東京メトロ表参道駅からほど近い岡本太郎記念館は、
芸術家・岡本太郎が1954年から1996年までの42年間を過ごした場所です。
この近くには、青山・子供の城跡地の前にあるモニュメント《こどもの樹》
渋谷駅に設置された巨大な壁画《明日の神話》などもあり、
岡本太郎の世界を気軽に体験することができます。
岡本太郎記念館
(TARO OKAMOTO MEMORIAL MUSEUM)
岡本太郎(1911-1996)は「現代芸術研究所」と名付けたこの住居兼アトリエで
84歳で亡くなるまで制作活動をつづけました。
1970年の大阪万博で発表され、現在も大阪のシンボルとなっている
《太陽の塔》の構想を練ったのも、この場所だったそうです。
同地(戦前は青山高樹町三番地)にはもともと
父・岡本一平(1886-1948)、母・岡本かの子(1889-1939)と太郎が
ともに暮らしていた旧岡本家がありましたが、
1945年5月の東京大空襲によって焼失し、
現在の建物は、戦後に建てられたものです。
(1954年5月に完成)
太郎の友人でル・コルビュジェの弟子でもあった
建築家・坂倉準三((1901-1969)が太郎の希望を取り入れながら設計し、
現場は坂倉準三建築研究所のスタッフだった村田豊(1917-1988)が担当。
1階はアトリエ、2階は居住空間として使われました。
コンクリートブロックを積み上げた壁面と、
その上に乗った凸レンズ形の屋根は太郎の要望です。
変わった形の屋根には、
丸みのある外皮で自重を支える「応力外皮構造」を取り入れることで
軽量化し、かつ材料費を節約する狙いもあったようです。
1998年5月に記念館として開館した際、一部増築されたそうですが、
1階のサロンとアトリエは太郎が生活していた当時のまま。
展示する作品は時々入れ替えながら、
記念館が誇る「純度100%のTARO空間」を実現しています。
もちろん、企画展の展示室である2階や
芭蕉、バナナ、など個性的な植物の中に彫刻が置かれた庭も見どころ。
そこかしこに岡本太郎の遊び心が現れる空間自体が
「岡本太郎はこんな人ですよ」と伝えてくるようです。
岡本太郎記念館
東京都港区南青山6-1-19
10時~18時
※入場は閉館の30分前まで
火曜日休館(祝日の場合は開館)
年末年始(12/28~1/4)および保守点検日は休館
一般 650円(550円)
小学生 300円(200円)
※( )内は15人以上の団体料金
間違えやすい? 川崎市の岡本太郎美術館
東京都港区の「岡本太郎記念館」とは別に、
神奈川県川崎市には「岡本太郎美術館」があります。
川崎は母かの子の実家があり(現在の川崎市高津区二子)、
太郎の生誕の地でもありました。
1991年に川崎市民ミュージアムで
「川崎生まれの鬼才―岡本太郎展」が開催されたご縁から、
川崎市に寄贈された主要作品352点をもとに1999年開館したのが
「川崎市岡本太郎美術館」です。
Google検索で「岡本太郎美術館」と入力すると、
トップに川崎市岡本太郎美術館
その次に岡本太郎記念館が出てくるので、
名前をとり違えて探そうとする人は多いのかも知れません。
(言うまでもなく、わたしもその1人です)
川崎市 岡本太郎美術館
(TARO OKAMOTO MUSEUM OF ART, KAWASAKI)
神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
9時~17時 ※入場は閉館の30分前まで
月曜休館(祝日の場合は開館し、翌日休館)
祝日の翌日は土日にあたる場合を除き休館
観覧料は展覧会ごとに異なります
※中学生以下は無料
※身体障害者手帳・戦傷病者手帳・被爆者健康手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳の提示で、本人と介護者1名は入館無料
※団体割引(20名以上)あり
