カナダ・オタワ)、ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン・バスク)、サムスン美術館 Leeum(韓国・ソウル)、クリスタルブリッジミュージアムオブアメリカンアート(アメリカ・アーカンソー)、カタールナショナルコンベンションセンター(カタール・ドーハ)などでも常設展示されています。
六本木ヒルズとルイーズ・ブルジョワ
森美術館の母体である森ビル株式会社が2003年に購入し、同年創業したヒルズに設置。
《ママン》はそれ以来、六本木ヒルズのマスコット・ランドマーク・映えスポットとして親しまれています。
ヒルズの巨大蜘蛛として有名な《ママン》ですが、その制作者はあまり知られていないようです。
《ママン》の作者、ルイーズ・ブルジョワ
《ママン》の作者であるルイーズ・ブルジョワについては、2024年9月から2025年1月にかけて六本木ヒルズの森美術館(森タワー53階。美術館の入口は《ママン》のすぐ近くにあります)で開催された「ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」(会期終了)で初めて知った人も多いことでしょう。
ブルジョワは1911年に、パリでタペストリーの修復工房を営む両親の間に生まれました。
1930年にソルボンヌ大学に進学し数学を学びますが、1932年に母親が亡くなったのがきっかけで専攻を変え、アーティストの道を歩み始めました。
(父親が美術学校の学費を出してくれなかったので、留学生のために授業を翻訳するアルバイトをしていたそうです)
1938年、ブルジョワはアメリカ人の美術史家ロバート・ゴールドウォーター(1907-1973)と結婚し、ニューヨークに移住。
1945年にニューヨークで初の個展を開催し、3人の息子の母親になった後も多くの作品を制作しました。
そしてついに1982年、ニューヨーク近代美術館で開催された回顧展で、72歳にして国際的な評価を受けます。
ブルジョワの作品は子ども時代のトラウマや心理的な苦痛を取り上げたものが多く、フェミニズム・アートという文脈からも研究されています。
ルイーズ・ブルジョワの《ママン》
ブルジョワがブロンズ・スチール・大理石などを使った巨大なクモ《ママン》シリーズの制作を始めたのは、1990年代のなかばから。
98歳で亡くなるまで創作を続けたブルジョワのキャリアからみれば短い時間ですが、巨大なクモの彫刻は彼女の代表作のひとつと考えられています。
《ママン》のタイトルは、フランス語で「お母さん」という意味。
ブルジョワにとって、自分の人生と芸術に大きな影響を与えた母親のイメージとクモは切り離せないものでした。
母ジョセフィーヌはタペストリーを修復する職人で、ブルジョワも子どものころから母の手伝いをしていたそうです。
後にブルジョワは、クモが糸を紡いで巣をつくる姿、そして子どもを守り育てる姿を母にたとえています。
人間をはるかに超える大きさのクモは怖い印象もありますが、ブルジョワにとっては力強い保護者でもあったようです。