日曜美術館「まなざしのヒント メトロポリタン美術館展」(2022.5.8)

六本木の国立新美術館で5月30日まで開催中の「メトロポリタン美術館展」を教室に、
西洋美術史の専門家・三浦篤先生と国民的漫画家・荒木飛呂彦先生による特別授業。
ヨーロッパの絵画に込められたメッセージの読み解き方や、
注目するべきポイントなどを楽しく解説していただきました。

2022年5月8日の日曜美術館
「まなざしのヒント メトロポリタン美術館展」

放送日時 5月8日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月15日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ニューヨークにある世界屈指の美の殿堂、メトロポリタン美術館。その名品が日本にやってきた!でも描かれるのはキリスト教や神話などなじみのない世界。難しいって思うこと、ありません?そこで、西洋美術を楽しむコツが満載の特別授業を開講! 講師には、美術史が専門の東京大学の三浦篤さんと描き手の視点から漫画家の荒木飛呂彦さん。ちょっとした知識やコツが絵画はグッと面白い。西洋絵画を楽しむヒント、教えます!(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
三浦篤 (美術史家・東京大学教授)
荒木飛呂彦 (漫画家)
篠原ともえ (デザイナー)
鈴木福 (俳優)


三浦篤先生・荒木飛呂彦先生の西洋美術教室
メトロポリタン美術館のコレクション8点が教材に

SNSの通知を見て、まさかの講義形式にびっくりしたのは
わたしだけではないと思います。


研究者とクリエイターという違いはあっても
それぞれ第一線で活躍する専門家のレクチャーが面白くないわけはありません。

生徒は小野さんと柴田さん、
そして宗教画に敷居が高い印象を持っている篠原ともえさんと、
美術は描く方が好きなタイプの鈴木福さんです。
教材として登場する作品のうち、
《ピュグマリオンとガラテア》を除く7点は日本初公開です。


1限目「宗教画(歴史画)」

ギリシア・ローマの文化とキリスト教文化は
ヨーロッパを中心とする西洋文明の土台にあたります。
(学生時代、西洋を学ぶなら神話と聖書を読めと言われたのを思い出しますね)
もちろん絵画のテーマとしても一番重要で、
「メトロポリタン美術館展」で展示されている絵画65点のうちおよそ3分の1は
神話や聖書をテーマにした歴史画(物語画とも)です。

フラ・フィリッポ・リッピ《玉座の聖母子と二人の天使》1440頃

三浦篤先生によると、古い時代の絵画にはいくつかの約束事があって、
それを理解しないと見ることが難しいんだそうです。

最初の例としてあげられたのは宗教画の大定番、
聖母マリアと幼子イエスの姿を描いた「聖母子像」から、
ルネサンスの画家フラ・フィリッポ・リッピの《玉座の聖母子と二人の天使》。
イエスを膝に抱いたマリアが立派な玉座に腰掛け、その背後を2人の天使が固める絵で、
三浦先生はここに描かれた「約束事」を取り上げていきました。

まずマリアは赤い服と青いマントを身につけて、頭の周りには円光が描かれています。
血の色である赤は聖母の慈愛の象徴、
そして空の色である青は天の真実や聖母の悲しみを表し、
どちらもマリアを描くときに使う色です。
左右に立つ天使にも描かれている円光は、聖なる人物を意味します。

イエスが手に持っているのは赤ちゃんには不似合いな文字の多い本ですが、
知恵の象徴である書物を持つことで「キリストの知恵」を表すものです。
正面を向いたお顔もなんだか立派で賢そうな…まったく子供らしくない雰囲気ですが、
これも「賢い人」「知恵者」というテーマを補強しているのでしょう。


カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1480頃

同じ聖母子でもテーマによって描かれるものは違ってきます。
ここで紹介されたのは少し後の時代に描かれたクリヴェッリの《聖母子》。
正面から見ると絵画とは思えない立体感に驚く光の表現が見所ですが、
宗教画としての約束事も豊富に盛り込まれています。

金の刺繍でわかりにくいものの、マリアの服装はやはり赤い服と青いマント。
頭上に垂れ下がるリンゴの実は
人類の先祖であるアダムとイブが食べた「禁断の果実」であり、
人が生まれながらに持つ「原罪」の象徴です。

その原罪から人々を解き放つために現れたイエスキリストは
「無垢」の象徴である小鳥(ゴシキヒワ)を胸に抱き、
頭上の円光には十字架の上で血を流すことを予言する赤い十字が。
この絵は、人々に代わって原罪を引き受ける「キリストの受難」を象徴しているのです。

羽を広げたゴシキヒワのポーズはちょうど十字の形になり、
十字円光と同じく十字架を表しているのではないか、というのが三浦先生の推測です。
言われてみれば背後の垂れ幕についた折り目も十字に見える、と気づいた鈴木さんは、
宗教画に「隠れミッキー」的なモチーフを探す新しい楽しみ方を発見しました。


