日曜美術館「至高の工芸をあなたに〜金沢 国立工芸館〜」(2020.12.20)

小野さんと柴田さんが、2020年10月25日に石川県金沢市に移転オープンした
国立工芸館(もと東京国立近代美術館工芸館)を訪ねました。

2020年12月20日の日曜美術館
「至高の工芸をあなたに〜金沢 国立工芸館〜」

放送日時 12月20日(日) 午前9時~9時45分
再放送    1月10日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

10月に石川県金沢市にオープンした国立工芸館。かつて皇居の側にあった東京国立近代美術館工芸館が移転した。収蔵されているのは、明治以降「近代」に作られた作品たち。ある時は国の後押しを受け日本文化を世界に知らしめ、ある時は芸術家としての個性が爆発する。鈴木長吉、富本憲吉、松田権六、角偉三郎など、<伝統>と<個性>が拮(きっ)抗し生まれる美しい世界を紹介する。(日曜美術館ホームページより)

出演
花井久穂 (国立工芸館主任研究員)
飯山正悟 (福正寺前住職)
角 有伊 (漆芸家 父は角偉三郎)
吉田幸央 (錦山窯四代目)
見附正康 (陶芸家)


国立工芸館(石川県金沢市)へ

明治後期に建てられた「旧陸軍第九師団司令部庁舎」と
「旧陸軍金沢偕行社」を保存移築した美術館の中には、
明治以降に作られた近代工芸のコレクションが展示されています。

国立工芸館の自己紹介

主任研究員の花井久穂さんによると、
最初の展示室には「国立工芸館の自己紹介」にあたる
代表的なコレクションが展示されています。

小野さんが気になったのは、金属で作られた5cmくらいのウズラでした。
桂盛行の《鶉四分一打出水滴》は可愛らしい置物のように見えますが、
墨を磨るとき硯に水をいれる道具(水滴)で
開いたクチバシから水が出るようになっているそうです。
羽根の細かい模様は、四分一(銀を4分の1含んだ銅の合金)に
他の金属を象嵌したもの。

柴田さんが展示室を入ってすぐに惹きつけられたという作品は、
赤・ピンク・白の層が重なった「ちょっとおいしそうな色合い」の丸い壺です。
(焼き物でピンク色を出すのはとても難しいんだとか)
松井康成の《練上嘯裂文茜手大壺》。
表面は無数のヒビに覆われて、ざっくりしたクッキーのような雰囲気です。


明治の超絶技巧とアール・ヌーヴォーの台頭まで

初代宮川香山(1842-1916)の《鳩桜花図高浮彫花瓶》は
鳥の羽や桜の花びらの折り重なった様子までリアルかつ立体的に表現した
明治工芸の超絶技巧を代表するような作品です。
こういった作品は明治維新で大名家というパトロンを失った職人たちが
海外向けの輸出品として作ったものだそうです。
(京都の陶工の家に生まれた香山も、1870年に港町横浜に移住しています)

当時は1851年のロンドン万国博覧会を皮切りに、
複数の国が参加する国際博覧会が行われるようになった時代でした。
1873年のウィーン万国博覧会から正式に参加するようになった日本も
優れた工芸品を出品しています。
1893年にシカゴ万博に出品された鈴木長吉(1848-1919)の《十二の鷹》は、
その名の通り12羽1セットの鷹の置物。
種類もポーズも様々な実物大の鷹を高度な金工技術で表現したこの作品は
博覧会で高い評価を得ました。
こういった作品には外貨の獲得のほかに
日本の技術をアピールする狙いもあったようです。

細かい所まで丁重に、写実的に作りあげられた作品は
日本の技術の高さを知らしめる役割を果たしましたが、
1900年のパリ万博で注目を集めた「アール・ヌーヴォー」の
抽象化された表現が主流になっていくにつれて時代遅れとなっていきます。
アール・ヌーヴォーの形成には日本の浮世絵が影響を与えたそうですが、
そのアール・ヌーヴォーが日本の工芸に打撃を与えたのは
なかなか皮肉の効いた話です。


