聖人とはどんな人? ― キリスト教絵画に見る奇跡の偉人たち

「聖人のような人」という言葉、だいたいの日本人は「良い人」「浮世離れした人」くらいの意味で使うと思います。
ところがヨーロッパの絵画や彫刻に頻繁に登場するキリスト教の「聖人」は、ただ善良な人・俗世を離れた人ではありません。

聖人とはどんな人?

西洋美術(文化)を学ぶなら、ギリシア・ローマの神話とキリスト教は必要不可欠だとよく言われます。
そこで「キリスト教なら聖書を読めばいいんだな」と納得して、『旧約聖書』『新約聖書』を読むだけでは十分ではありません。
ヨーロッパの美術や文学には実にたくさんの「聖〇〇」さんが登場します。

こうした聖人の中にはもちろん新約聖書に登場する人々(聖マリアと聖ヨセフ、洗礼者ヨハネ、12使徒、マグダラのマリア、マルタとマリアの姉妹とその兄弟ラザロなどなど…)もいるのですが、聖書の時代よりも後の人も大勢いるのです。

聖人とは?― キリスト教徒に崇敬される偉人たち

キリスト教の信仰を貫いて殉教した人(殉教者 martyr)や、困難の中で信仰を全うした人(証聖者 confessor)の中でも、他のキリスト教徒とは一線を画する特別な存在が「聖人 saint」の称号を与えられます。
聖人は英雄的なキリスト教信仰者であり、神の御許にいて人々と神様の間を取り持ってくれる存在として、世界中の信者から崇敬されています。

カトリック以外のキリスト教会(正教会など)でも聖人の認定をおこなっていて、教派ごとにメンバーの違いがあります。
なおプロテスタントでは、聖人の制度・崇敬する慣習どちらも認めていません。


聖人認定の条件 ― 必須条件は「奇跡」

聖人と認められるためには、現在では教皇庁列聖省の調査によって「殉教者であり、1件の奇跡があったこと」または「2件の奇跡があったこと」が確認されなければなりません。

必須条件の「奇跡」は、現代の医学では治せない病気が一瞬で完治するなど、人智を超えた超自然的なものです。

殉教者を聖人として崇敬する聖人信仰は、2世紀には既に確立していましたが、はじめの頃は「遺体が長時間腐らなかった」くらいで認定を受けていたそうです。
(現在では水中や湿地に置かれて屍蠟化したと考えられるケースも)
認定の仕組みも決まっておらず、地元の司教が確認する程度で聖人になっていました。

聖人の認定権が教皇庁の独占となって列聖の手続きや儀式などが整えられたのは、12世紀のことです。

なお、殉教をしていない証聖者が聖人に加わるようになったのは4世紀頃です。
キリスト教は313年の「ミラノ勅令」でローマ皇帝に合法と認められたので、英雄たちの戦いも「死を恐れず殉教すること」から「俗世のしがらみや誘惑に打ち勝って信仰を全うすること」に移り変わって行ったようです。


聖人への信仰(崇敬)

聖人はもともと人々の模範となる信仰者として尊敬されていたのですが、多神教の文化圏と接触するうちに、奇跡(病気平癒など)をもたらす存在、死後の救済を神にとりなしてくれる存在として信仰(神に捧げる「信仰」と区別して「崇敬」と言うことも)されるようになりました。

キリスト教とその前身になったユダヤ教は、唯一絶対の神を崇める一神教です。
これは、ギリシア・ローマをはじめとする神話伝説に親しんできたヨーロッパで受け入れられるためには非常に不利でした。
姿のない絶対的存在よりも美男美女で癖の強い神々の方が親しみやすいのは仕方のないことです。
また唯一神は現世における御利益を与えてくれるタイプではなく、その有難さが今一つ分からない…という問題もありました。

こうした部分を補うために発生したのが、聖人に対する崇敬です。
古い神々にかわって病気や事故などの災難を退け、日々の仕事や生活がうまくいくように守り、死後の安寧を保証してくれる存在を必要とした人々の受け皿になったのが聖人たちでした。
そして神々と英雄の伝説に代わり、聖人たちによる奇跡と殉教の伝説が語られ、数々の美術や文学の元になりました。

現在でも特定の成人に加護を祈る、洗礼名として聖人の名前をもらう、聖人の記念日(多くは命日)を盛大に祝うなど、日常の中にも様々な形の聖人信仰が根付いています。
教会が定める聖人暦では、1年の365日すべてが何らかの聖人の日に指定されているそうです。


キリスト教の偉人伝説と『黄金伝説』の登場

聖人たちの伝記は「読むべきもの(legenda)」と呼ばれ、教会で朗読されていたそうです。
それが伝えられていくうちにより魅力的な物語としてブラッシュアップされ、奇跡の伝説として完成されていきました。

聖人伝説の集大成としてもっとも有名なのが、13世紀(1266頃)にジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネによって編纂された『黄金伝説(レゲンダ・アウレア)』です。

各地の聖人伝説を収集しウォラギネ自身の創作も加えた大作は、序章を除いて全176章にわたり、百数十におよぶ聖人の伝記を収録しています。
現在知られている聖人伝説のほとんどはこの『黄金伝説』が典拠で、中世には聖書と並んで最も読まれた書籍でした。
発表された当初はタイトルがなく(当時は書籍に表題をつける習慣がなかったため)『諸聖人の伝記』などと呼ばれていたそうです。

日本では平凡社から全4巻が1979~1987年に刊行され、現在も平凡社ライブラリーで読むことができます。


聖人とキリスト教絵画

たとえば国立西洋美術館(東京都台東区、上野公園内)に行けば、各時代の聖人画を見つけることができるでしょう。
西洋美術の伝統的モチーフとして、聖人とその伝説は王道中の王道と言えます。
聖人の生涯を知りその徳を偲ぶために多くの彫刻や絵画が作られ、教会や王侯貴族の館を飾ってきました。

注文主や所有者にとってその聖人を崇敬している証でもありますから、聖人をモデルにした作品は描かれているのがどの聖人なのかはっきりわからなければなりません。
中世期には、絵の中の聖人の姿に名前を書き添えることもあったそうです。
もっとも当時は一般の人々の識字率が非常に低かったので、多くの人に分かってもらうためには一目でわかるような特徴が必要になります。
そこで13世紀頃から、特徴的な服装や持物など、それぞれの聖人を象徴する持物(アトリビュート)が添えられるようになりました。

聖人のアトリビュート

聖人のアトリビュートは、主にその生涯(特に殉教と奇跡のエピソード)や属性をあらわすものです。

たとえばこちらの画面上半分には大勢の聖人が描かれていますが、赤と青の衣装は聖マリア、家の模型は聖ヨセフ、焼き網は聖ラウレンティウス、車輪は聖カタリナ、切り取られた乳房は聖アガタ…など、聖人の特徴が確認できます。
レアンドロ・バッサーノ《最後の審判》1595-96頃。国立西洋美術館蔵
西洋美術館のホームページでは拡大して見ることができますので、ぜひ特定に挑戦してみてください。

時代が下ると「分かる人にはわかる」レベルのさり気ない描かれ方をしている作品も多くなります。

こちらに描かれている聖トマスは全身に槍を受けて殉教したと言われています(『黄金伝説』より)。
復活したキリストの脇に手を入れて槍に突かれた傷を確認したエピソードも。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》17世紀前半頃。国立西洋美術館蔵

なお、アトリビュートには個人を特定するものの他に、複数の聖人に共通するものもあります。
代表的なのが殉教者の象徴で、カトリックではナツメヤシの葉、正教会では十字架が使われます。
ナツメヤシは古代ギリシアで「勝利」の象徴とされていたことから「死への勝利」の象徴と読み替えて殉教者の象徴となったんだとか。
十字架はもちろん、十字架刑で命を落としたイエス・キリストの復活に由来します。

ちなみにナツメヤシは日本では「シュロ(棕櫚)」と訳されることも多いのですが、ナツメヤシとシュロはどちらもヤシ科に属するものの、別の植物です。
日本で親しまれていた唯一のヤシ科植物がシュロだったため、明治以降に海外の著作を翻訳する際に、ヤシ科の植物をすべて「シュロ」と翻訳することがたびたびあったそうです。

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