日曜美術館「風景の叙情詩人 広重の雪・月・雨」(2023.5.7)

歌川広重の画業を代表する名所絵から雪・月・雨の名作を選りすぐり、平泉成さんの味のある語りに乗せて紹介します。
2020年9月13日の「日本の原風景 〜広重の “木曽海道六十九次”〜」の映像も。

2023年5月7日の日曜美術館
「風景の叙情詩人 広重の雪・月・雨」

放送日時 5月7日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月14日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

自然の変化を巧みに織り交ぜて日本の風景を情緒豊かに描き出し、“風景の叙情詩人” と呼ばれる歌川広重。広重の全画業の中で選りすぐりの名品といわれるのは、どれも雪・月・雨をあしらった風景ばかりである。雪が降る村里の光景(「東海道五十三次・蒲原」)やにわか雨に襲われ橋を駈ける人々(「名所江戸百景・大はしあたけの夕立」)など、広重の雪、月、雨の名品を選び出し “風景の叙情詩人” の神髄を紹介する。(日曜美術館ホームページより)

出演
高橋由貴子 (高橋工房代表)
大久保純一 (国立歴史民俗博物館教授)
早田憲康 (摺師)
渡辺英次 (摺師)
岡田拓也 (摺師)
神谷浩 (徳川美術館副館長)


歌川広重と名所・風景画の世界

歌川広重(1797-1858)は江戸の火消同心の息子で、本名を安藤重右衛門(幼名は徳太郎)といいます。
1809年に両親が亡くなったために13歳で家督を継ぎ、副業に絵を描いて家計を支えていました。
十代半ばで正式に歌川豊広の門人となって「広重」を名乗り、プロの絵師としてスタートを切ります。

初めのうちは美人画、役者絵、武者絵、おもちゃ絵(子ども用の絵本や玩具として楽しむ絵)、読み本の挿絵などを幅広く描いていましたが、人気はいまひとつ。
それでも20歳を過ぎたころから仕事の注文が入るようになります。
火消同心としても真面目に仕事を続けていましたが、後に火消は息子に譲り、絵師一本でやっていくことになりました。

そして1830年頃、江戸とその近郊を叙情豊かに描いた版画集「東都名所」を発表して高く評価されました。
これをきっかけに風景画家としての地位を確立した広重は、その後も「東海道五拾三次」「近江八景」「江戸近郊八景」など名所絵を発表して成功をおさめます。
江戸庶民の間で伊勢参りをはじめとする名所への旅が人気になったのは、広重が火付け役となった名所絵の流行がきっかけだそうです。

2020年の日曜美術館「日本の原風景〜広重の “木曽海道六十九次”〜」では、渓斎英泉(1790-1848)から引き継いで完成させた「木曽海道六拾九次」の中から広重の傑作が紹介されました。


歌川広重の「雪」

雪の名所絵

「雪」の章では、8点が紹介されました。

雪が降り積もる山道を馬で行く旅人の一行を正面から捉えた《木曽海道六拾九次之内 大井》。
雷門の大提灯越しに眺める雪景色の中、ちらちらと見える建物の朱色が鮮やかな《名所江戸百景 浅草金龍山》。
暗い夜空から海へと雪が静かに降る《六十余州名所図会 壱岐 志作》。
雪に覆われた山々とそのふもとを流れる川の風景を3枚続きの大画面いっぱいに描いた《木曽路之山川》。
天高く飛ぶ大鷲の視点から雪の平野を見下ろす《名所江戸百景 深川洲崎十万坪》。
朝焼けの中、木々を覆う雪の白と影の黒の対比が鮮やかな《東海道五拾三次之内 亀山 雪晴》。
雪が静かに降り積もっていく夜道で、蓑笠姿の2人と番傘をさした人がすれ違う一瞬の開港を描く《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》。

いずれもこんもりとした雪の質感や、雪が音を吸い込んでしまったかのような静かな空気が伝わってきます。

雪の質感の秘密

国立歴史民俗博物館の大久保純一さんは《木曽路之山川》の雪山の立体感の秘密は二点透視法による遠近感だといいます。
広重は作品の中で様々な遠近法を使い、江戸時代ではかなり高レベルに達していました。
(逆に、広重以外だとうまく描ける人があまりいないとか…)

雪の質感を表現ためには、摺師の技術も重要です。
日曜美術館では摺師の早田憲康さんが、「雪」の作品の中から《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》の摺の工程を再現しました。

浮世絵の摺は、まず墨の輪郭を摺った後あと、一色ずつ色を重ね摺りしていきます。
雪の部分は先に水を置いた版木に墨を置くことでぼかしを入れ、場所ごとに墨の濃さを変えて陰影を表現します。
ぼかした墨を摺り重ねる回数は10回。最後に残った摺り残しの白がハイライトとなって、画面に真っ白い雪とその上に落ちる柔らかな影が現れました。

