鏑木清方《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》― 近代美人画三部作

鏑木清方(1878-1972)が、過ぎ去った明治の世に思いをはせて描いた
《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》の三部作。
清方が親しんだそれぞれの土地を表す風物を背景に、
当時の服装をした女性を立たせる構図は
明治30年代頃の風景を今に伝えています。

3つの作品は、清方の没後44年の行方不明の後、
2019年に東京国立近代美術館の所蔵となりました。

鏑木清方《築地明石町》 ― 知人をモデルに描いた、近代美人画三部作の筆頭

最初に描かれた《築地明石町》は
三部作の中でも特に人気が高く、また清方にとっても思い出深い作品だったようです。

鏑木清方《築地明石町》(1927)
軸装 173.5×74cm 絹本着色

明石町は、現在の中央区明石町にあたります。
1869年から1899年の治外法権撤廃まで外国人居留地(築地居留地)があり、
幼少期を築地界隈で過ごした清方は、この土地のハイカラな雰囲気を好んでいました。
実際には当時の地名は「京橋区明石町」なのですが、
「築地」の方が語呂が良いという理由で現在のタイトルになったんだとか。

後ろを振り向くようなポーズの女性の背景に、
佃の入り江に浮かぶ帆前船がぼやけて見えています。
足もとには終わりかけの朝顔が絡んだ水色の垣根があり、秋の風景だとわかります。
女性は水色の小紋の着物の上に黒い羽織をつけ、
髪はイギリス巻き(または夜会巻き)という形。
この髪型とちらりと見える羽織の赤い裏地は、
どちらも明治30年代に流行したものです。

《築地明石町》は、1927年(第8回)の帝展に出展され、
最高賞の「帝国美術院賞」を受賞しました。
発表時から人気が高く、絵をもとにした博多人形なども作られたそうです。
(今でいうグッズでしょうか?)

優れた文筆家でもあった清方は、文章でもたびたび昔の明石町の思い出や、
《築地明石町》という作品について、またモデルの江木ませ子さんについて触れています。
人気の作品だったため、書いてくれと頼まれる機会が多かったのかもしれませんが、
やはり清方自身も思い入れがあったのだと思います。
《築地明石町》をめぐる文章は、
『続 こしかたの記』(中央公論美術出版,1967)
『鏑木清方文集一 制作余談』(白鳳社,1979)
などで読むことができます。


清方一家と交流があった《築地明石町》のモデル・江木ませ子

《築地明石町》のモデル江木ませ子は、清方夫人(照)の女学校時代の友人でした。
父親は警視総監などを務めた政治家・関清秀。
農商務省の官僚・江木定男に嫁ぎ、
夫婦そろって泉鏡花のファンクラブ「鏡花会」に参加していました。
清方は鏡花会を通じて江木夫妻と付き合いがあり、
娘同士も友人だったそうです。

遠く回想する明石町の立ち罩(こ)めた朝霧のなかに、ふとこの俤が泛(う)かぶと共に、知人江木ませ子さんの、睫の濃い濡色の瞳が見えて、そうしてそこに姿を成した。この人は妻の同窓で、夫君定男さんも知己なり、泉君(泉鏡花)に頼まれて画の指南もした間柄なので画室に招いで親しく面影を写しとどめた。画面の袖を搔き合せて顧みる立姿は娘の清子を写したが、後にこの絵がパリで展観された時、ませ子さんの令嬢妙子さんが嫁いでその地に居合せ、学友の清子に思いがけなく異郷で母の俤にめぐり遇った悦びを伝えて来た。
(「山の手の住居」『続 こしかたの記』)

ポーズのモデルを清方の長女が担当したのは、
当時体を壊していたませ子の健康を考えてのことだったといいます。
清方は明治の中頃に女学生だったませ子を見かけた時のことを

私が好きでかく明治の中ごろ、新橋の駅がまだ汐留にあった時分で、もう出るのに間のない客車に、送るのと送られるのとふたりの美しい女学生を見た。送られる方は洋髪の人で車上にいる。ホームに立って送るのは桃割れで紫の袴を裾長にスラリとしたうしろ姿は、そのころ女学生をかくのにたくみだった半古さん(梶田半古)の絵のようであった。
昭和二年にかいた『築地明石町』に面影をうつしたM夫人はその時の桃割れの女学生だったひとで、私の家内と女学校のともだちなのだ。(後略)
(「M夫人」『鏑木清方文集一』)

と回想しています。
若いころから絵心をくすぐる美人だったようですね。
いま《築地明石町》を見ても、イギリス巻の似合う「上背のある美女」
(「『明石町』をかいたころ」『鏑木清方文集一』)
の面影がしのばれます。


鏑木清方《新富町》《浜町河岸》―「築地明石町左右姉妹作」

《新富町》と《浜町河岸》は《築地明石町》の3年後に追加で描かれました。
こちらは特別モデルはなく、理想化した女性の顔を描いたもののようです。

絵の寸法が同じで、構図にも共通点があること、
さらに鎌倉市鏑木清方記念美術館が所蔵する《新富町》《浜町河岸》の画稿に
「築地明石町左右姉妹作」などの文字があることから、
《築地明石町》にあわせて制作されたと考えられています。
(最初から三部作の構想があったかはわかりません)

