国宝・重要文化財とは? 文化財保護法の決まりと成立事情

2022年、東京国立博物館では開館150周年記念事業として
所蔵する国宝98件をすべて展示する「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催され、
2023年3月には、東京国立近代美術館70周年を記念して
重要文化財づくしの特別展「重要文化財の秘密」が予定されている今日この頃です。
国宝・文化財への関心もますます高まっていくと思われますが、
「国宝」「重要文化財」とは誰がどうやって決めるのでしょう。

「国宝」「重要文化財」とは ー 文化財保護法の規定

国宝・文化財については、
1950年に施行された「文化財保護法」という法律で決められています。

国宝・重要文化財とは

「文化財保護法」によると、国宝と重要文化財はどちらも
文部科学大臣の指定を受けた価値の高い文化財
有形文化財の中で特に重要なものが重要文化財に指定され、
さらに重要文化財の中でもひときわ価値が高く代わりのないものが国宝に指定されます。

「文化財保護法」の文言は以下の通りです。

国宝
文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することができる。
(文化財保護法 第27条2項)

重要文化財
文部科学大臣は、有形文化財のうち重要なものを重要文化財に指定することができる。
(文化財保護法 第27条1項)

文化財はこれらの指定を受けることで
修理等に対する費用の補助や税制上の優遇など
保存・活用のために必要な措置を受けることができますが、
所有者や所在の変更、修理などにいちいち手続きが必要になったり、
現状の変更(たとえば建造物の改装など)に制限がかかったり、
公開の義務が課せられたりと所有者の負担も大きく、
指定を受けない選択をする人も少なくないようです。
(支援はやや手薄ながら、規制が緩やかな「登録」という制度もあります)


文化財(有形文化財)とは

「有形文化財」とはちょっと聞きなれない言葉かもしれませんが、
大雑把に言えば文化財の中で形があるものです。
「文化財保護法」では文化財を

わが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすもの
(文化財保護法 第3条)

貴重な国民的財産
(文化財保護法 第4条第2項)

と定めており、有形文化財はこのうちの

建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料
(文化財保護法 第2条第1項)

になります。

有形文化財以外の文化財 ー「人間国宝」は文化財か?

文化財保護法が定める「文化財」には有形文化財のほかに

無形文化財(演劇、音楽、工芸技術など形のないもの)
民俗文化財(風俗慣習、民俗芸能、民俗技術と、それに使用する道具や建物など)
記念物(遺跡、名勝地、貴重な動植物などの「天然記念物」もここに含まれる)
文化的景観(地域の生活や風土に深く結びついた景観)
伝統的建造物群(周囲の環境と結びついて歴史的な趣のある建物群)

があります(文化財保護法 第2条)

ちなみに文化財保護法に「人間国宝」という言葉はありません。
いわゆる人間国宝とは、文化財保護法の第71条第2項にある「重要無形文化財の保持者」
つまり重要無形文化財に指定された技術を身につけている人の通称です。
この場合文化財なのは技術の方で、
その人自身ではないことも注意しておきたいところです。
(人間国宝が国宝・重文に負けない貴重な存在であることは言うまでもありません)


「国宝」と「重要文化財」の誕生 ー 文化財保護法の成立

国宝・重要文化財を規定する文化財保護法は、
文化財を「国民すべての共有財産(公共財)」として皆で守り皆のために役立てていこう、
という考え方にもとづいています。
博物館・美術館になれ親しんだ現代日本人にとっては常識ですが、
実はかなり新しい、明治になってから登場した思想です。

「文化財」の誕生(明治ごろ)

そもそも江戸時代以前、現在文化財と呼ばれているものは
寺社・公家・武家(庶民が豊かになると豪商・豪農も)といった
特定の「誰かの所有物(私的財)」でした。
人に見せる・見せないは所有者の自由ですし、
改造したり、なんなら壊して捨てたりしてもかまわなかったわけです。
(少なくとも「してはならない事」ではありませんでした)

ところが明治になると、
これまで馴染みのなかった西洋の文化・思想が日本に入ってきます。
その中にはmusemu(博物館。集古館とも)という思想もあり、
文化財はただ金銭的価値の高い物、持つ人の権威を高める物というだけではなく、
歴史・文化を後世に伝える公共の宝という性質を与えられるようになりました。

ここから様々な社会の動きや事件を経て法律が整備され
やがて文化財保護法の成立に至るわけです。
以下では国宝・重要文化財を含む有形文化財に関する法律について見ていきましょう。


古器旧物保存方(こききゅうぶつほぞんかた)1871

260年余り続いた徳川幕府の統治が終わり、
新しく作られた政府は「王政復古」を掲げて天皇中心の国家を目指すことになりました。
その一環で神道が国教化され、それまで一緒にまつられていた仏教の要素を取り除く
「神仏判然令」(1868)が出されたことがきっかけとなって
仏教寺院や仏像・仏具を破壊する廃仏毀釈運動が起こります。
徳川幕府をはじめとする権力者の後ろ盾を失った寺院は経済的にも困窮していたため、
寺宝が売りに出されることもありました。
急激な近代化・西欧化で社会や人々の価値観が変化したことも、
こういった事態に拍車をかけています。

