日曜美術館「私は世界でもっとも傲慢な男 ―フランス・写実主義の父 クールベ」(2021.5.2)

久々のゲストに西洋近代美術史の三浦篤先生をお迎えし、スタジオでのトークも充実の会。
テーマは19世紀フランスの画家、ギュスターヴ・クールベです。
スタジオの皆さんが、衝立のある席を立つ時だけお揃いのマスクをかける姿も印象的でした。

2021年5月2日の日曜美術館
「私は世界でもっとも傲慢な男 ―フランス・写実主義の父 クールベ」

放送日時 5月2日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月9日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

理想化された美ではなく、一般庶民の葬式や自らのアトリエを巨大なカンバスに描き、19世紀フランス画壇を騒がせたクールベ。写実主義を唱え、故郷の自然や海をありのままに描き、モネなど印象派の画家たちに多大な影響を与えた。その人生は波瀾万丈!権力への反抗、売れっ子の名声、政治活動による投獄、そして亡命の悲劇――しかし画家は一貫して「目に見えるもの」を描き続け、「生きた芸術を生み出す」ことを追求した。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
三浦篤 (東京大学大学院総合文化研究科教授)

出演
古賀暁子 (パナソニック汐留美術館学芸員)


重要なのに、日本では印象が薄い? クールベの人物像
《出会い》1854

フランス文学がご専門の小野さんによると、
ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)は
19世紀のフランスを語る時に避けて通れない人物。
ところが小野さん自身はクールベについて「あんまりよく知らない」といいます。
ゼミでクールベを取り上げたこともある三浦先生によると、
クールベは「とても重要な画家」で、
「ただ印象派と比べて、日本であまり知られていないかもしれません」だそうです。

わたしもクールベと言ったら、美術の教科書の絵しか記憶にありません。
「こんにちはクールベさん」というタイトルで掲載されていたその絵は
番組の中でも《出会い》(1854)として紹介されていました。

田舎の道端で、従者を釣れた紳士が
髭を生やし大きな荷物を背負った旅人風の人物に挨拶を送っている構図で、
これはクールベのパトロンだった銀行家のアルフレッド・ブリュイヤスと
クールベの姿を描いているそうです。
この絵を見たわたしはクールベのことを
田舎の生活なんかを写実的に描く牧歌的な画家だと信じていました。
(今思うととんだ誤解です)

実際のクールベは三浦先生いわく
「自他ともに認める傲慢な男」で「大変な自信家」、
「傲岸不遜と言われても致し方ない」という人物だったようです。
よく見ると《出会い》でも、ブリュイヤスが帽子をとっているのに対し
「こんにちは」と言われている側のクールベは顎を突き出してちょっと偉そうな姿勢。
この絵が描かれたのはクールベの生涯で「最も闘争的だったころ」だそうですから、
もしかするとその闘争心の表れかも知れません。


クールベの闘争時代
《絶望》1843頃、《オルナンの埋葬》1849-50、《画家のアトリエ》1855

クールベはスイスに近いフランス東部のオルナンの生まれ。
裕福な農場主だった父親は息子を法律家にしようと
パリのソルボンヌ大学法学部に行かせますが、
幼いころから絵が好きだった彼はほどなく画家の道に進みました。
美術学校には通わず、ルーヴル美術館で
ドラクロワやレンブラントなど巨匠の作品を模写したそうです。

独学の画家・クールベは、最初のうちまったく評価されなかったそうです。
24歳で描いた《絶望》は、3年連続でサロンに落選時の作品。
(サロン初入選はこの1年後、1844年でした)
この頃のクールベは夜ごとビアホールに通いつめ、
詩人のボードレールや社会主義者のプルードンなどの
前衛的知識人たちと交流していました。
伝統的な様式に則った絵ではなく「現実そのものを描きたい」という考えは、
この頃芽生えたものと考えられています。

そして発表された《オルナンの埋葬》は、
故郷オルナンでの葬式を縦3.6×横6mという巨大なサイズで描いたもの。
神話や英雄を理想化して描いた歴史画ならともかく、
実在の人物をこんな大きさで描くのは当時の常識に反していました。
もっともクールベはこれを歴史画として描いたようで、
副題は「オルナンの埋葬に関する人物で構成された歴史画」。
その視点で見ると、現実の記録を重視する近代的な歴史作品に思えてきます。
もっともこの作品は、サロンへの反発と見なされ酷評されたそうです。

《オルナンの埋葬》が発表されたしばらく後の1852年に、
ナポレオン3世(1808-1873)がクーデターを起こして皇帝に即位。
市民中心の社会は終わりをつげ、第2帝政期が始まりました。
その3年後に開催された第1回パリ万国博覧会(1955)で、
クールベが発表しようとした《画家のアトリエ》は、出展を拒否されます。