記念館から徒歩・電車一駅で行ける!岡本太郎のパブリックアート
岡本太郎記念館は表参道から徒歩8分くらいの場所にあります。
そして、表参道駅がある青山通りを渋谷方面に歩いて行くと
旧こどもの城の前にある《こどもの樹》、
渋谷駅(銀座線か半蔵門線で一駅ですが、歩いても20分くらいです)の
《明日の神話》と、岡本太郎のパブリックアートを楽しむことができます。
これらの作品のアイデアが生み出されたのも
太郎のアトリエ、つまり現在の岡本太郎記念館だったんだとか。
岡本太郎の世界を堪能した後に、散歩気分で訪ねてみるのはいかがでしょうか。
表参道から千代田線で一駅の原宿には(こちらは徒歩だと30分くらい)
NHKスタジオパーク(2020年5月閉館)の《天に舞う》や、
国立代々木競技場第1体育館の南北ロビーにある壁画もあります。
(《天に舞う》は現在公開されておらず、今後どうなるかも分からないようです)
《こどもの樹》1985 (渋谷区神宮前 こどもの城跡地前)
枝先についている色彩豊かな顔は、
文化や人種を越えた子どもたちの姿を表しているそうです。
私事ですが、わたしが生まれて初めて触れた岡本太郎作品。
(こういう人、多いんじゃないでしょうか?)
当時は「何だか変なものがあるなあ」くらいの認識でしたが、
今見ると味のある顔だと思います。
渋谷の青山通り(国道246号)沿い、国際連合大学の隣にあった
こどもの城(国立総合児童センター)は、
子どものための福祉と文化活動の拠点として1985年11月に開館。
岡本太郎は、この施設のエントランスを飾る
シンボルモニュメント《こどもの樹》を制作しました。
こどもの城は2015年2月1日に閉館しましたが、
《こどもの樹》は現在も見ることができます。
2019年、東京都は施設とともに引き継ぎ・活用していく方針を発表。
《こどもの樹》は、これからも同じ場所に立ち続けてくれるようです。
《明日の神話》1969 (渋谷駅)
縦5.5m×横30mという大画面に描かれているのは、水爆が炸裂する瞬間。
1954年3月にビキニ環礁で行われた水爆実験と
マグロ漁船第五福竜丸の被ばく事件がモチーフとなったこの作品は、
《燃える人》(1955)、《瞬間》(1955)、《死の灰》(1956)に続く
核兵器をテーマとした作品であり、集大成でもあります。
この壁画が現在設置されているのは、
京王井の頭線渋谷中央口の改札からすぐの連絡通路(シブヤマークシティ2階)ですが、
もとは1968年のメキシコ・オリンピックのために建設された
メキシコのホテル「オテル・デ・メヒコ」のロビーに設置される予定でした。
ホテルが完成しないまま運営会社が倒産し、長らく行方不明になっていた
《明日の神話》は、2003年にメキシコシティ郊外の資材置き場で発見されました。
(太郎の養女である岡本敏子によって確認)
2005年に日本に移送され、1年がかりの修復の後、
東京の汐留にある日本テレビゼロスタ広場(2006年7月)、
東京都現代美術館(2007年4月~翌年6月)で公開され、
2008年11月、現在の渋谷駅に恒久設置されました。
姉妹作《豊穣の神話》
記念館の年間パスポート(2021年デザイン)に抜擢
岡本太郎記念館の年間パスポートTARO PASSPORT(3,000円)は、
2021年1月にデザインをリニューアルしました。
旧デザインのパスポートの期限がまだ残っている場合も、
2021年に限って交換してもらえるそうです。
今後は1年ごとに新しいデザインを展開していく予定だそうで、
毎年1枚ずつ集めるのも楽しそうですね。
第1弾となる2021年のデザインは、
《明日の神話》と同じホテルの大食堂に設置される予定だった
《豊穣の神話》(1968頃)を切り取ったデザインになっています。
《豊穣の神話》は完成すれば縦9m×幅60mと
《明日の神話》を超える大作になるはずでしたが、
制作が中断されたため、現在は下絵3点のみが残っています。