こういった情勢から1871年、太政官から「古器旧物保存方」の布告が出されました。
これは国内の保存すべきもの(当時は「宝物」と呼ばれていました)を集めて
集古館(博物館)に保存することを定めるもので、
これを受けて近畿地方の社寺を中心に「古器旧物」の目録が提出されました。


古社寺保存法(こしゃじほぞんほう)1897

古器旧物保存方をうけて全国的な宝物(文化財)の調査が行われ、
1897年に「古社寺保存法」が制定されます。

この法律では建造物・宝物類の維持や修理が不可能な古社寺に
国費から保存金を出すことを定め、
さらに内務大臣が「歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範トナルヘキ」建造物と宝物を
「特別保護建造物」「国宝」とする指定制度の始まりでもありました。

また指定された物件に対する処分や差し押さえを禁止し、
所有者には保存管理のほかに官・公立の博物館への陳列を義務づけるなど、
現在の文化財保護法につながる制度になっています。

ただしこの法律は「社寺」の名前どおり神社とお寺の建造物と宝物を対象としていたため、
第1次世界大戦(1914-1918)や関東大震災(1923)がきっかけで起きた不況で
旧大名家など個人が所有する宝物が海外流出する事態を止めることはできませんでした。


国宝保存法(1929)

古社寺保存法の対象外だった旧大名家所蔵の宝物の海外流出や、
長らく放置されていた城郭の老朽化などが問題になった昭和のはじめ、
保護の対象を社寺以外にも広げる必要が意識されるようになりました。

そこで1929年に「古社寺保存法」が廃止され、新たに「国宝保存法」が制定されます。
この法律では対象を拡大し、国有・公有・私有の区別なく保護できるようになりました。

さらに古社寺保存法の特別保護建造物と国宝を一括して「国宝」とし、
建造物845件・宝物3705件が指定を受けます。
この時定められた国宝(現在の国宝に対して「旧国宝」と呼びます)は
原則として輸出・移動が禁止されましたが、
未指定物件の海外流出を止めることはできませんでした。


重要美術品等ノ保存ニ関スル法律(1933)

「国宝保存法」の制定から3年後の1932年、
市場に出されていた12世紀の傑作絵巻《吉備大臣入唐絵巻》を
アメリカのボストン美術館が購入。
(絵巻が入札に出されたのは1923年で、国宝保存法の成立より前です)
このことがきっかけとなって、
指定を受けていない美術品の流出を防ぐ法律が求められるようになりました。
《吉備大臣入唐絵巻》についてはこちらの記事もどうぞ

こうして1933年に「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定され、

「現存者ノ製作ニ係ルモノ、製作後五十年ヲ経ザルモノ及輸入後一年ヲ経ザルモノ」
を除く
「歴史上又ハ美術上特ニ重要ナル価値アリト認メラルル物件(国宝ヲ除ク)」
を主務大臣が認定することで、
輸出や移動するのに許可が必要となりました。
(許可しない場合、主務大臣は1年以内に国宝に指定するか、認定を取り消さなければなりません)

この法律が効力を持っていた1950年までの期間、文部大臣によって
美術工芸品7983件、建造物299件が重要美術品に認定されました。


文化財保護法(1950)

第2次世界大戦(1939-1945)のために一時期ストップしていた美術工芸品・建造物
(および1919年の「史跡名勝天然記念物保存法」規定される記念物など)の指定事務は
終戦をむかえた1945年に再開されましたが、
社会と経済の混乱によって美術工芸品・建造物の危険は増しました。

そんな中、1949年に発生した法隆寺金堂の壁画が火災で
外陣(一般の人々が礼拝する場所)の壁画12面が焼失します。
壁画を保存するために模写事業が行われているさなかの出来事でした。
この事件と模写・復元事業については2020年4月12日の日曜美術館でも紹介されました

これが直接のきっかけとなり「国宝保存法」と「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」
(そして「史跡名勝天然記念物保存法」)を吸収する形で
1950年に「文化財保護法」が成立します。

この法律によって美術工芸品・建造物・記念物などは
すべて「文化財」に統一されることになりました。
国宝保存法で指定された旧国宝はすべて「重要文化財」となり、
この中で価値の高いものがあらためて「国宝」に指定されます。
これ以来、有形文化財が国宝になるには
まず重要文化財に指定され、そこからさらに選ばれて国宝に指定される
二段階の指定が必要になりました。

こうして成立した文化財保護法は、
改正を繰り返しながら70年以上にわたって存続しています。
(2021年の第204回国会でも、文化財保護法の一部を改正する法律が成立しました)
これからも時代に合わせて変更されたり、
場合によっては全く新しい法律として生まれ変わったりするのかもしれませんが、
貴重な文化財を皆で守り皆のために役立てていこう、という姿勢は
そのままであってほしいと思います。