山種美術館の黒猫 速水御舟の《翠苔緑芝》

近代日本画を専門とする山種美術館所蔵の「猫の絵」といえば
竹内栖鳳の《班猫》(1924)が有名です。
体を丸めた猫を描いたこの作品は
山種美術館のTwitterでアイコンに採用されているほか
リーフレットや館内の案内でも見かける看板的存在ですが、
これに加えて「裏看板」とでも呼びたいような猫の絵があります。

速水御舟《翠苔緑芝》(1928)の黒猫


《翠苔緑芝》1928
紙本金地・彩色 屏風(4曲1双) 各172.6×362.4cm

正確に言うなら「猫の絵」ではなく
「黒猫と白ウサギのいる風景を描いた屏風」でしょうか。
(写真は絵ハガキですが…)
明治の後半から昭和のはじめにかけて活躍した
速水御舟(1894-1935)の代表作のひとつです。

金色一色の地に緑の大地が島のように浮かび(土坡)、
そこに植物と動物が配置されています。
金屏風に装飾的なモチーフを配置する画面構成は、
琳派を意識したものだそうです。

向かって右の屏風(右隻)の中央には
いくつかの島が重なりあって大きな島をつくり、
そこに生えている琵琶の樹の下に黒い猫が丸くなっています。
緑の島は単純な形で平坦な塗りに見えますが
ひとつひとつの色が微妙に異なり、
それが重なり合うことで立体感と奥行きを感じます。

黒猫の金色の目は、向かって左の屏風(左隻)に向けられているようです。
こちらに描かれているのは、
芝生の上でくつろいだ様子の白ウサギ2羽と
青と白の花をたくさんつけた紫陽花の樹。
ウサギのいる場所よりも手前に配置された紫陽花の葉は鮮やかで、
分厚く塗った胡粉と群青の重なりで立体的に表現された花とあわせて
こちら側にせり出してくるような印象を受けます。

紫陽花の花の胡粉部分には細かいひび割れが入っていて
独特の質感を生み出しています。
御舟はこの技法を誰にも教えませんでしたが、
絵の具を急激に乾燥させることがポイントのようです。
また葉の下塗りに毒性が強く下地を腐らせるために嫌われた
花緑青(ドイツで開発された人工顔料)を使い、
これが原因で花緑青が大流行したそうです。
(花緑青に顔料の緑青を重ねると色が冴えるんだとか)

御舟は伝統的なやりかたにこだわらず
新しい技法を取り入れた作品を多く残しており、
《翠苔緑芝》もそのひとつでした。

実はグッズも充実 《翠苔緑芝》の黒猫


《翠苔緑芝》の黒猫は、ミュージアムショップでも人気があります。
絵ハガキやクリアファイルはもちろん、
付箋、ポチ袋、レターセット、手ぬぐい、ミニタオル…
ちょっと変わったところでは
絵ハガキとセットになった和菓子用の「菓子切り」(紫檀)と、
グッズ展開だけなら《班猫》をしのぐ充実ぶり。
シンプルな(それでいていかにも猫らしい)形が、
グッズとして取り入れやすいせいでしょうか。
(マスキングテープにはウサギと紫陽花が採用されています)


速水御舟(1894-1935)について

早見御舟の本名は、蒔田榮一といいます。
上に兄と姉、下に妹2人がいる5人兄弟姉妹の真ん中に生まれた彼は、
15歳の時に母方の祖母の養子になりました。
20歳で画号を「御舟」と改めた時、あわせて速水姓を名乗るようになったそうです。

画家としてのスタート(安雅堂塾入門と今村紫紅の影響)

「幼い時から絵は好きで隙さへあれば絵を描いてゐた」という榮一は、
14歳の時に歴史人物画の大家・松本楓湖(1840-1923)に弟子入りしました。
(師匠がつけた画号は「禾湖」でしたが、以下では「御舟」とします)
楓湖の教える安雅堂塾は徹底した放任主義で、
御舟は中国や日本の古い絵画の写しを模写して日本画の技術を身につける他に、
先輩たちから助言されて写生にも力を入れていたそうです。

明治末から大正はじめにかけては、近代日本美術の発展期。
1898年には岡倉天心(1863-1913)たちが日本美術院を創立し、
1907年には文展の第1回(文部省第1回美術展覧会)が開催されました。
西洋からやってきた新しい流れを取り入れた若い美術家たちが
様々な分野で活躍していた時代です。
御舟も16歳で青年画家たちの美術団体「巽画会」の展覧会に、
秋草のしげる庭にたたずむ平安風の装束を着た少女を描いた
《小春》(1910、桑山美術館)を出品し、
画家としての第一歩を踏み出しました。

巽画会の審査員だった今村紫紅(1880-1916)は御舟より14歳年上で、
安雅堂塾の先輩でもあります。
江戸期の南画(中国南宋時代の文人画に影響を受けた山水画)に注目し、
大和絵や西洋の印象派の要素を加えた「新南画」を確立した紫紅は
1916年に30代なかばで急逝しますが、
当時の若い画家たちに大きな影響を与えました。
紫紅を兄のように慕っていたという御舟も大いに刺激され、
この頃は新南画調の風景画を多く描いています。


模索と挑戦(画風・技法の変化)

1917年に院展に出品した《洛外六題》の連作(関東大震災で焼失)は、
紫紅の様式を受け継いだ風景画でした。
この作品が高い評価を得たことで日本美術院の同人となった御舟ですが、
この頃から従来の日本画の常識を離れた実験的試みがはじまったようです。

