ベルサイユのばらとヴィジェ=ルブラン ― 王妃と画家と子どもたち

ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)は18世紀から19世紀にかけて活躍した女性で、王妃マリー・アントワネット(1755-1793)お気に入りの肖像画家でした。
日本ではあまり知られていない画家ですが、革命前後のフランスを描く歴史漫画『ベルサイユのばら』でも重要な役割を担っています。

『ベルサイユのばら』(池田理代子作。集英社、1972-1973)の主役のひとりである王妃マリー・アントワネットの衣装を描くために、ヴィジェ=ルブランによる肖像画は大いに参考にされたそうです。
(『ベルサイユのばらの真実』新潮社、2025)
また『ベルサイユのばら』の短いながらも印象的なシーンに、ヴィジェ=ルブランが登場しています。

『ベルサイユのばら』のヴィジェ=ルブラン

ヴィジェ=ルブランは、『ベルサイユのばら』内では「ヴィジェ・ルブラン夫人」と呼ばれています。
残念ながら主人公であるオスカル(男として育てられた貴族の令嬢。この頃は王妃付きの近衛士官という設定)との交流は描かれませんが、マリー・アントワネットのお気に入り同士、ベルばら世界では面識があったかも…などと想像してしまいます。

ヴィジェ=ルブランについてはこちらの記事もどうぞ
ヴィジェ=ルブラン ― マリー・アントワネットの肖像画家の絵を日本で!

ヴィジェ=ルブランの『ベルサイユのばら』登場シーン

あ…ルブラン夫人 どうぞそのまま すわっていらっしゃい!絵の具は わたしがひろいましょう
(集英社文庫版『ベルサイユのばら』1巻、348頁)

ルイ16世の即位から間もないベルサイユ宮殿の一室。
王妃マリー・アントワネットがソファに腰かけ、ヴィジェ=ルブラン(ここでは「ヴィジェ・ルブラン夫人」)はその姿を描こうとキャンバスにむかっています。
王妃の肌があまりにも美しくすきとおっていて、どんな絵の具を使ってもその色がでない…とため息をつくヴィジェ=ルブラン。
王妃は妊娠している彼女を気遣い、「あまりむりをしないでくださいね」と声をかけました。

体調が優れないせいか、ヴィジェ=ルブランは絵の道具を取り落としてしまいます。
床に散らばった絵の具のチューブをあわてて拾おうとする画家を「おなかがそんなに大きくなっているんですもの かがんではいけません」と制し、手ずから絵の具を拾う王妃に、ヴィジェ=ルブランも感激するのですが…

「母になるというのは…きっとどんなにか しあわせな気持ちでしょうね…」と、独り言のように語るマリー・アントワネット。
ヴィジェ=ルブランの「いつかお子さまを おうみになれますわ…きっと…」という言葉にも表情は晴れないままでした。

国王ルイ16世が即位したのは1774年で、1770年にマリー・アントワネットと結婚してから4年が経過しています。
世継ぎの王子誕生が期待されるなか、夫妻の間にはまだ性交渉がなく、子どもなど望むべくもありません。
(ルイ16世に肉体的な欠陥があったと言われています)
ほんの3ページですが、王妃の優しさと孤独を描いた印象深いシーンです。


「子どもを持てない王妃」と「子どもを授かった画家」という演出

ヴィジェ=ルブランが晩年に著した回想録によると、王妃が妊娠中の画家のために画材を拾ったエピソードは実際にあったことだそうです。
もしかして本当にこんなやりとりが…と思ってしまいますが、漫画と実際の出来事は、すこし違います。
『ベルサイユのばら』は歴史を元にしたフィクションですから、歴史的な正確さを持ち出すのは野暮の極みですが…少しだけ、現実の歴史を振り返ってみましょう。

『ベルサイユのばら』と、現実の王妃と画家

子どもを産んだのは王妃が先

マリー・アントワネットは、結婚8年目に長女マリー・テレーズ(1778-1851)を授かっています。
ちなみにヴィジェ=ルブランが長女のジュリー(1780‐1819)を出産したのはマリー・テレーズ誕生の2年後で、実際にはマリー・アントワネットの方が先に子供を産んでるわけです。

ヴィジェ=ルブランが初めてマリー・アントワネットをモデルに肖像画を描いたのは1778年で、マリー・テレーズが生まれた後でした。
(ヴィジェ=ルブランは1776年から1777にかけてベルサイユでマリー・アントワネットの肖像画を描いたこともありますが、その時は別の画家の作品を模写したそうです)

マリー・アントワネットがヴィジェ=ルブランの落とした画材を拾ったエピソードはヴィジェ=ルブランが2人目の子どもを妊娠していた時のことで、1783〜1784年頃と思われます。
ルイ16世の即位から10年近く後のことですから、作品内の設定はだいぶ早められていますね。

マリー・アントワネットはさらに長男ルイ・ジョゼフ(1781-1789)、次男ルイ・シャルル(1785-1795.のちのルイ17世)、次女マリー・ソフィー(1786-1787)を出産していますから、1783年の時点では2人の子供がいました。
現実でマリー・アントワネットが画材を拾ったとしたら、それは妊娠経験者としての共感と思いやりだったのかもしれません。

『ベルサイユのばら』の演出

個人的には「おなかに赤ちゃんがいるとかがむのが辛いのよね、わかるわ…」なんて言うマリー・アントワネットも素敵だったと思いますが、作者の池田理代子先生はあえてそうしませんでした。
ここで「子どもを持てない王妃」に対して「子どもを授かった画家」を配置することで、マリー・アントワネットの悲しみや寄る辺のなさは一層強調されているように思えます。
(世継ぎを産むのは王妃の仕事ですから、子どもがいないことは彼女の立場をも不安定にしていたはずです)
このシーンがあることで、マリー・アントワネットが遊興や貴公子フェルゼンとの恋愛にのめり込んでいく展開の説得力も増すのではないでしょうか。


王妃と画家の子どもたち…その後

ご存じの通り、マリー・アントワネットはフランス革命で処刑されました。
彼女が産んだ子どもたちで、大人になることができたのはマリー・テレーズだけです。
長男のルイ・ジョゼフと次女のマリー・ソフィーはそれぞれ7歳と1歳未満で、革命が起きるよりも早く亡くなっています。
次男のルイ・シャルルは両親の処刑後も幽閉され続け、病死しました。
マリー・テレーズは父方のいとこと結婚しましたが子どもに恵まれず、彼女の死とともにルイ16世とマリー・アントワネットの子孫は絶えています。

一方『ベルサイユのばら』では幸福な母親として描かれたヴィジェ=ルブランですが、マリー・アントワネットが画材を拾った時に身籠っていた子どもは1784年に流産しています。
フランス革命が始まると、ヴィジェ=ルブランは一人娘になったジュリーを連れてパリを脱出し、以後10年以上も亡命生活を送ることになりました。
ジュリーは亡命先のロシアで母親の反対を押し切って結婚し、ヴィジェ=ルブランの元を去ります。
母娘は革命後のパリで再会したものの、ジュリーは39歳で病死。子どもはいませんでした。

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