タイトル 曜変天目 ー 国宝3点の他にも!日本に伝わる茶碗の最高峰

茶碗の中をのぞくと青い斑点がキラキラ輝く「曜変天目」は
一度見ると忘れられないインパクトがあります。
あまりにも有名なので何となく知っているつもりになっていましたが、
考えてみると「曜変」そして「天目」とは何なのでしょう。

曜変天目とは

正式には「曜変天目茶碗」。
文字通り「曜変」のある「天目茶碗」ということで、
それぞれの部分に分けてまとめます。

天目茶碗とは

天目茶碗の由来

「天目茶碗」の呼び名は日本固有のもので、由来は中国の名峰「天目山」。
浙江省にある仏教の聖地(道教と儒教の聖地でもあります)で、
茶葉の産地でもあります。

天目茶碗はこの天目山一帯で使われていた
鉄釉(天目釉とも呼ばれる黒い釉薬)の茶碗がルーツです。
北宋時代の喫茶法(点茶法)に使うこの種の茶碗は
多くの地域で作られていますが、
中でも福建省の古窯である健窯で焼かれたものは「建盞」と呼ばれ、
茶を楽しむのにもっとも相応しいとされました。

鎌倉時代に天目山で修行した日本の禅僧が
喫茶法とともに茶碗を持ち帰ったことから
日本ではこの茶碗を「天目(茶碗)」と呼んでいます。

天目茶碗の形

高台(茶碗の底にある丸い支えの部分)が小さく
口に向かってひろがる擂鉢のような形で、
口縁部分にくびれのある「スッポン口」が特徴。

美術館ではだいたい天目茶碗が単品で展示されていますが、
実際にお茶を点てる時は「天目台」という
脚つきのお皿に小さめの鉢を乗せたような形の台を使います。
(画像は静嘉堂@丸の内の葉書です)

天目茶碗は底の部分が小さくすぼまった形をしているため、
鉢の部分に嵌めるようにして安定させるのです。
茶碗を支える鉢の部分は「酸漿(ほおずき)」
お皿のような部分は「葉(は)」と呼びます。

天目茶碗のお手前は神仏や貴人にお茶を差し上げる時に行う、
お茶の中でも格の高いものです。


曜変(窯変)とは

「曜変」は、陶器を焼く時に窯の中で起きた予期せぬ変化「窯変」に
星の輝きを意味する「曜」の字を当てるようになったものです。
また「耀変」「容変」の字を当てることもあります。

「曜変天目」は健窯で焼かれた建盞から偶然生まれるもので、
碗の内側には青の濃淡、黄色、白など(角度によっては虹色にも)に光る
丸い斑紋が現れるのが特徴。
名前の通り星や宇宙を思わせます。

どういう仕組みでこの模様が現れるのかいまだ完全に解明されていませんが、
多くの陶芸家や研究者が曜変天目の再現を試みた結果、
近年の研究ではかなり近い色を再現できるところまで来ているようです。

曜変天目と日本

曜変天目茶碗は室町時代の書物『君台観左右帳記』
(将軍・足利義政の御殿の装飾を同朋衆が記録したもの)で
茶碗の筆頭に挙げられ、
「建盞の内の無上也 世上になき物なり」
と、最上の評価を与えられています。
国立国会図書館デジタルコレクションの写本より)

世上になき…つまり世の中にも滅多にないというだけあって、
現在まで完全な形で残っている曜変天目は世界にわずか3点。
全て日本で国宝指定されています。
(解釈によっては、重要文化財1点を加えることも)

曜変天目がなぜ日本だけに残っているのかは今でもわかっておらず、
以前は輸出専用だったのではないかと考えられていましたが、
2009年に浙江省杭州市にある南宋の宮殿跡の近くから
曜変天目とよく似た破片が出土し、
宮廷で使用される貴重な物だった可能性が指摘されています。


曜変天目茶碗 ー 国宝3点

生産地を差し置いてなぜか日本に伝わる国宝の曜変天目。
それぞれ異なる見どころ、そして興味深い来歴を備えています。

静嘉堂文庫の曜変天目茶碗(国宝、稲葉天目)

1941年に旧国宝(重要文化財)指定
1951年6月9日に国宝指定

東京の静嘉堂文庫が所蔵する国宝として以前の記事でも紹介したこの曜変天目は、
他の曜変天目と比べても特に青の発色が鮮やかで華やかな茶碗です。

元は徳川将軍家の所蔵で、3代将軍である家光から乳母の春日局に下賜され、
その後は山城淀藩主の稲葉家に代々伝えられたことから
「稲葉天目」と呼ばれるようになりました。
(淀藩初代藩主の稲葉正知は春日局の孫の孫…玄孫にあたります)

