岸田劉生が娘・麗子を描いた《麗子像》は非常に有名ですが、
モデルとなった娘・麗子はどんな人だったのでしょう?
画家・女優・文筆家として多方面に才能を発揮しながらも、
48年で人生を終えた岸田麗子(1914-1962)について調べてみました。
岸田麗子とはー 《麗子像》モデルの実像
重要文化財《麗子微笑》をはじめとする麗子像についてはこちらの記事もどうぞ。
「麗子像は怖い? 本人には似ているのか?」
現実の岸田麗子(以下、麗子)は第1次世界大戦(1914-1918)勃発の年に生まれ、
2歳数か月から父親である劉生に習って絵を描くようになりました。
5歳頃には家にある画集を絵本がわりに眺めていたそうです。
劉生が麗子の美術教育と成長ぶりをまとめた
『図画教育論ー我子への図画教育』(改造社、1925)には
5歳から10歳までの麗子が描いた44点の絵が収録されています。
十代の半ばで父親を失った後は、
画家として活動する一方で女優として舞台に立ち、
さらに小説・エッセイ・詩など文章も書くという多才な人でした。
(川端康成に師事していたこともあったとか!)
また女性問題にも関心が深く、よく若い女性の相談に乗っていたといいます。
幼いころから父親のモデルとして
制作が終わるまで指定されたポーズでじっとしていたという麗子ですから
何となく「大人の言うことを聞く良い子」なイメージがありましたが、
実は自立心に富んだ逞しい女性だったようです。
岸田麗子の足跡 ー 劉生没後の麗子
劉生が38歳で亡くなった時、麗子は満15歳。
高等女学校に通っていましたが、
父親を亡くしたショックの為か、体を壊して中退しています。
自宅にこもる生活の中で絵画の制作を続け、
国画会(梅原龍三郎を中心とする洋画団体)の展覧会に出品するようになります。
その一方で武者小路実篤らの推薦で「新しき村」演劇部に参加し、
「楠田ルイ子」の芸名でいくつもの舞台で主演女優を勤めました。
築地小劇場から勧誘もされたそうですが、
1937年に新しき村の演劇仲間だった歯科医の瀧本貞二郎と結婚して和歌山へ転居します。
和歌山でも夫婦で新しき村の支部を立ち上げ、
個展を開いたり和歌山ペンクラブに参加したりと活動を続けました。
3人の子供にも恵まれましたが、1945年に空襲で自宅が全焼。
家財とそれまでに制作した絵画作品のほとんどを失いました。
画家としての業績があまり知られていないのは
この時多くの作品が失われたことに加えて、
戦後の作品も売れていった先が分からず所在不明が多いからだそうです。
戦後、臼井幸四郎と再婚。
幸四郎が劉生の未亡人である蓁の養子に入り、麗子も岸田姓に戻ります。
画家としても再出発した麗子は
1955年に「朱葉会」(大正から続く女性画家の団体)の会員となり、
展覧会への出品や個展の開催などをおこないました。
自宅で絵画教室も開いています。
最晩年(と言っても48歳の若さですが…)には
「これから一日一作どんどん描いていくの」と張り切っていたそうですが、
1962年7月26日にくも膜下出血で急逝。
岸田劉生を語る『父 岸田劉生』(奥付は同年7月25日)を完成させた矢先の事でした。
岸田麗子を知るには?
麗子像のイメージが先行しがちな岸田麗子ですが、
本人の作品や往年の写真(子どものころから戦後まで)を収録した本が出版されており、
図書館などで見ることができます。
時代が時代なために残っている写真はすべてモノクロですが、
わたしはすっと通った鼻筋や一重で切れ長の目に麗子像の面影があると思いました。
(ちなみにかなりの美人です。興味がある方は《麗子像》と比べてみてください)
岸田夏子編・解説『肖像画の不思議 麗子と麗子像』求龍堂、2009
数々の麗子像とともに劉生の日記や手記、麗子本人の写真などを多数収録し、
さらに麗子自身の作品や在りし日のエピソード、資料など充実した内容です。
この1冊で、岸田劉生・麗子親子についてはかなり詳しくなれるのではないでしょうか?
編著者の岸田夏子さん(1940-)は麗子の次女で、
岸田一族初の東京藝術大学を卒業した画家です。
(劉生も麗子も美術学校には行きませんでした)
ライフワークにしている桜の絵(この本にも3点収録)のほかに、
麗子像の模写や祖父・劉生が描かなかった
「大人の麗子」「女から見た麗子」を描いたシリーズも発表しています。
岸田麗子『父 岸田劉生』(愛蔵版)中央公論新社、2021
劉生の日記などを引用しながらその人生をたどる回想記。
一部の文章が上の『肖像画の不思議 麗子と麗子像』に引用されています。
序文を寄せた武者小路実篤(劉生の友人で、麗子の先生でもありました)は
批評的な所は少しもなく、劉生の姿を身びいきなしに、その癖十分愛情を持って、少しも美化せずに、十分尊敬を持ちながら如実にかいている。
(略)
劉生の事を知りたい人は是非この本は読まねばならない本だ。この本を読まずに劉生の事を知ろうとする人は、劉生の画業を麗子像をぬかして話そうとする人に似ていると言いたい。
と絶賛しています。
麗子の没年に刊行された雪華社版(1962)に続いて
読売新聞社(1979)、中公文庫(1987)が出版され、
岸田劉生の生誕130周年にあたる2021年の5月にも
中央公論新社から愛蔵版が刊行されました。
愛蔵版には劉生の作品と写真のほか、麗子による絵画2点と
雑誌や新聞に発表した文章4篇も収録されています。
公平な視点を心掛けただろう本文に対して
麗子自身の考えや人柄が現れているような文章は、
麗子本人を知る貴重な資料になるでしょう。