高橋工房の高橋由貴子さんは、いかにもふんわりした雪としんとした音のなさが伝わってくる風景に「流石だなあ広重は、詩人だなと思います」と語っています。


歌川広重の「月」

月の名所絵

「月」の章では以下の7点が取り上げられています。

大きな月をバックに群れ飛ぶ雁を描き、切手の図案にも採用された《月に雁》。
薄雲のかかった満月が芝居帰りの人々でにぎわう通りを見下ろす《名所江戸百景 猿わか町よるの景》。
月の形も不確かな霧に包まれた中、家路をたどる(一説には夜逃げとも…)5人家族を描く《木曽海道六拾九次之内 宮ノ越》。
満月の下に広がる海とじぐざぐの地形を3枚続きで表した《武陽金沢八勝夜景》。
橋の下、篝火をたいた白魚漁の船が浮かぶ川面から半月と星を見上げるような《名所江戸百景 永代橋佃しま》。
画面手前を明るく、奥は濃淡2種類の隅で影絵のように描き、月明かりの陰影を際立たせる《木曽海道六拾九次之内 長久保》。
夕焼けがわずかに残る空に満月が浮かぶ下、川を下っていく船を描いた《木曽海道六拾九次之内 洗馬》。

圧倒的に満月が多い印象がありますが、やはり絵になるのでしょうか。
大久保さんによると《武陽金沢八勝夜景》は広重が実際に現地に訪れた旅日記のスケッチをもとに描かれたものですが、同じ地形を描いたスケッチの聖書では昼の風景が描かれていました。
広重の想像した夜の風景でも、空にはやはり満月がかかっています。

黄昏時の空を再現

広重の屈指の名作《木曽海道六拾九次之内 洗馬》は、過去の「日本の原風景〜広重の “木曽海道六十九次”〜」で再現されました。
今回もその映像が使われています。

渡辺英次さんが再現する《木曽海道六拾九次之内 洗馬》は、輪郭線からはじまって一色ずつ摺り重ねる工程の後、最後の仕上げをほどこします。
薄い藍色の空に白く摺り残された月の周りに、少し濃い青のぼかしを入れることで、月がくっきりと浮かび上がりました。
ぼかしの工程は版木の上で水と絵の具を重ねてにじませるため、同じ版木から摺ったものでも「厳密に言ったら1枚1枚絶対に同じものはないんです」と渡辺さんは言います。


歌川広重の「雨」

雨の名所絵

「雨」の章で紹介されたのは、こちらの6点です。

田植えの人々に降る子糠雨(細かい雨)を暗い木々をバックに白く表現した《六十余州名所図会 伯耆 大野 大山遠望》。
松の巨木がかすんで見えるほど激しい雨が地面にまっすぐ落ちてくる様子を描く《近江八景之内 唐崎夜雨》。
春の長雨で道もぬかるむ中、大名行列が水かさを増した急流を渡っていく《東海道五拾三次之内 土山 春之雨》。
激しいにわか雨が竹藪を揺らし、道行く人々が慌てて駆けだす《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》。
すさまじい雨風が吹き荒れる様子をグレーの帯を幾筋もかけるように表した《六十余州名所図会 美作 山伏谷》。
夕立に見舞われた人々が、雨をよけながら大橋の上を駆けていく《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》。

「雪」「月」よりもバリエーションが豊富な「雨」の描き分けが見どころです。

雨雲・雨脚の仕掛け

徳川美術館副館長の神谷浩さんは《東海道五拾三次之内 庄野 白雨》の中に登場人物の顔が描かれていないことで、逆に顔や表情を想像して絵の中に入っていける仕組みがあると指摘します。
神谷さんはこの絵に子どものころの記憶を重ねて感情移入してしまうんだとか。

岡田拓也さんが再現する《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》は、重く垂れこめた雲と激しい雨の表現がポイント。
雲の表現はほとんどの色を重ねた後、まず空に薄墨を水平にかける「一文字ぼかし」をかけて、その上に手でムラをつける「あてなしぼかし」で雲を表現します。
これを5回重ねて雲を重く垂れこめさせ、最後に雨の線を2回重ねました。
雨の摺りは斜めの薄い線とややまっすぐな濃い線の2種類を重ねることで、木の橋を叩きつける雨の強さが伝わってきます。

広重の作品では、自分が絵の中に入って音・寒さ・にぎわいを直接感じている気分になる事が多いという高橋さんは、この作品でも雨粒の落ちるザーッという音がしっかり入ってくるそうです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする