2024年11月にリニューアルオープンの三菱一号館美術館。
再開後初の展覧会は、ベル・エポックのパリで活躍した芸術家ロートレックが取り上げられます。
三菱一号館美術館が所蔵するロートレックのコレクションは、ロートレックの親友が引き継ぎ、その後も関係者の手で大切に保管されて来たもの。
世界でも有数の質と量を誇ります。
改修工事中、三菱一号館美術館の建物は所蔵するコレクションで覆われていました。
作者のアンリ・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)は、19世紀末のパリで画家・版画家・イラストレーターとして活躍したアーティストです。
南仏の古い伯爵家の長男に生まれ、10代の半ばで2度にわたる骨折のために両脚が成長しないハンディキャップを負いながら画家としての才能を開花させ、世紀末パリの都市に生きる人々をモデルにした作品を数多く残しました。
歓楽街モンマルトルを拠点に奔放な生活を続けた結果重度のアルコール依存症になり(梅毒も患っていたとのこと…)、36歳の若さで亡くなるというドラマティックな生涯もあってか、日本でも高い知名度と人気があります。
ロートレックとモーリス・ジョワイヤン
三菱一号館美術館が所蔵するロートレックコレクションの元所有者は、モーリス・ジョワイヤン(1864-1930)。
ロートレックを生涯にわたって支えた友人でもあります。
ジョワイヤンとロートレックは1872か1873年ごろ、パリのリセ・フォンタン(現リセ・コンドルセ)の学友として出会いました。
(ロートレックは1875年に健康上の理由でリセを退学)
その後法律を学んだジョワイヤンは大蔵省勤務を経て、出版・ジャーナリズムの世界に転身。
この時期にロートレックと再会したようで、編集者と挿絵画家として一緒に仕事をしています。
1890年、ジョワイヤンはブッソ・エ・ヴァラドン画廊(旧グーピル画廊)の支配人になりました。
前任の支配人テオドルス(テオ)・ファン・ゴッホは同年7月に亡くなったフィンセント・ファン・ゴッホの弟で、兄の死がきっかけで体を壊し入院していたそうです。
ロートレックは生前のゴッホと親しく、テオはフィンセントの勧めでロートレックの作品を購入したこともあります。
ジョワイヤンは作品の購入、個展の開催、さらに旅行に連れ出して酒場から引き離すなど、画商としても友人としてもロートレックを支えていました。
ロートレックが死の前年に描いたジョワイヤンの肖像画(トゥールーズ=ロートレック美術館所蔵)は、旅行先で鵜狩に興じる姿を描いたもので、長い時間の制作に耐えられなかったロートレックのために、モデルのジョワイヤンは何度もポーズをとったそうです。
ロートレックの没後、彼の両親から遺産の管理者に指名されたジョワイヤンは、回顧展の開催やコレクションの整理と目録の作成など、世の中にロートレックの芸術を知らしめることにも力を尽くします。
1920年にはロートレックの遺作をロートレックの故郷アルビ市に寄贈。
1922年、アルビ市に開館したトゥールーズ=ロートレック美術館が開館すると「トゥールーズ=ロートレック美術館友の会」を設立して初代会長に就任しました。
ロートレックの貴重な作品群「モーリス・ジョワイヤンコレクション」
現在三菱一号館美術館が所蔵しているロートレックのコレクションは、ジョワイヤン本人がロートレックの遺産として引き継ぎ、生涯手放さなかったものです。
画廊が経営難になった時も売却することはなかったと言いますから、友人に対するジョワイヤンの思い入れが伝わってきます。
総数250点以上におよぶ版画・ポスター・素描などロートレックのグラフィック作品の中には、紙や色を変えた試し刷りや私的な食事会のメニューカードといった史料としても貴重な作品が含まれています。
また多くの作品にはロートレックのイニシャル「HTL」を組み合わせた赤い刻印が押されています。
これはロートレックの死後、ジョワイヤン自身がアトリエにあった作品に記したものでした。
汚れや折り目がほとんどない良好な状態で、ジョワイヤンとコレクションを引き継いだ人たちが大切に保管してきたことがわかります。
ジョワイヤンの死後、仕事の協力者だったドルチュ夫人(1971年ロートレックの作品目録全6巻を出版)に引き継がれ、夫人が亡くなると娘夫婦に渡りました。