工芸作家の誕生

高い技術を見せつけるような工芸の需要が減少したことで
精巧・精密・写実的な超絶技巧は廃れていきました。

またこの時代は、完全分業による伝統的な制作が下火になり、
素材の準備から仕上げまですべての工程をひとりでおこなう作家が
自身の表現として工芸作品を発表するようになります。

東京美術学校でインテリアデザインを学び
20代後半で陶芸作家となった富本憲吉(1886-1963)、
伝統的な竹細工の技法を用いて前衛的な竹細工を作った生野祥雲斎(1904-1974)、
「漆聖」と呼ばれた蒔絵の大家である松田権六(1896-1986)など、
古い時代の美術に学んで伝統的な素材と技法を使い、
さらに自分自身のアイデアを盛り込んだ個性的な作品を作っています。


風土から生まれた作品と角偉三郎のこと

オリジナルの作品を追求する作家たちの多くが、
風土に根差した工芸作品に創作のヒントを得ていました。

たとえば一口に「白い焼物」と言っても、
沖縄の土で作られた陶器は黒い生地の上に白い釉をかけたもの、
九州の磁器は澄んだ純白の地肌、
北陸の磁器は灰色がかった温かみのある白の地肌といった違いがあり、
それぞれに合わせた絵付けがされることで地域ごとの特徴が生まれるわけです。

漆塗りの世界で「風土」を追求した作家が角偉三郎(1940-2005)でした。
小野さんが「お家の壁板を持ってきたよう」だと言った《足付へぎ板盤》は
実際に廃材を組みあわせた板に漆を塗ったもの。
角の作品は木地の上に手ですくった漆を塗りつけるというやり方で作られたもので、
木目が残る表面にデコボコや垂れのある文様があったりと、
伝統的な漆の世界なら「失敗」と言われてしまいそうな見た目です。
(乾燥していない漆は敏感な人なら近づくだけでかぶれます。ご注意を…)

角はもともと石川県輪島市の職人の家に生まれて芸術家を目指した人です。
38歳で発表した《鳥の門》(漆のパネルに絵を描いた作品)からも、
「綺麗」な作品を作る技術は十分に備わっていることがわかります。

転機は、合鹿(石川県鳳珠郡能登町)の福正寺に伝わる漆塗の椀でした。
明応年間(1492-1501)に能州木地師によって建立された福正寺には
昔の食器が保管されており、特に古い物は室町時代から伝えられているそうです。
合鹿椀と呼ばれるこの椀は厚手で大振り、
また地面や筵の上でも安定するように高くしっかりした高台が付いていて、
肉体労働をする人々が普段の生活の中で使うための工夫が凝らされています。

角の《練金文合鹿椀》は文様の赤い部分に金が練り込んであり(練金)
使い込んでいくと輝くようになるそうですが、
できる限りそのままの状態で収蔵品を将来に残さなければならない博物館では
その状態まで「育てる」ことができないのは少し残念かもしれません。

風土の特性と用途から生まれた道具に触発された素朴で荒々しい作品は
最初のうち漆塗りとして認められないこともありましたが、
角はこの「キノコのように生えてきた」(と言っていたそうです)スタイルを貫きました。
息子である角有伊さんも、同様のスタイルを受け継いでいます。


「国立工芸館石川移転開館記念展Ⅰ 工の芸術― 素材・わざ・風土」
国立工芸館(日時指定予約制)

石川県金沢市出羽町3-2

期間2020年10月25日(日)~2021年1月11日(月・祝)

月曜休館
12月28日~1月1日休館

9時30分~17時30分
※入場は閉館の30分前まで

一般 500円
大学生 300円
※高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方と付添者1名までは無料

日時指定・定員制 チケット予約
公式ホームページ