明治維新の後、子爵家となった稲葉家から
三井財閥(当時)の小野哲郎(妻は稲葉家当主の娘)を経て、
1934年に岩崎小彌太の手に渡りました。

岩崎小彌太は「天下の名器を私に用うべからず」と言って
この茶碗を使うことなく1945年に没し、
小彌太の一周忌の法要で仏前に献茶されたのが
岩崎家における最初で最後の使用だったそうです。


藤田美術館の曜変天目茶碗(国宝、水戸天目)

1953年11月14日に国宝指定

発色は静嘉堂のものに比べてやや地味ながら、
茶碗の外側にも曜変があるのが特徴。
口縁部に補強と装飾を兼ねて金属の縁取り(覆輪)がされています。

徳川家康から水戸徳川家(水戸徳川の祖は家康の11男徳川頼房)に譲られたために
「水戸天目」の呼び名があります。

1918年に水戸家が美術品等の入札会を行った際、
藤田財閥2代目総帥で美術収集家でもあった藤田平太郎(号:江雪。1869-1940)が落札。
現在は大阪の藤田美術館に所蔵されています。

藤田美術館のコレクションは
平太郎の父・藤田傳三郎(号:香雪。1841-1912)がはじめた美術収集を
平太郎と弟の徳次郎(号:耕雪。1880-1935)が引き継いだもので、
およそ2000点のうちには国宝9点、重要文化財53点が含まれています。
また2017年に一時閉館するまでの展示室は、藤田家の蔵を改装したものでした。
(2022年4月に新しい建物でリニューアルオープン)


大徳寺龍光院の曜変天目茶碗(国宝)

1908年4月23日に旧国宝(重要文化財)指定
1951年6月9日に国宝指定

国宝3碗の中ではもっとも地味ながら、禅寺にふさわしい寂びた風情もあり、
曜変天目の中でもっとも良いと言う人も。
見込みには、実際にお茶をたてた茶筅の跡が見えるそうです。
(白洲信哉『美を見極める力』光文社新書、2019)
仏様にお茶を差し上げたのでしょうか?

この天目茶碗は、京都の大徳寺塔頭(大寺院の中に建てられた小院)である
龍光院(りょうこういん)の2代目住職・江月宋玩(1574-1643)によってもたらされ、
受け継がれてきたものです。
もとの持ち主は宋玩の父で豊臣秀吉の茶頭(御用達の茶人)だった津田宗及(?-1591)。

鎌倉時代に大燈国師が開いた大徳寺は、
室町時代の村田珠光をはじめ竹野紹鴎、千利休など、多くの茶人と縁があります。
龍光院は黒田長政が父・黒田如水の菩提を弔うために建立したお寺で、
如水と宗及は長らく親交がありました。

なお龍光院は一般に公開していない拝観謝絶のお寺で、特別拝観もありません。
龍光院の曜変天目も通常は非公開で、たまに美術館などで展示されます。
最近では2019年に MIHO MUSEUM で、2022年に京都国立博物館で公開されました。


日本に伝わった曜変天目茶碗は他にも…

現在「曜変天目」と呼ばれているのは国宝に指定されている上の3点ですが、
古い記録などで「曜変天目」とされる茶碗はこれ以外にも幾つかありました。
現在ほとんどは「油滴天目」とされており、
MIHO MUSEUM にある重要文化財の1点は
曜変か油滴か完全に決着がついていないようです。

MIHO MUSEUM の曜変天目(一説には油滴天目)茶碗(重要文化財)

1953年11月14日に重要文化財指定

虹色の粒が茶碗の内側と外側に散らばる様子が華やかなこちらの茶碗は
加賀前田家の伝来で、作家の大佛次郎(1897-1973)が所蔵していました。
現在は滋賀県の MIHO MUSEUM の所蔵です。

こちらは「曜変天目」ではなく「油滴天目」だという説もあります。
「油滴」は曜変と同じく建窯で生まれる茶碗のうち
油の滴のような粒状の模様が散らばって輝いているものをさし、
「窯の中で起きた意外な変化」という意味では「窯変」の一種であるようです。

MIHO MUSEUM の天目茶碗がラメを思わせる色鮮やかなものであるのに対して、
多くの油滴天目の斑紋は銀色。
斑紋の大きさと色、どちらを基準にするかで変わるのかもしれません。

『君台観左右帳記』は油滴について
曜変に次ぐ第2位の重宝と記していますから、
どちらだとしても、この茶碗の価値が揺らぐことはないようです。

本能寺で失われた幻の曜変天目茶碗

現在まで完全な形で伝わっている曜変天目は上の通りですが、
足利義政から織田信長に伝わって本能寺の変で焼失した
曜変天目があったと言います。

日本に伝わった曜変天目茶碗の中でも最上のものだったと言われていますが、
確かめるすべはありません。
もしも現存していたらどんな姿をしていたのか、
どんな経緯をたどってどこに所有されていたのか、国宝には指定されていたのか…
想像をかき立てられます。

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