美術館に行って墨蹟(墨で書いた文字)や日本画を見ると、
多くは周りに布や紙を貼って「表具(表装)」されています。
これらの表具は鑑賞する人の記憶に残ることが少なく、
美術館の図録や絵ハガキにも滅多に収録されない脇役ですが、
作品の印象に大きく影響することもあります。
「表具」または「表装」とは、
書や絵画に紙や布で裏打ちをし、
掛け軸・巻物・冊子・屏風などの形に仕立てることをいいます。
表具が示す範囲は非常に広いのですが、
ここでは最もよく見かける(と思う)掛け軸をとりあげて、
掛け軸を構成する部位の名称、様式の違い、歴史などを簡単にまとめてみました。
(参考:山本元著・宇佐美直八監修『裱具の栞』芸艸堂,1974)
表具(掛け軸の場合)― 部位の名前と読み方
例に挙げるのは、掛け軸の中でもっとも基本的な
「行の行」の様式(三段表装とも)です。
実際には裏側にもさまざまなパーツがあって
貼り付けた紙の下にも保護用の紙が層に貼られているのですが、
ここでは壁に掛けた状態で見える部分を紹介します。
本紙(ほんし)
書や画が書(描)かれている紙や絹のことで、
「料紙」(りょうし)・「料絹」(りょうけん)ともいいます。
これを補強し、布や紙を貼って装飾することが「表具」なので
「表具」ではありませんが、これが無ければ成立しない重要な部位です。
お茶の席で床の間の掛軸を鑑賞する時は
本紙に近い部分から見ていくと記憶に残りやすいそうなので、
ここでもその順番にしたがって行きましょう。
一文字(いちもんじ)
本紙の上下にある横長のパーツです。
漢字の「一」の形をしているためにこう呼ばれます。
中廻し(ちゅうまわし)
本紙と一文字の周囲をぐるりと取り囲んでいる部分。
略して「中」(ちゅう)。「中縁」(ちゅうべり)とも言われます。
このうち、本紙の左右にあたる部分を特に「柱」(はしら)と呼ぶこともあります。
天地(てんち)
または「上下」(じょうげ)。
その名のとおり、中廻しの天地(上下)にある部分です。
「地題」(じだい)ともいい、この場合は
天を「上地題」(じょうじだい)、地を「下地題」(げじだい)と呼びます。
「行の行」の様式が「三段表装」と呼ばれるのは、上(または下)から本紙まで3種類のパーツがあるためです。
風帯(ふうたい)・露(つゆ)
天の幅を三等分した境目に下がっている2本の帯で、
一文字と同じ裂で仕立てます。
(ごく細い掛け軸の場合は、真ん中に1本だけ下げることもあります)
中国では「払燕」「驚燕」と呼ばれており、元は鳥よけだったようです。
上だけ固定した「垂風袋」(さげふうたい)が本式で、
下まで貼り付けてある「押風袋」(おしふうたい)は略式になります。
垂風袋の先についている小さな糸の房は「露」といい、
大抵は白ですが水色など色糸を使うこともあります。
軸(じく)と軸木(じくぎ)
収納の時に掛け軸を巻き付ける円柱形の棒が軸木で、
包まれているために表からは見えません。
この部分は壁に掛けた時に一番下にくるので、重石の役目もあるのでしょう。
両側に飛びだしている部分は単に「軸」と呼ぶほかに
「軸先」(じくさき)・「軸頭」(じくがしら)・「軸首」(じくしゅ)・「軸端」(じくばな)
などの呼び名があります。
巻いたり広げたりする際の手掛かりになるほかに
素材やデザインなどを工夫する部分でもあって、
木製・竹製・塗り物・金属・水晶・陶器・象牙など、さまざまな素材が使われます。
形も様々ですが、大まかには
まっすぐな「すぐ軸」
軸先が太鼓のバチのように膨らんだ形の「ばち軸」
渦巻型の「うず軸」
に分かれ、格はうず軸が最上で、すぐ軸が一番下になります。
八双(はっそう)・環(かん)・啄木(たくぼく)
軸木の反対側、一番上にくる部分に入っている棒です。