鏑木清方《新富町》(1930)
軸装 173.5×74cm 絹本着色

新富町は現在の中央区新富で、有楽町線の駅に名前が残っています。
背景に描かれた劇場「新富座」は1872年に設立され、
(当時は守田座。1875年に新富座と改称)
1878年(清方が生まれたのと同じ年)に
ガス灯などの設備を備えた近代的な劇場として新築されました。
1923年の関東大震災で焼失し廃座となったため
絵が描かれた時期には既に失われています。

明治初めに新島原の遊郭が置かれていたことから(1871年に廃止)
当時の新富町には芸妓をかかえる置屋が残っており、
新富座が開業すると花街としてにぎわうようになりました。
ここに描かれている女性も新富の芸者です。
雨下駄を履いて蛇の目傘をさし、やや前のめりにどこかに急いでいる様子です。

鏑木清方《浜町河岸》(1930)
軸装 173.5×74cm 絹本着色

現在の日本橋浜町。
清方は、1906年の暮れから1912年まで6年ほどこの土地に住んでいました。
背景の火の見櫓は歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれたものでしたが、
関東大震災で失われています。

浜町には歌舞伎舞踊の振付けで一時代を築いた
二代目藤間勘衛門(1840-1925)の家がありました。
描かれている娘は踊りのお稽古の帰りなのか、
片手に舞扇を持ち、もう片方の手で振袖の袂をすくって
歩きながら踊りの振付けをさらっているようです。
島田に結った髪には、当時流行したバラの簪が。
八重咲の西洋バラは明治のはじめごろ日本にも知られるようになり、
大正時代には着物の柄などにも取り入れられるようになりました。


近代美人画三部作の行方不明 ―「幻の名作」と呼ばれる理由

文学の場合では作品が刊行されてさえいたら、戦争のような大きな破壊に出会っても、その作品が絶滅したり、行方を失うことはない。ところが美術品は、ひとたび作物が作者の手を離れたが最後、あてどのない旅へ出たか、人攫いにさらわれた子のように消息すら解らなくなって了う。別れたその日を命日と諦めるより他はない。
「作品のゆくへ」『鏑木清方文集一 制作余談』(初出1951)

と、清方も嘆いていますが、
この三部作も2度行方不明になったことがあります。

1度目は、終戦後におよそ10年間、
清方の展示会などに出なかったために色々な噂が飛び交っていたところ、
戦後連絡が取れなかった所有者(文章では「水原氏」と仮称)が
戦禍を免れた無事な姿を見せに来てくれた経緯を
清方が文章に残しています。(「明石町対面」『鏑木清方文集一』)

これを機会に《築地明石町》をはじめとする三部作(多くは《築地明石町》のみ)は
清方自身の仲介で展覧会に出されるようになりました。
「明石町対面」には、作品を大切に保管している所蔵者が
方々から出展を要求されてだいぶ苦しい思いをしたらしいことが書かれていますから、
(日本画は非常に傷みやすく、展示と保管の板挟みは避けて通れない問題です)
清方が間に入ったのかもしれません。

2度目の行方不明は清方の没後、
当時千代田区にあったサントリー美術館で開催された「回想の清方 その三」を最後に、
1975年から2019年までおよそ44年間も行方が知れなかったというもので、
こちらの期間が長かったために
もはや失われたような扱いで「幻の名作」と呼ばれたくらいです。

行方不明時に残っていた図版には良質なものが少なく
当時出版されたものにはまったく違った色に見えるものもあって、
三部作が再び発見された時には本来の色の美しさや線の繊細さに注目が集まりました。

(画像は2022年の図録と2014年の書籍)
現在三部作を所蔵している東京国立近代美術館では行方不明の間も
いずれ《築地明石町》をコレクションにくわえようと追跡・調査を続け、
2019年の6月に個人の所蔵となっていた三部作を購入。
同年の11月1日から12月15日まで
「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」を開催しました。


没後50年 鏑木清方展(東京国立近代美術館)

《築地明石町》をはじめとする三部作は、2019年末以来およそ2年ぶりの登場。
この展覧会では、東京・京都ともに全期間公開の予定です。

グッズも《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》の
「三部作」をセットにした商品が目立っていたように思います。
(こちらの「パタパタ一筆箋」は660円)

思えば、前回の公開は新型コロナウイルスの感染拡大がはじまる少し前。
ほんの2年の間にずいぶん色々なことがありました。
次回の公開はまた数年後になるのでしょうが、
次に公開されるときはもう少し落ち着いて平和な世の中であってほしいと思います。

千代田区北の丸公園3-1

2022年3月18日(金)~5月8日(日)

東京展終了後は京都国立近代美術館に巡回
(5月27日~7月10日)

月曜休館 (5月2日は開館)

9:30-17:00 (毎週金・土曜日は20時まで)
※入場は閉館の30分前まで

一般 1,800円
大学生 1,200円
高校生 700円

公式ホームページ