日曜美術館「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」(2022.9.4)

今年90歳になるドイツの画家ゲルハルト・リヒターの展覧会が
東京国立近代美術館で開かれています。
日本では初めて公開される《ビルケナウ》は、
第2次世界大戦中にドイツで行われたホロコーストが主題。
20代半ばでユダヤ人迫害の実態を知ったリヒターが
半世紀以上抱えてきたものを形にした作品です。

2022年9月4日の日曜美術館
「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」

放送日時 9月4日(日) 午前9時~9時45分
再放送  9月11日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ドイツの画家ゲルハルト・リヒター(90歳)。若き日に、当時の東ドイツから西ドイツに亡命し、革新的な画風で、世界最高峰と称賛される現代の巨匠だ。そんなリヒターが、82歳にして挑んだのが、アウシュビッツで行われたユダヤ人の大量虐殺。強制収容所の写真をもとに描き始めたリヒターは、その絵を黒や赤の絵の具で覆い隠すようにして大作を完成させた。一体なぜ。集大成の作品からリヒターの創作の秘密に迫る。(日曜美術館ホームページより)

出演
鈴木京香 (女優)
桝田倫広 (東京国立近代美術館主任研究員)
清水穣 (同志社大学教授)
沢山遼 (美術批評家)
会田誠 (美術家)


ゲルハルト・リヒターとは?

ドイツ出身の現代美術家ゲルハルト・リヒター(1932-)は、
人間のイメージや視覚に対して問いを投げかけるような作品を発表して
世界の注目を集めてきました。
リヒターの作品は、2012年におこなわれたサザビーズ・ロンドンのオークションで
生存する作家の作品としては歴代最高額(当時)を記録しています。
(ご本人は個人コレクターよりも美術館の方が良いとコメントしていますが…)

東ドイツから西ドイツへ

リヒターは1932年にドイツ東部のドレスデンで生まれました。
13歳で終戦を迎え、ドレスデンのアカデミーで絵画を学んだリヒターは
東西に分断されたドイツの東側で画家としての第一歩を踏み出します。
当時の東ドイツでは、
社会主義によって実現する理想の世界をリアリズムの手法で表現する
「社会主義リアリズム」以外の絵画は認められておらず、
リヒターも英雄的な労働者が資本家と戦うプロパガンダ的な壁画を制作しています。

1959年に西ドイツを訪れたリヒターは、
ドリッピング(絵具を画面に滴らせる技法)で制作された
ジャクソンポロックの作品など、新しい絵を知って衝撃をうけます。
ここで感じた「恥知らずなほどの自由」が
リヒターが西に移住するきっかけのひとつになりました。

ベルリンの壁の建設が始まる直前の1961年、
リヒターは夫人とともに西ドイツのデュッセルドルフに移住。
丁度アンディ・ウォーホルが
キャンベルのスープ缶や紙幣を描いた作品で
ポップアートの世界を切り開いた年でした。

複製を重ねた作品の登場で画家のオリジナリティも揺らいでいる中、
あらためてデュッセルドルフ美術アカデミーに入学したリヒターも
「絵画とは何か」という問いについて考え、
独自の絵画を様々に展開していくことになります。


リヒターのペインティング

美術批評家の沢山遼さんは、
東のリアリズムと西のモダニズムが対立する「文化冷戦」が
同じドイツという国の中でぶつかり合っている渦中にいたリヒターが
ポップアートの中にと社会を横断する道筋を見つけたのではないかと考えています。

リヒターは最初期の「フォト・ペインティング」、
キャンバスを灰色の絵具で塗り込める「グレイ・ペインティング」、
単色のカラーチップを並べた「カラーチャート」、
自作の巨大なへら(スキージ)を使った「アブストラクト・ペインティング」、
ガラスや鏡を使った作品など様々な作品を制作していますが、
今回の日曜美術館では後の《ビルケナウ》に通じる2つの技法を紹介しました。

フォト・ペインティング

1960年代、リヒターは作家の主観や作為を取り除いた表現として
写真を正確に写し取る「フォト・ペインティング」の作品を発表します。
キャンバスに投影した写真を忠実になぞる方法で描かれた作品は、
「何(主題)をどのように(技法)描くか」という問題を無くして
画家の思い入れから距離を置いたものになります。

リヒターの長年のファンで、
しばしば立ち入り禁止の線をはみ出しそうになるという鈴木京香さんは、
この手法で描かれた《エラ》(2007)について、
誰でもない存在だからこそ、知っている人を重ねて親しみを感じると指摘しています。
《エラ》はリヒターの娘さんの肖像画ですが、
鈴木さんが見ると「カリフォルニアに住んでいる友人の娘」を思わせるんだとか。

アブストラクト・ペインティング

1970年代後半に始まった「アブストラクト・ペインティング」は、
ワイパーのような巨大なへらを使ってひたすら絵の具を塗り重ねていく技法です。
絵具が重なるだけでなく、圧力で削り取られることもあり、
画面上に偶然現れる様々な色が混じりあう画面は抽象画のようにも見えます。