こちらは断面が丸ではなく半円になっているのが特徴。
(巻き終わりの始末を考えてのことで、時代によっては四角形・三角形のことも)
「表木」(ひょうもく)・「表軸」(ひょうじく)・「半月」(はんげつ)
などの呼び名があります。
現在は軸木と同じ木で作りますが、
昔は竹を使っていたことから「裱紙竹」(ひょうしたけ)とも。
これも包まれているために表からは見えませんが、
紐を通して壁にかけるための金具を取り付ける重要な部分です。
(これが無ければ「掛け」軸になりません)
また、天地の両端が内側に曲がってこないように支える役目もあるようです。
八双に打ち込む金属製の輪が「環」または「環座金」(かんざがね)、
環に通す紐を「啄木」(たくぼく)といい、このうち
壁にかける時に使う部分を「掛け雄」(かけお)、
掛け軸を巻いた時に結んでとめるのに使う部分を「巻き緒」(まきお)と呼びます。
表具裂の原則
表具に使う裂は、一文字と風帯・中廻し・天地にそれぞれ別のものを使い、
その際は本紙に近いものほど上等な裂を使うのが原則です。
またいくつかの掛軸をセットで飾る「対幅」は
それぞれ同じ規格・同じ裂で仕立てるのが普通ですが、
3つセットになった「三幅対」の場合(特に仏画を扱った本尊表具などは)、
中央の一幅のみ裂地を変えて左右よりも一段上等に仕立て、
サイズも大きくすることがあります。
掛け軸の様式と種類
掛け軸の表具には
- 「真」(格式が高い正式の形)
- 「行」(「真」をやや崩した形)
- 「草」(もっとも崩れた略式の形)
の様式があり、
さらにその中で「真」「行」「草」の3段階があります。
(もっとも格式が高いのが「真の真」、もっとも略式なのが「草の草」となります)
この様式は室町時代足利義政の同朋衆(将軍の近くで雑務や芸能にあたる人)が
定めたもので、茶道の席ではこれ以外を数に入れませんが、
実際には使う場面や人にあわせて様々な形があるようです。
行の様式
もっとも一般的な「行の行」様式は、上で説明したように
本紙の上下に一文字、その外側に中縁、さらに上下をつけたものです。
これに対して「行の真」は
一文字部分が中縁のように本紙の周囲を取り囲む形になっていて、
「一文字廻し」とも呼ばれます。
「行の草」は行の行から一文字を省略した形です。
真の様式
もっとも格式の高い真の様式は仏画など仏教に関するものに使うことが多く、
そのため「神聖表具」「本尊表具」ともいいます。
行の様式の天・地にあたる部分が、上下で切れずに
中縁の周りをぐるりと取り囲む形になっているため、
他の様式で天・地(上・下)にあたる部分は「総縁」と呼ばれます。
草の様式
行の様式から、中廻しの左右の柱をごく細くしたものが草の様式になります。
草の様式は略式のため「草の行」「草の草」の2種類のみで、「草の真」はありません。
(つまり、真・行・草の様式は全部で8つになります)
それ以外
そのほかにも、短冊・色紙・扇面など
規格外の作品を地紙(画仙紙や唐紙の台紙)に貼って表装した「台表具」、
行の様式に似た形でより格式の高い「大和表具」、
天・地を一続きにして中廻しを略す(風袋・一文字も略す場合が)簡素な「袋表具」、
さらには洋風の住宅に合うように裂と額縁を組み合わせた「額装」など、
色々な形があります。
お手持ちの書画を表装する機会があったら、
ぜひ表具屋さんとよく相談して、
本紙にも生活環境にもマッチする逸品を仕立ててください。
表具・表装の歴史
表具に関するルールは長い歴史の中で徐々に作られていったものです。
そもそも「表具・表装」といった言葉自体が
安土桃山時代と、比較的最近になって生まれたものでした。
表具のはじまり―「裱褙師」と「経師」
表具の技術は、鎌倉時代頃に仏画を保護・装飾する技術として、