コレクションが日本(三菱一号館美術館)にある理由
モーリス・ジョワイヤンコレクションがフランス国外に売却されることになったのは、2005年前後のことだったそうです。
売却先の候補にはアメリカや日本の美術館があがっていましたが、最終的に2010年に開館する三菱一号館美術館美術館(当時はまだ建設計画中でした!)が一括購入し、ジョワイヤンたちが残した貴重なロートレックコレクションはバラバラになることなく東京丸の内にやって来ました。
美術館の計画中にモーリス・ジョワイヤンコレクションが売りに出されることになったタイミングの良さには、運命を感じてしまいますね…
三菱一号館美術館は2009年にアルビ市のトゥールーズ=ロートレック美術館と姉妹館提携を結び、2011年10月には「三菱一号館美術館コレクション〈Ⅱ〉トゥールーズ=ロートレック展」が開催され、モーリス・ジョワイヤンコレクションがお披露目されました。
トゥールーズ=ロートレック展の図録では、ロートレックとジョワイヤンの友情やコレクションが日本にやってくるまでの経緯について詳しく語られています。
図録の扉に施された鰐はジュール・ルナールの『博物誌』(1897.刊行は1899)表紙裏に描かれたもので、ジョワイヤンを示しているそうです。
三菱一号館美術館とロートレック、そして「モーリス・ジョワイヤン・コレクション」
モーリス・ジョワイヤンコレクションは、三菱一号館美術館にとっては最初の収蔵品です。
建設計画中の美術館がコレクションの一括購入に踏み切った理由は、美術館のコンセプトとロートレックの作品があまりにもお似合いだったから。
三菱一号館美術館の建物は、イギリスの建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)が設計した洋風の事務所(旧三菱一号館。1894~1968)を復元したものです。
美術館の方針でも、この歴史ある建物と同時代の美術に力を入れています。
活動方針の一つにも
明治期に原設計された建物と収蔵作品の特性に配慮し、近代市民社会・産業社会原点ともいうべき19世紀の近代美術を中心とした展覧会を開催します。
とあり、19世紀の芸術家であり・近代パリの都市文化を描き・印刷技術を使ったポスターや版画の名作をのこしたロートレックはまさにこの美術館にあるべき存在だったと言えるでしょう。
三菱一号館美術館の年間パスポートにも、ロートレックの作品が使用されていました。
また、ロートレックが活躍した当時のパリは、1878年のパリ万博をきっかけにジャポニズムのブームが訪れていました。
ロートレック自身もジャポニズムの愛好家で、展覧会にはかならず足を運んだんだとか。
ポスター作品などに見られる力強い線、平坦で鮮やかな色使い、デフォルメされた人物像など、ロートレックの作風自体に浮世絵の影響が指摘されてもいます。
ロートレックは生前、日本旅行を夢見ながら実現には至らず。
代わりと言ってはなんですが、ロートレックの作品は日本の様々な美術館に所蔵され、ロートレックから親友のジョワイヤンへ受け継がれたコレクションも三菱一号館美術館に所蔵されています。
ロートレックは喜んでくれるでしょうか?
三菱一号館美術館 再開館記念『不在』―ソフィ・カルとトゥールーズ=ロートレック
三菱一号館美術館のロートレック作品群「モーリス・ジョワイヤンコレクション」は、フランス国立図書館所蔵のロートレックコレクション、アルビ市のトゥールーズ=ロートレック美術館に次いで3番目の質・量を誇ると言われています。
(世界第3位、日本国内なら堂々のトップです!)
再開第1回目の特別展には、世界で1,2を争うロートレックコレクションの双璧から、フランス国立図書館所蔵のロートレック作品が来日。
(国立図書館のコレクションは、1902年にロートレックの母アデル夫人とジョワイヤンが寄贈)
さらに、フランスを代表する現代アーティストのソフィ・カルが、ロートレック作品と並ぶ三菱一号館美術館の顔・オディロン・ルドンの《グラン・ブーケ》(1897)にインスパイアされ制作した新作も初披露されます。
ロートレックのファンならずとも、絶対に見逃せない展覧会になりそうですね。
東京都千代田区丸の内2-6-2
2024年11月23日(土)〜2025年1月26日(日)