東京国立近代美術館の桝田倫広さんによると、
最近の作品にはキッチンナイフを使った
細かい表現も取り入れられているのですが、
大きな作品の中から小さいナイフの跡を探すのはかなり難しそうです。
(番組の中で1か所紹介されています。これから探す時は参考にしてください)


ゲルハルト・リヒターと《ビルケナウ》

リヒターとナチスの強制収容所

リヒターが生まれた1932年は、ナチスがドイツの第一党になった年でもありました。
その後第2次世界大戦がはじまり、リヒターは戦争の中で少年時代を過ごします。
リヒターが暮らしていた地域では身近に収容所が存在し、
住人たちもその中で何が起きているかは理解していましたが、
戦後明らかになった収容所内の有り様は
人々の予想をはるかに超えるものでした。
同志社大学の清水穣教授は、
このことが若きリヒターの心に傷を負わせたと指摘しています。

82歳の時、リヒターは改めてユダヤ人虐殺というテーマと向き合います。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の囚人が
命懸けで撮影した4枚のモノクロ写真を元にして制作されたこの作品が
《ビルケナウ》です。

《ビルケナウ》に秘められた意味

美術家の会田誠さんは《ビルケナウ》を
画家としての成功に満足せず、絵画について実験を続けた82歳のリヒターが
満を持して世に出した作品と考え、
「意味的にも技法的にも生涯の集大成」であると語っています。

《ビルケナウ》の表面はアブストラクト・ペインティングですが、
2014年に制作が始まった時はフォト・ペインティングの作品でした。
途中で行き詰まりを感じたリヒターが上から絵の具を塗り、
さらにアブストラクト・ペインティングの手法で色を重ねていったそうです。
現在、下にあるフォト・ペインティングを見ることはできません。

絵具の下に塗りこめられた写真は、
過去の惨劇として見る人に消費されることを拒否し、
しかし確かに存在することで「忘れるな」と語りかけてくるようです。
(清水教授いわく、簡単に片づけてしまった過去は油断すると帰ってきます)


リヒターによる《ビルケナウ》の展示構成

2022年の展覧会は、リヒター自ら展示構成を決めました。
東京国立近代美術館の《ビルケナウ》展示スペースに入ると、
まず奥の壁一面にわたって鏡の作品《グレイの鏡》(2019)があります。
向かって右手に《ビルケナウ》(2014)、
左手にはそれを原寸大の写真パネルにしてさらに四分割した
《ビルケナウ(写真ヴァージョン)》(2015-2019)が
向かい合うように配置されています。

桝田さんの見立てでは、
原画である《ビルケナウ》と一緒に
複製した写真パネルと部屋全体を映しだす鏡を展示することで
絵画の持つ象徴的な意味を相対化すると同時に、
無限に複製が可能だと示すことで
ここに描かれた暴力の連鎖もまた無限に増殖していくことを警告する仕組みです。
展示室を訪れる人々も鏡に映ることで、
いつの間にか暴力の世界に取り込まれているのです。

展示室入り口のある壁には《ビルケナウ》の元になった
《1944年夏にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンド(特別労務班)によって撮影された写真》
が掛けられ、塗りこめられたはずの過去は今でも人々の背後に在ることを
静かに訴えているようでした。


「ゲルハルト・リヒター展」(2022年。東京・愛知)

リヒターの生誕90年・画業60年を記念して、
フォト・ペインティングから現在のドローイング作品まで
長年にわたる画業を紹介しています。
(桝田さんはドローイングが一番のお気に入りなんだとか)
日本での個展は2005年から2006年にかけて
金沢21世紀美術館とDIC川村記念美術館で開催されて以来16年ぶり。
東京では初開催となります。
(東京展終了後、愛知県豊田市美術館に巡回予定)

展覧会公式サイト

東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)

2022年6月7日(火)~10月2日(日)

10時~17時 (入場は閉館の30分前まで)
※金・土曜は10時~20時

月曜休館(9月19日は開館し、9月20日に休館)

一般 2,200円(2,000円)
大学生 1,200円(1,000円)
高校生 700円(500円)
中学生以下 無料
※( )内は20名以上の団体料金
※障害者手帳の提示で本人とその付添者(1名)は無料

公式サイト

豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)

2022年10月15日(土)~2023年1月29日(日)

10時~17時30分(入場は閉館の30分前まで)

月曜休館・年始年末(2022年12月28日~2023年1月4日)休館
※2023年1月9日は開館

一般1,600円(1,400円)
高校・大学生1,000円(800円)
中学生以下無料
※( )内は前売り券および20名以上の団体料金
※オンラインチケットは100円割引(他割引との併用不可)
※豊田市内在住又は在学の高校生、豊田市内在住の75歳以上は無料(要証明)
※障害者手帳の提示で本人とその付添者(1名)は無料

公式サイト