この絵は、中央で風景画を描いているクールベを何人もの人が取り囲んでいる構図で、
画家の右側は理解者や支援者が(ブリュイヤスやボードレールの姿も)、
左側は搾取する人とされる人、社会に取り残された貧しい人など
フランス社会の悲惨な現実を表す人々が描かれています。
副題は「芸術家としての私の人生の7年間を確定する現実的寓意画」とあり、
「7年間」は、民衆が主人公の社会が来ると思いきや
ナポレオン3世による専制政治が始まった
1848年の二月革命以降を意味しているそうです。
左側でひときわ目立っている「密猟者」は
クーデターで国を簒奪したナポレオン3世だという説もあるそうで、
《画家のアトリエ》が、国家(皇帝)の威信を見せつけようという
パリ万博の趣旨に反していることは間違いないようです。

万博出展を拒否されたクールベは、
会場のすぐ近くに「クールベ個展会場」を設置して対抗しました。
本格的な個展を画家がおこなった初の事例で、
入場料(万博と同じ1フラン)が設定され
パンフレットもある本格的なものだったそうです。
このパンフレットでクールベが提唱したのが「Le Réalisme(レアリスム)」。
写実主義が世に出た瞬間でした。

私は目に見えるものしか描かない
生きた芸術を生み出すことが
私の理想なのだ

残念ながらクールベの個展には人が入らず、
入場料を値下げしても誰もこなかったそうです。


数学のような正確さ・ありのままを写す試み
《狩の獲物》1856-62頃、《波》1869

40代になったクールベは、新しい画題に取り組むようになります。
《狩の獲物》は、人間と猟犬が獲物の肉を分け合う場面。
狩猟のシーズンになると地元に帰って狩猟を楽しんだ彼は、
狩猟の風景や野生動物の世界を、美化も誇張もせず「数学のように正確に」描きました。
風景を描く時もありのままの姿を写しだそうとするクールベのこだわりは、
特に海を描いた作品に強く現れているようです。

当時は主要都市間の鉄道が次々に開通し、
パリの住民たちの間では海辺で休暇を過ごすことが流行しました。
クールベも1865年から1869年にかけて毎年のようにノルマンディーの海岸にでかけ、
海をテーマにした作品を描いています。

2021年4月からパナソニック汐留美術館で開催されている
「クールベと海展」のキービジュアルにもなっている《波》は
波が打ち付ける一瞬の姿をとらえたもの。
学芸員・古賀暁子さんによると
パレットナイフで絵の具を盛り上げて、
白く飛び散るしぶきの立体感を表現した技法は革新的なものでした。

クールベが描いた海の絵は生涯100点あまり。
そのうち《波》などの40点が波をクローズアップした作品です。
海の連作は、かつてクールベを酷評したサロンから絶賛されました。

クールベはノルマンディーで、
のちに印象派の巨匠となるクロード・モネ(1840-1926)と知り合っています。
20歳あまりの年の差がある2人は意気投合し、
モネの師匠にあたるブーダン(1824-1898)も交えて海辺で戸外制作をしていたそうです。
クールベと印象派の間に直接のつながりはありませんが、
「自分の感覚で自然を見て自由に描いて良いんだ」という先例をクールベが示し、
それに若い画家たちが続いた、というのが三浦先生の意見です。


巴里コミューンへの参加と挫折
《サント・ペラジー刑務所での自画像》1872頃

普仏戦争(1870-1871)後、プロイセンとの和平交渉に反対して蜂起がおこり、
1871年3月26日、パリコミューンは
史上初の「プロレタリアート独裁」による自治政府を宣言。
51歳になっていたクールベもパリコミューンに参加していました。
二月革命の時に果たせなかった市民が主役になる社会の夢を、
パリコミューンに見ていたのかも知れません。

パリコミューンは2か月ほどで崩壊し、
コミューン美術委員会議長になっていたクールベは、
過激なコミュニストが
ヴァンドーム広場にあった記念柱(ナポレオンの像が飾られていました)を
破壊した事件の首謀者として逮捕され、
禁固6か月に加えて賠償金30万フラン(およそ3億円)の支払いを求められました。

コミューンの仲間たちも次々と逮捕・処刑される中、
パリに居場所がなかったクールベは1873年スイスに亡命。
借金返済のために過酷なスケジュールで制作をつづけ、
さらに飲酒で体を壊して4年後に死去しました

《サント・ペラジー刑務所での自画像》は、禁錮中の姿を自ら描いたものです。
三浦先生は独立独歩で歩んできたクールベが
たまたま組織の責任ある地位に就いていたがために
苦しい立場に追い込まれついには亡くなってしまったことを
「ちょっと皮肉な感じ」と語っています。
とはいえクールベは

私が死んだとき 人は私のことを
こう語るべきでしょう
―あの男はいかなる流儀にも
いかなる教会にも いかなる学校にも
いかなるアカデミーにも…
かつて一度として属したことはなかった

という、
三浦先生いわく「独立独歩の画家としてのクールベを象徴的に表す言葉」、
小野さんが「そこまで自分を肯定できたのはすごい」と
感心するような言葉も残しているのですが。


「クールベと海 展― フランス近代 自然へのまなざし」パナソニック汐留美術館
(日時指定予約制。4月28日から当面臨時休館)

クールベが描いた海の作品のうち、11作品が展示されています。

東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階

2021年4月10日(土)〜6月13日(日)

10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで

水曜休館

一般 1,000円
65歳以上 900円
大学生 700円
中・高校生 500円
小学生以下 無料
日時指定予約制

公式サイト