画壇で酷評された《京の舞妓》(1920、東京国立博物館)など、
写実と細密描写を追求した作品を描いたのはこの頃。
同時期に洋画では岸田劉生(1891-1929)が写実表現を研究しており、
御舟は洋画からも影響を受けていたかもしれません。
(御舟と劉生は後に交流をもつようになります)

30代前半頃の御舟は、写実と古典の様式・技法を組み合わせた作品を
次々と世に送り出しています。
《翠苔緑芝》、また重要文化財に指定されている2作品
《炎舞》(1925、山種美術館)と《名樹散椿》(1929、山種美術館)も、
この時期に制作されたものです。
代表作(特に《炎舞》は、日本美術史においても重要な作品と言われています)
が生まれたこの時期を御舟の画業のピークと見ることもできますが、
御舟はこれに飽き足らず、更なる境地を目指し続けました。

1930年、イタリアで開催されたローマ美術展への出品がきっかけで
10か月かけてヨーロッパを旅行した御舟は、
イタリアをはじめ各地の美術館や寺院などの名所を積極的に見学しています。
この旅行で人物デッサンを基礎に置くヨーロッパの絵画に影響をうけ、
《京の舞妓》以来遠ざかっていた人物画にも再挑戦するようになります。
この頃は、部分的に淡口コバルト紫などの西洋絵具を使った
《和蘭陀菊図》(1931、山種美術館)や、
料紙と墨の特徴を活かした 《牡丹花(墨牡丹)》(1934、山種美術館)など、
独自の技術を存分に発揮した花鳥画も描かれています。

芸術は常により深く進展していかねばならない。
だからその中道に出来た型はどんどん破壊して行かねばならない。

と語ったとおり、常に新しい絵画を開拓し続けた御舟は
1935年の3月に40歳の若さで亡くなりました。


山種美術館と速水御舟

速水御舟が画家として活動した期間は14歳からおよそ27年間。
その間におよそ700点の作品を残し、
現在まで残っている作品は600点ほどと言われています。
山種美術館には120点の御舟作品(素描をふくむ)が所蔵されており、
その中には《炎舞》(1925)と《名樹散椿》(1929)の
重要文化財2点も入っています。

旧安宅コレクションと山崎種二

充実したコレクションから「御舟の美術館」としても知られる山種美術館ですが、
120点のうち105点は、かつて三菱・三井・住友などと並んで
戦後の十大総合商社の一角であった安宅産業株式会社が、
安宅英一(1901-1994)の主導で、
演出家で演劇評論家でもあった武智鉄二(1912-1988)が収集していた
御舟の作品を購入したものでした。
安宅英一は創業者の長男で安宅産業の重役を歴任した人で、
クラシック音楽の支援や東洋陶磁の蒐集でも知られています。

安宅産業は1975年に石油事業の失敗で経営破綻におちいり、
1977年に伊藤忠商事に吸収合併されました。
(松本清張はこの事件をもとにして、小説『空の城』(1978)を書いています)
御舟の作品は1976年、山種美術財団に一括で売却されました。
《炎舞》《翠苔緑芝》《名樹散椿》も、旧安宅コレクションだったものです。

山種美術館の創始者である山崎種二(1893-1983)は
御舟の作品を好んで収集していたのですが、
御舟がもともと寡作かつ40歳で早世してしまったこともあり
直接交流したり作品を注文したりといった機会はなかったそうです。
それでも105点を一括購入するのは
(いかな伝説の相場師でも…)かなり勇気がいると思うのですが、
速水御舟の作品に対する愛のなせる業でしょうか。


【開館55周年記念特別展】
速水御舟と吉田善彦 ―師弟による超絶技巧の競演―(2021年)

「御舟美術館」である山種美術館は、
もとの施設があった日本橋兜町から渋谷区広尾に移転した
2009年(10月1日~11月29日)の
新美術館開館記念特別展 速水御舟-日本画への挑戦-

また2019年(6月8日~8月4日)には御舟の生誕125年と
山種美術館の渋谷区広尾移転10周年を記念した
【山種美術館 広尾開館10周年記念特別展】生誕125年記念 速水御舟

と、節目の時期に御舟コレクション全点公開が行われてきたほか、
御舟をテーマにした展覧会もたびたび開催されています。
もちろん、別のテーマの関連で御舟の作品が展示されることもありますから、
ファンとしてはチェックが欠かせないところ。

2021年9月現在は、兜町での開館(1966年7月)から55年目の年を記念して、
速水御舟の画業と、
御舟の弟子(姻戚でもある)でやはり日本画の伝統の上に独自の技法を加えた
独自の様式を築いた吉田善彦(1912-2001)を紹介する、
「速水御舟と吉田善彦 ―師弟による超絶技巧の競演―」が開催されています。
御舟の《炎舞》《翠苔緑芝》《名樹散椿》など代表的な作品も展示され、
画業の変遷と高度な技巧を見る貴重な機会です。

わたしは此方で初めて《翠苔緑芝》の実物を見たのですが、
黒猫が意外と大きいことに驚きました。
図録などの印刷物では全体を収録するとかなり縮小がかかるため、
実際よりも小さく見積もっていたようです。

【開館55周年記念特別展】
速水御舟と吉田善彦 ―師弟による超絶技巧の競演―(2021年)

山種美術館(東京都渋谷区広尾3-12-36)

2021年9月9日(木)~11月7日(日)

月曜休館(9月20日は開館し、21日休館)

火~金 10時~16時
土・日・祝日 10時~17時
※入場は閉館の30分前まで

一般 1,300円
大学生・高校生 1,000円
中学生以下 無料(付添者の同伴が必要)

公式ホームページ