キャラクターを描くポイントと画家の個性について

荒木飛呂彦先生は「キャラの描き方」という視点から
《玉座の聖母子と二人の天使》を分析しました。

聖母像の作者リッピは、
マリアの自然に揃った指先に「気品・清潔さ・気高さ」といった人格を、
イエスの反り返った足の指で何かしらの感情を表現しているというのが
荒木先生の見立てです。
キャラクターの感情や気品は
指先や爪先など末端の細かい部分に現れるという考えを持つ先生は、
『ジョジョ』のフィギュアを監修するときに、
靴先の長さをミリ単位で直すこともあるんだとか。

荒木先生は、マリアの目を伏せがちな表情にも注目しています。
絵を鑑賞する人々から視線を外すことで圧迫感を感じさせないテクニックは、
特定の場所に飾って鑑賞するための絵画ならでは。
読者を睨みつけるような表情で存在を主張する少年漫画のキャラクターとは対照的です。

このような細かいアレンジは、約束事をおさえたうえで
画家たちが各自工夫してきた部分です。
決まった枠の中でのアレンジが、画家の個性を発揮される部分でした。
それがどこまで許されるかは画家にとっても冒険で、
「批判とかも来ますから、そこを克服していくのが絵描きの冒険」という
荒木先生の言葉にはオンリーワンの作品を作り上げた巨匠ならではの重みがあります。


課題:他の聖母子にこめられたメッセージ

ヘラルト・ダーフィット《エジプトへの逃避途上の休息》1512-15頃

聖母子像に関する約束事を覚えた一同は、ほかの聖母子像の鑑賞に向かいました。
小野さんと篠原さんが鑑賞したのは、
北方ルネサンスの巨匠ヘラルト・ダーフィットの作品。
当時ユダヤ王国を統治していたヘロデ王による赤ん坊の虐殺を逃れて
エジプトへ避難する途中の姿を描いています。

イエスに授乳するマリアは青い外套を着て、その下から赤い着物が覗いています。
小野さんは、後ろに原罪を象徴するリンゴの枝が落ちているのを発見。
人物を表す色やアイテムが描かれていることを確認しました。

篠原さんは遠景にもロバに乗った聖母子の姿があることに気づきました。
同じ人物を少し時間をずらしてひとつの画面に描きこむ「異時同図法」は
物語の一場面を描くときによく使われる技法で、
日本の絵巻などでもお馴染みです。

ディーリック・バウツ《聖母子》1455-60頃

柴田さんと鈴木さんは、同じく北方ルネサンスを代表する画家
ディーリック・バウツの作品を鑑賞しました。
頬を寄せ合う母と子の姿をシンプルに描いた絵は、
これまで見てきた情報量が多い聖母子像とはまったく違った雰囲気です。

マリアの服装も暗い青一色で、襟元から下着の白が見えるくらい。
しわや関節まで丁寧に描きこまれた様子は聖なる人物というよりも
近所の誰それさんをモデルにしました…といった風情です。

鈴木さんは聖母子の姿が完全に愛を表現しているために
宗教画における約束事をあえて外したのでは、と考えました。

さまざまな要素を描きこんで複雑な意味を持たせるもの、
唯一のテーマを強調するために余分な要素を削り落とすものと、
同じ聖母子像でもいろいろなタイプがあるようです。


2限目「ヌード」

「なんで裸の絵を描くの?」「アートだから」
という会話が、鈴木さんの家で実際にあったそうです。
三浦先生はもう一歩先に進んで、
「なんで裸がアートなの?」という問題を解説しました。

西洋思想の根底には、
「人は自然を支配するものである」という人間中心主義が存在します。
ゆえに西洋画における理想美とはすなわちヌードのことでした。
ここで言うヌードとは理想化された「完璧な」人体のことで、
ただの裸とは別のものです。

「人は自然の一部である」という思想を持つ東洋では
山水図など調和のとれた自然の世界が描かれたように、
西洋では美しいヌードが描かれたわけです。

ルカス・クラナハ(父)《パリスの審判》1528

テーマになっているのは
ヘラ、アテナ、ヴィーナス(ギリシアではアフロディテ)の3女神、
通称「三美神」が「もっとも美しい女神」の座を争ったときに
最高神であるゼウスがトロイアの王子パリスに審判役を押し付けて、
それが巡り巡ってトロイア戦争を引き起こすという古代ギリシアの伝説。
主役はもちろん三美神のヌードです。

荒木先生はまず女神たちのポージングに注目。
個々の区別はほとんどなく、横向き・正面・背中を見せて振り向く姿と
同じ女性を別の角度から描いたような様子から、
人物がくるくる回る「メリーゴーラウンドのような回転」が生まれています。

この回転を強調する「ねじり」のきいたポーズは
実際の人体が再現するのはなかなか大変そうですが、
自然に描くとエロさやいやらしさが出てくるところに
「ファンタジー感」を生む効果があるそうです。

デザイナーの篠原さんは「圧倒的過ぎて官能的というより超越」になるところに
ヌード画とファッション誌の写真の共通点を見つけています。
(いわく「セクシージョジョ立ち」)
そう言えばこの作品、今年最初の日曜美術館で荒木先生が
「ポージングが現代のファッションモデル」と紹介した作品でした。