中国(宋時代)から伝わってきた掛物を真似ることからはじまりました。
書画の表装をする職人は、現在は主に「表具師」と呼ばれていますが、
元々「裱褙師」(ひょうほえし。表補衣・表布衣とも)と呼ばれていました。
この裱褙師とは別に経巻を仕立てる「経師」(きょうじ)と呼ばれる人々がいます。
奈良時代には「経師」というと写経師のことを指し、
巻子に仕立てる人は「装潢師」(そうこうし)と呼ばれていましたが、
平安後期からは経巻や巻子本の製本を行う人を経師と呼ぶようになりました。
このように表具師と経師の成り立ちは異なるのですが、
江戸時代頃から仕事の内容の区別がなくなっていったようです。
表具の成立
表具の様式が成立したのは、
床の間がある書院造の建築が建てられるようになった室町時代のことでした。
表具が専門の職業として成立したのもこのころです。
掛け軸と当時流行の茶道が結びついたことで、
格式に合わせた形が整理され「真・行・草」の様式が生まれました。
仕立てる際も外国から輸入された貴重な裂(布地)を使用するなど多様な工夫を凝らし、
依頼した人の好みに合わせた形がひとつの形式として定着した例もあります。
(千利休が好んだ「利休様〔りきゅうよう〕」など)
掛け軸の表具・表装はなぜ図録に入らないのか
見どころが多い表具ですが、図録や絵ハガキに収録されることは滅多にありません。
額縁のようなものですから当たり前と言えば当たり前なのですが…
理由としては、以下のようなものが考えられます。
本紙以外は「作品」ではない?
西洋画の額縁にも言えることですが、
本体である書画とそれ以外の部分を「作品」と「それ以外」に分けて
省略しても差し支えない、という考えがあるのかもしれません。
あたりまえですが、本紙の周りにまるで表具がしてあるかのように
表具のパーツなどを描き込んだ「描表装」(絵表具・画表具とも)は
ひとつの作品として収録されます。
(写真の絵ハガキは鈴木守一《桜花花雛図》細見美術館)
スペースの問題?
掛軸は全体的に細長いために、すべてを版面の中に収めようとすると
かなり縮小しなければならない上に、
左右に不自然な空白ができる、という理由もあるかもしれません。
こちらの絵ハガキ(伝 牧谿《叭々鳥図》五島美術館)は
一文字と中廻しの一部が入っている珍しいタイプ。
本紙を中心に、葉書にあわせてトリミングしてあります。
表具は取り換え・作り変えるもの?
一番の問題は、表具は紙や布を素材としており
定期的に取り換える必要がある、ということかもしれません。
(木製や金属製の額縁にはあまりない問題です)
掛け軸や絵巻物は巻いて保管するものですから、
巻いたり伸ばしたりを繰り返すうちに
貼り合わせた紙が浮き上がって剥がれたり、
折り目がついたり、摩擦で表面が摩耗したりといった劣化が起きます。
それ以外にも虫・カビ・光による退色などの危険があるため、
表具は定期的な仕立て直しが必要になります。
また個人所有の美術品の場合は、所有者の好みに合わせて裂を変えることもあれば、
掛け軸を額装に作り直すような形の変化もありえます。
鎌倉時代の絵巻が分割販売され、それぞれ掛軸に仕立て直された
《佐竹本三十六歌仙絵》などは有名な例でしょう。
表具と本紙を両方楽しむ
表具はあくまでも書や絵を引き立てる脇役ですし
変化することも多いものですから、省略されるのは当然。
しかしながら、なかなか見どころの多い部分でもあります。
特に掛軸では全体に占める面積が非常に大きいため、
表具が無くなったり変わったりすると
作品全体の印象が大きく変わって見えることがあります。
日本画の展覧会などで表具を見る時は本紙と合わせて鑑賞すると、
作品の新しい一面が見えてくることもあるかもしれません。