昨年秋、兵庫県の家島に滞在した画家の松井守男さんは
家島の伝説と自然、さらに人の営みを盛り込んだ大作を描きました。
ピカソの教えを受け、光を追いかける松井さん。
新作もまた、光を取り込んだものでした。
松井さんは2022年5月30日、東京都内のアトリエで亡くなりました。(79歳)
ご冥福をお祈り申し上げます。
2021年1月17日の日曜美術館
「コルシカのサムライ NIPPONを描く 画家・松井守男」
放送日時 1月17日(日) 午前9時~9時45分
再放送 1月24日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
着物姿で絵を描き、“サムライ”と親しまれるフランス・コルシカ島在住の画家・松井守男。その筆先からは独特の抽象がほとばしり、最も栄誉ある勲章レジオンドヌールを受ける。去年、来日中に新型ウィルスの流行で帰れなくなった松井は、瀬戸内海の小さな島の光に魅せられる。「ここで世界をアッと言わせる絵を描く!」松井は、神社の襖(ふすま)に巨大な新作を描くことにした。サムライ画家が描くニッポンとは。(日曜美術館ホームページより)
出演
松井守男 (画家)
髙島俊紀 (宮浦神社宮司)
髙島瑞暉 (神田明神神職)
松井守男さんのこと
愛知県豊橋市出身の松井守男さん(1942-2022)は、
武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業後、
フランス政府の給費留学生として渡仏しました。
学生生活は思うようにいきませんでしたが
(国立美術学校でいじめがあったそうです)、
パリ国立美術学校を退学した後で出会った
パブロ・ピカソ(1881-1973)に大きな影響を受けます。
ピカソには最初
「俺は1秒ごとに世界の傑作を作っている」
「お前に会うために傑作が消えていくんだ」と言われたそうですが、
(これを言って許されるのはピカソだけでしょう…)
松井さんの中にある何かが認められたのか、
ピカソが亡くなるまで5年間アトリエに通うことになります。
ピカソの「お前は俺のようになる。絶対にやり通す」という言葉を信じて
制作活動を続けた松井さんでしたが、
天才が集まるパリでは中々芽が出ないなか、
2年半の歳月をかけて完成させた《遺言》(1985)を遺作とする覚悟で発表。
面相筆(人形の顔を描く細い筆)の細かいタッチを重ねて作りあげた大画面の作品は
現地で高い評価を得ました。
松井さんは1997年にコルシカ島に拠点を移し、
それからは日本とフランスを行き来する生活を送ります。
家島へ
2020年秋、コロナウイルスの蔓延でフランスへに戻れなくなった松井さんは、
瀬戸内海東部にある家島(兵庫県姫路市)に滞在し、
宮浦神社の襖絵などの作品を制作しました。
きっかけは神田明神に奉職していた高島瑞暉さんが、
松井さんの奉納した《光の庭》(2018)に惚れ込んだことだそうです。
松井さんの抽象画(風景画や世界地図を拡大した図のようにも見えます)は
最初何が描かれているのか分からないけれど、
1年くらいずっと見ているうちに段々良さがわかるんだとか。
家島の伝説を描いた襖絵
家島は、日本神話の神々が国土を作った時に
最初に生まれた「オノゴロジマ」であるという伝承があります。
(諸説あり。同じ兵庫県の淡路島や沼島も候補にあがっています)
松井さんは島内をスケッチして回った際、
家島諸島の総鎮守である家島神社の原生林や、
国生みの神々がアメノミハシラを立てた場所とされる
西島の「頂上石」にも立ち寄っています。
現在は島全体が採石場となっている西島の風景をみた時は
(年間100トンの石と砂を出荷。主にコンクリートに使われているそうです)
自然と人間の営みが入り混じる様子に
「日本の縮図」「アンバランスの美」を感じたそうです。
家島の伝説・自然・人の営みという要素は、
襖絵にも盛り込まれることになりました。
13枚のふすまにわたって家島の伝説が描かれ、古木の龍が浮かぶ襖絵は
大部分が白い絵の具で構成されています。
(襖の色もクリーム色に近い白なので、作業中の撮影は大変だったようです)
松井さんはピカソに「アーティストは光を出さなければ駄目だ」と言われ、
「光の画家」として光を追求してきました。
光の色である白で描かれたこの絵画も、光の加減で表情を変化させ、
年月を経て襖が変色すると、よりくっきりと浮かび上がってくるんだとか。
家島小学校でのワークショップ
松井さんは家島小学校で、全校生徒(48人)と一緒に
作品を作るワークショップも実施しました。
テーマは「火の神のエネルギー」と「海の神の恵み」。
子どもたちがクレヨンで描いた絵の上に
松井さんがアクリル絵の具で仕上げをした巨大な作品は、
秋祭りで神社に奉納されました。