課題:19世紀のヌード
ジャン=レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》1890頃

同じくギリシア神話から、自ら作った彫刻に恋をしたキプロス島の王ピュグマリオンと
神の奇跡で彫刻から人間となった美女ガラテアの物語から、
像が人間に変化していくシーンを描いています。

作者のジェロームは19世紀後半のアカデミズムを代表する画家で、
均整の取れたガラテアの後ろ姿や、半透明のキューピッド、
(プロジェクターで投影した画像のようにも見える)
さらに神話という主題はまさしく西洋美術の正統。
一方で、妙にリアルで近代的なアトリエや
人物の顔を無理に描かない現実を意識したポージングからは
完全な古典古代ではない近代性も感じられます。

なお19世紀はアカデミズムに対抗して
ありのままを描くレアリスム(写実主義)が生まれた時代。
《ピュグマリオンとガラテア》の20年ほど前には
ギュスターヴ・クールベが《水浴する若い女性》(1866)で
まったく理想化されていないヌードを描き、散々に酷評されました。
《ピュグマリオンとガラテア》《水浴する若い女性》は
現在どちらもメトロポリタン美術館のコレクションに加えられ、
「メトロポリタン美術館展」でともに来日。隣りあって展示されています。

リアリズムから印象派、ポスト印象派、前衛美術などを経て
「アート」なら何でもありの現代ですが、
古典的な理想のヌードが世俗化とともに崩れていったプロセスは知った方が良い、
と三浦先生は語っています。


3限目「風俗画」

17世紀のオランダ共和国にはじまる市民社会の到来で、
王侯貴族や教会だけではなく、一般の民衆も美術を求めるようになりました。
すると、それまで主流だった
宮殿や大聖堂に飾るような大きくて立派な絵・権力を象徴する大仰な主題は
ちょっと裕福な普通の市民からすると扱いに困るということで、
マイナージャンルだった風景画・静物画・風俗画などが発展しました。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《女占い師》1630年代頃

風俗画は市井の人々の日常を描くものですが、
1600年代前半の時点ではまだ「正統派」を引きずって
教訓的な(要は説教臭い)メッセージ性をもつ主題が好まれたようです。

女占い師と客の若い男性、そしてなぜか周囲を取り囲む女性たち…という場面で
描かれているのは世間知らずの若者をだまそうとする「いかさま占い師」。
さらに付け加えると、周囲の女性たちは
こっそり手を伸ばして客の装飾品を掏り取ろうとしています。
つまりここに描かれているのは
「巧いことを言って騙そうとする占い師に注意せよ」
そして「世間は怖い」というメッセージになります。

この絵は《パリスの審判》とならぶ荒木先生のお気に入り。
先生はここでも、登場人物の描き方をチェックします。
客を取り囲む女性たちの配置や細やかな手の動きには、やはり「回転」を発見。
鑑賞者から見えない方の手は何をしているのだろう…
(片手が隠れている女性は2人います)
と思わせる生々しい手の動きは、登場人物の立場や内面を物語っています。

小野さんはこの絵の世界と、
荒木先生の作品で繰り広げられる「頭脳戦」、
相手の裏をかいて騙しあう静かな戦いに似た雰囲気を感じたようです。


課題:メッセージがあいまいな風俗画
ジャン・シメオン・シャルダン《シャボン玉》1733-1734頃

《女占い師》のおよそ100年後に描かれたこちらの風俗画は、
窓辺でシャボン玉を吹く男性と、それを眺める子供が描かれています。

篠原さんと鈴木さんは、使われている色の地味さや薄暗い背景などから
なんだか暗い印象を抱いたようです。
対して小野さんと柴田さんの印象は、日常のくつろいだ場面を描いた一コマ漫画。
背後でシャボン玉を見つめる子供のまなざしが
「割れるぞ~割れるぞ~」と少し意地悪を含んだワクワクなのか、
「いいなあ、やりたいなあ」という憧れなのかは意見が分かれました。

三浦先生によると、短い時間で消えていくシャボン玉は「生のはかなさ」の象徴。
もっともこの絵の目的は「はかなさ」というテーマを伝えることではありません。
暗い雰囲気でも、一息ついて遊んでいる様子でも、シャボン玉にことよせた寓意でも、
見方によって違った受け取り方ができるし、そのどれもが正解。
絵画の世界は現代に近づくほど約束事が薄れて
イメージが多義的になっていくんだそうです。


「メトロポリタン美術館展 ― 西洋絵画の500年」(国立新美術館)

メトロポリタン美術館が所蔵するヨーロッパ絵画2500店のうち
選りすぐりの65点(うち46店が日本初公開)を、
15~6世紀・17~18世紀・19世紀と、年代別の3部構成で紹介しています。

東京都港区六本木 7-22-2(企画展示室1E)

2022年2月9日(水)~5月30日(月)

10時~18時
※入場は閉館の30分前まで
※毎週金・土曜日は20:00まで

火曜休館

一般 2,100円
大学生 1,400円
高校生 1,000円
※チケットは事前予約制(日時指定)

公式サイト