日曜美術館「写真家・奈良原一高~魂の故郷を探し求めて~」(再放送)

2020年3月29日の日曜美術館は「写真家・奈良原一高~魂の故郷を探し求めて」 2019年12月15日の再放送でした。ファッション写真で時代の寵児となりながら海外へ向かい、歴史の構造を目の当たりにしたヨーロッパを経て、アメリカでは人類の未来に思いをはせる…2020年1月に逝去した奈良原の足跡をたどりながら、作品を振りかえります。

2020年3月29日の日曜美術館

「写真家・奈良原一高~魂の故郷を探し求めて~」太字

放送日時 3月29日(日) 午前9時~9時45分
再放送  4月 5日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

戦後の写真表現を切りひらいた奈良原一高。報道とは一線を画した独自の世界観で、写真を芸術に高めたとされる。日本を捨て、旅を続けた奈良原の魂の旅路。
(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
蔦谷典子 (島根県立美術館学芸員)
文月悠光 (詩人)

出演
美輪明宏 (歌手、俳優)
金子隆一 (写真史家)
増田玲 (東京国立近代美術館研究員)
塚田美紀 (世田谷美術館学芸員)
森島亜紀 (元モデル)
奈良原恵子



初期作品集『人間の土地』『王国』に見る奈良原一高(ならはら いっこう)の新しさ

奈良原一高(1931-2020)の最初の写真集『人間の土地』(1956)は
2015年に世界遺産にも認定された長崎県端島(軍艦島)を舞台にした第1部と
1924年の鹿児島県桜島の噴火で地中に埋まった黒神村をとりあげた第2部で構成されます。
過酷な環境で生活する人々の姿を捕らえながらもどこか抽象的で
何かのメッセージを訴えかけるものではない作風には賛否両論がありました。
当時既に著名な写真家だった土門拳(1909-1990)は
「生活から遊離した抽象化はやりきれない。抗議のカメラアイを受けなきゃいけないよ」
と批判しています。
写真史家の金子さんは奈良原が撮影した軍艦島の写真と
やはり炭鉱に取材した土門の『筑豊のこどもたち』(1960)を比較して、
この批判内容こそが奈良原の新しさを表していると言います。
リアリズムを重視し、報道写真家としてキャリアをスタートした土門に対し、
奈良原の写真は社会問題を伝えるものではありません。
社会のひずみやその被害者の悲惨な姿を訴えるのではなく、
見る人に「何か」を問いかける「詩に近いもの」。
奈良原はこういった批判に折れることなく
写真といえば記録写真・報道写真という常識をくつがえして写真界に衝撃を与えました。
2年後に発表された『王国』(1958)は
北海道当別のトラピスト男子修道院と和歌山市の女子刑務所で撮影された作品です。
こちらも「修道院」「刑務所」というよりも
「外部から隔離され規律が支配する世界」と言った方がしっくりくるような
現実離れした風景に見えるような気がします。

原点《無国籍地》そして河原温(かわら おん)の《浴室》

奈良原(本姓は楢原)は1931年に長崎で生まれ
13歳で敗戦をむかえました。
これまで教えられてきた価値観や教育が否定される環境で
「戦争の終結と同時に何かが確実に失われた」と感じていたとき
心の拠り所となったのが美術でした。
1954年に中央大学法学部を卒業していますが、
両親の反対を押し切って早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。
同じ年に軍需工場の跡地で《無国籍地》(1954)を撮影しています。
(奈良原は戦時中に学徒動員された軍需工場が空襲にあい、多くの友人を無くしました)
同世代の人間が作る現代アートの世界に熱中し、
ひとつ年下の河原温(1932-2014)の作品にはとくに興味を持っていたそうです。
番組が放送された2019年12月、国立近代美術館のコレクション展では
奈良原の《無国籍地》のシリーズと
河原の《浴室》(奈良原一高旧蔵の2点を含む)シリーズが公開されていました。

ファッション写真家としての成功と突然のヨーロッパ行き

「人間の土地」の成功で写真家としてのスタートを切った奈良原は、
その後ファッション写真の世界で成功をおさめます。
当時モデルだった森島さんいわく、
「ファッションていうより背景がついてきての洋服っていうイメージ」。
ここでもただ着ている物を宣伝するための写真ではなく
背景の中に溶け込み一つの景色となったような写真を追求し、
手の小指の伸ばし方まで1cm単位で指示をしたそうです。
ファッションの写真を撮るなら服を勉強しなければと森英恵さんに教えを請い、
そこまでしなくても良いとたしなめられたこともあったとか。
ひたむきな姿勢が実を結んだのか写真家としての評判はますます高まった奈良原ですが
30代のとき突然すべてを投げ出しヨーロッパに向かいました。
理由については分かっていないようで、
番組内でもいくつかの説が出ています。
ファッション写真家としての評価が固まったことで限界を感じたのか、
撮るべき被写体を探す為なのか、
それとも忙しすぎたせいなのか。
とにかくフランスのパリにわたった奈良原は
しばらくホテルの窓から鳩の数を数えるようなのんびりした時間を過ごした後
不思議な体験を経て『ヨーロッパ 静止した時間』(1967)を発表しました。



歴史を感じた『ヨーロッパ 静止した時間』『スペイン 偉大なる午後』

マロニエの並木道を恋人たちは黙って歩いていた
20代のあとを30代の男と女が
30代の後を50代の二人がと
その姿は老年に至るまで
まるで一つの相似形の流れを見るように
僕の目の前に現れては消えていった
僕はわずか10分間の間に
人間の一生の姿を見せられている思いがした
そして彼らが通り過ぎたその後にくる死の時間を思った

こうして立ち現れては過ぎ去る死の時間を
奈良原は「静止した時間」と呼び作品に昇華させました。
奥様によれば
全てが焼かれ、それまで受けていた教育が否定されて
「歴史教育をちゃんとされてなかった」世代の人間として
ヨーロッパの歴史の積み重ねについて重く受け止めていたようです。
とくに惹きつけられたのはスペインで、
マドリードの闘牛やまだ近代化の波が届いていない僻地の集落の写真をのこしています。
積み上げられた歴史とその根底にある古き良き時代、
それに魅力を感じながらもただ失われていくことを惜しんで留めようとしない、
変わっていく先の未来を信じるしかない、というのが
奈良原のスタンスであると世田谷美術館の塚田さんは話しています。
放送当時、世田谷美術館では「奈良原一高のスペイン 約束の旅」を開催しており
『スペイン 偉大なる午後』(1969)と、
『ヨーロッパ 静止した時間』から選んだ作品を展示していました。
療養中だった奈良原も家族と会場を訪れていたそうです。

『消滅した時間』に人類の未来を見る

1970年代のアメリカ、近代化の最先端であり宇宙開発も始まっていた土地で、
『消滅した時間』(1975)が撮影されました。
NASAによるアポロ17号打ち上げの瞬間を写真に収めた奈良原は
さらに足元の草を見つめて
「何気ないその世界が急にたまらなく愛おしいものに思えた」といいます。
敗戦によって信じるものを失ったあと「魂の故郷を探し求め」た旅は、
日本、ヨーロッパ、アメリカを経て宇宙へ出て行くロケットを見送り
国籍を超えて地球に生きる喜びを得たことで終わったのでしょうか。