《見返り美人図》(菱川師宣筆、東京国立博物館所蔵)― 元禄美人の魅力を伝える彼女、国宝じゃないって知ってました?

日本美術に特別興味がない人でも一度くらいは見たことがあるだろう
《見返り美人図》(菱川師宣筆、17世紀)。
わたしの学生時代には日本史の教科書にも載っていた(今はどうなんでしょう?)
超・有名作品ですから、当然国宝か重要文化財に指定されていると思っていました。
ところが2022年現在、この作品は国宝・重文のどちらにも指定されていません。

2022年に150周年をむかえた東京国立博物館・本館2階の国宝室(2室)では、
「未来の国宝 ― 東京国立博物館 書画の逸品」と題して、
現在は指定されていないけれど、今から150年先の未来には
国宝や重文になっていてもおかしくない、研究員イチ推しの逸品を、
順ぐりに1年がかりで紹介していく催しが行われています。

そのトップを飾ったのが、菱川師宣の肉筆浮世絵《見返り美人図》。
東京国立博物館のコレクションでも抜群の知名度をほこる(と思う)作品が
指定を受けていないのは、なんだか意外です。

《見返り美人図》(作者:菱川師宣)の魅力 ― 元禄文化を伝える姿は切手にも


菱川師宣筆《見返り美人図》(17世紀・江戸)

肉筆浮世絵 絹本着色・軸装 63.0×31.2cm

緋色の振袖に緑の帯を締めた娘が、ふと振り向いた姿を背中側から描いています。
着物は菊と桜を円の形に配置した「花の丸文様」が描かれ、
よく見ると生地にも小花の地紋がほどこされています。
帯は円を六分の一ずつ重ねたモチーフと花の連続文様で、これまた凝った意匠。
(円が四分の一ずつ重なっていると「七宝柄」)

髪に挿している櫛と簪は、タイマイ(おもに熱帯に生息するウミガメの一種)の
甲羅を加工した鼈甲製で、当時から大変な高級品です。
(なお現在ではワシントン条約で国際取引が禁止されており、日本の鼈甲細工の技術そのものが危機的状況です)

後ろに垂らした髪の毛先を輪にしてまとめた髪型は「玉結び」と呼ばれ、
貞享(1684-1688)頃に流行したもの。
また、帯の端を片方だけ輪にしてもう片方を垂らした形は
人気女形の初代上村吉弥(生没年不詳。美古屋)考案の「吉弥結び」で、
元禄(1688-1703)頃の流行です。
まさに《見返り美人図》が描かれた時期に流行したものですから、
描かれている女性は流行に敏感なお洒落さんのようです。

華やかな衣装や高価な装飾品を着こなして流行もしっかり押さえている彼女は、
裕福な商家の娘さんでしょうか。


切手「見返り美人図」

《見返り美人図》といえば記念切手…という人、少なくないと思います。
この有名な切手が発行されたのは、1948年。
当時の逓信省(郵便や海運など交通運輸・通信に関する行政の官庁)が
“郵便切手が持つ「美しさ」や「芸術性」といった文化的価値を一般の方々に広く認識していただくとともに、切手収集の趣味の普及を図る”
ために設定した「切手趣味の週間」(現在の「切手趣味週間」)の記念切手でした。

最初の年にあたる1947年に発行されたのは
普通切手(葛飾北斎の富嶽三十六景より《山下白雨》)の小型シートでしたから、
《見返り美人図》がオリジナル記念切手の第1弾。
切手のコレクションといえば外国の切手、
というそれまでの常識をひっくり返して国内外から注目を集め、
国内の切手ファンを一気に増やしたそうです。

手紙やはがきに貼って出すと途中で盗まれる…なんて噂もあったそうですが、
実際に使った人はいたんでしょうか?

切手「見返り美人図」は、翌1949年に発行された「月に雁」
(歌川広重。これまた発行当日に行列ができる人気!)とともに、
過去に発行された日本切手の中で最大のサイズ(67×30mm)でも有名です。
販売業者などの売上高に課税される取引高税(1947制定、1949廃止)の納入に使う
「取引高税印紙」の目打型を使ったため、このサイズになりました。

また当時は印刷技術の問題で切手のカラー印刷ができなかったため、
切手「見返り美人図」は単色刷り(1色のみでの印刷)でした。
日本で初めて多色刷りの切手が登場したのは、
ドイツ製の多色グラビア印刷機が導入された1955年。
切手「見返り美人図」から7年後です。
この年の「切手趣味週間」に発行された
初の大型グラビア切手「ポッピンを吹く女」(喜多川歌麿の婦女人相十品より)は、
2022年の切手趣味週間でも採用されました。

郵便創業120周年に当たる1991年の「切手趣味週間」では、
フルカラーの切手「見返り美人図」が、
山川秀峰(1898-1944。東京画壇で活躍した美人画の名手)の「序の舞」と
ともに発行されています。


《見返り美人図》の作者・菱川師宣

《見返り美人図》の作者・菱川師宣(1618頃-1694、または1630頃-1694)は、
それまで絵入り本(古典や娯楽小説が主)の挿絵という位置づけだった
浮世絵版画を単品での鑑賞に堪える作品に高めた
「浮世絵の祖」とも呼ばれる人です。
特に、流行のファッションに身を包んだ「当世美人」は絶大な人気だったとか。

師宣の家は安房(現在の千葉)で
刺繡や摺箔(すりはく。金箔や銀箔を布に張り付ける技法)で
着物を装飾する「縫箔師」を生業にしていました。
師宣自身も江戸に出た当初(1658-1661年頃?)は縫箔を仕事にしていたそうで、
女性の着物や髪型を描くセンスやテクニックはこの時身につけたのかもしれません。

元々絵が得意だった師宣は、江戸で狩野派、土佐派、長谷川派など御用絵師の技を学び、
挿絵や名所絵で腕を磨いて、本格的に絵の道へ進むことになります。
文章の挿絵としてあくまでも添え物だった木版画を
一枚物として売り出したのは師宣が最初だったそうで、
師宣がいなければ、庶民が気軽に絵を買って所有する浮世絵の文化は
誕生しなかったかもしれません。
「浮世絵の祖」と呼ばれる理由ですが、
本人は「大和絵師」…日本の自然や風俗を主題とする伝統的な絵師を自認していたようです。

もちろん師宣の作品は版画だけではなく、
屏風・掛軸・絵巻などの肉筆画も数多く残しています。
(国内の美術館・博物館のほか、大英博物館やボストン美術館でも所蔵されています)
特に晩年は肉筆画の傑作を多く制作しており、
元禄のはじめごろに描かれた《見返り美人図》もそのひとつでした。


《見返り美人図》が国宝でないのはなぜ?

最初に述べたように、国宝・重要文化財のどちらにも指定されていません。
同じく東京国立博物館所蔵、同じ菱川師宣の作品である
六曲一双の《歌舞伎図屏風》は重要文化財に指定されていますから、
作品の知名度、歴史的な役割、作者のネームバリューだって申し分ない
《見返り美人図》が指定を受けても不思議はないと思うのですが…

先日の「朝日新聞」(2022.4.19 夕刊)の記事では、
「必ずしも美人ではない」「指定には歴史的意味に加えて上手さや技術も必要」
という、なんだか身も蓋もない回答が掲載されていました。
(「美の履歴書743「見返り美人図」菱川師宣 なんと、重文ではなかった?」)

足の位置が分かりにくくて胴長に見える、顔や髪の描写が平板であるなど、
言われてみれば確かにその通り、かも?
わたしは平安絵巻の「引目・鉤鼻・下ぶくれ」が「上品な美人」を表すのと同じで
(何しろ師宣は自らを「大和絵師」と位置づけていたわけですし)
江戸の美人画はこういうものなのかと思っていたんですけど…。

もっとも上の記事では、
背景のない空間にシャープな輪郭線で表されたフラットな表現が
現代の「グラフィックデザインに通じる面白さ」があることも
ちゃんと指摘されています。
こういった造形の素晴らしさがあるからこそ
《見返り美人図》は300年以上たった今も親しまれ、
切手「見返り美人図」は一世を風靡する素晴らしい芸術性を発揮したのです。

そして、時代が変わればアートに対する評価や好みも変化するのは当たり前。
《見返り美人図》が国宝になるいつかの未来を、楽しみに待つとしましょう。


《見返り美人図》が東京国立博物館150周年記念事業の顔に ー「修理プロジェクト」は寄付募集中!

「未来の国宝 ― 東京国立博物館 書画の逸品」について

将来の国宝候補を紹介する「未来の国宝 ― 東京国立博物館 書画の逸品」は、
本館2階の第2室(国宝室)で2022年度一杯開催されます。
《見返り美人図》の展示は5月8日まで。
第2弾(5月10日~6月5日)には、
近代を代表する美人画家のひとり・上村松園の凄艶なる傑作《焔》(1918)が登場。
《焔》に関する過去記事も併せてどうぞ

以降も「何で指定されてないの?」「むしろ、まだ指定されてなかったの?」と
首を傾げること請け合いの傑作が次々と紹介されますので、
推しの登場を見逃さないよう、公式情報のチェックをお忘れなく!

公式ホームページはこちらから

「踊る埴輪&見返り美人修理プロジェクト」について

2022年度の東京国立博物館収蔵品の修理プロジェクトでは、
《埴輪 踊る人々》(埼玉県熊谷市野原古墳出土 古墳時代・6世紀)とともに
《見返り美人図》が対象となりました。
修理期間は《埴輪 踊る人々》が2022年秋からおよそ1年半、
《見返り美人図》が2023年秋からおよそ1年の予定です。

2022年9月22日に目標金額の1000万円を達成。
寄付の募集は2022年4月1日から2023年3月31日まで続きます。
(寄付が修理関連費用を上回った時は、ほかの所蔵品の修理費に充当)

ウェブサイトからの申し込みは一口1,000円から。
1万円以上の寄付でオリジナル返礼品がもらえます。

また本館1階の階段室(11室の脇)に募金箱が設置してありますので、
小さい金額で気軽に参加したい場合はこちらを利用するのがおすすめです。
(100円以上で、オリジナルのポストカードがもらえます)

こちらでは絵の中の着物を再現した「振袖 見返り美人図」で
実際に着付けた状態の着物を見ることができます。

さらに2020年の「〈冬木小袖〉ミク」(イラストレーター:守倉円)につづく
クリプトン・フューチャー・メディア株式会社とコラボレーション第2弾、
「見返り美人ミク」(イラストレーター:Rella)も発表され、
2022年9月6日から10月2日まで平成館のガイダンスルームでパネルが展示されました。

今回イラストを担当したRellaさんは、
原画のシチュエーションや肉筆浮世絵の雰囲気を再現するために
《見返り美人図》について学芸員の意見を聞き、
さらに着物の模様などもすべて手描きで制作したそうです。
(テクスチャ不使用!)

もちろんコラボレーショングッズも充実。
グッズ購入で修理に貢献するのも素敵ですよね。

寄付の申し込みは公式ホームページから