岡崎大輔『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?』SB Creative,2018 (アート・美術館のおすすめ本)

ビジネス書と美術鑑賞の出会い

タイトルを見るといかにも
「世界のエリートに負けない教養を身に付けるために美術館へ行こう!」
と主張するビジネス書のようですが、
この本は美術鑑賞プログラムとその実践について紹介するものです。

結果的にビジネスに役立つ能力が身につくことは間違いないものの、
美術館に行くだけでエリートになれることを保証するものではありませんし
「世界のエリートがやっているから真似をしよう」という内容でもありません。

アート作品と対話することで「問題発見能力」「問題解決能力」、
さらに「論理的かつ体系的な思考力」や「多様性に対する受容力」を鍛えようというものです。
まったく知識がない所からはじめる美術鑑賞の手引きとしても優秀です。

対話型鑑賞 ACOPとは?

ここで紹介されるACOP(エイコップ Art Communication Project)は
著者の岡崎大輔さんが所属している
京都造形芸術大学のアート・コミュニケーション研究センターで
2004年から実施している教育プログラムです。

ニューヨーク近代美術館(MOMA)で考案された美術鑑賞法を元にしたもので
最大の特徴は美術の専門知識を必ずしも必要としないこと」。
キャプションにある情報(作品名・作者名・制作年代・解説など…)を用いず、
目の前の作品を見て「何を感じるか」「何を考えるか」を
同じ作品を見た人同士のグループで話し合う「対話型鑑賞」を行います。
対話型鑑賞法の内容は以下の通り。自分ひとりで行うパターンも紹介されています。

  • みる…目の前の美術作品を、意識をもって隅々まで見る
  • 考える…作品から感じたことの根拠を見つける
  • 話す…感じた事・考えたことについて「的確な」言葉で伝える
  • 聴く…他の参加者の意見を意識をもって聴く

見ているようで見ていない「モナ・リザ」の背景

方法の最初で「意識をもって」「隅々まで」と
「みる」ことが強調されている事には理由があります。
アート作品の鑑賞において「目の前の作品をしっかりと見る」ことは
当たり前のようでいてなかなかできないものです。
この実例として、誰もが一度は「見た」ことがあるであろう
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」(1503-1519頃)
に関する問題がありまして…。

『モナ・リザ』には、眼鏡橋のようなアーチを持つ小さな橋が描かれています。どこに描かれているでしょうか?

答は56頁

わたしは問題を読んだときに橋があったかどうかよりも
背景が屋外だったのは確かだとして(上の方に空があったはず…)、
さて野山だったか田園だったか…と考えてしまい、
「モナ・リザ」の背景を思い出せない人が大多数と知って安心した口です。

実は人間にはあるものについて「知っている」と思うと
それ以上見なくなる傾向があるそうで、
美術館でかぶりつくようにしてキャプションを熟読し、
肝心の美術作品はちらっと見ただけ…という行動をついとってしまうのは
これが原因のようです。

現代人が解釈する寓話の「意味」

「モナ・リザ」の例だけでもあえてキャプションを取り除く理由はわかりますが、
これにはもうひとつ大きな理由があります。

実際のワークショップで使われた1枚の絵があります。
両脇に深い溝がある道の上を6人の人間が並んで歩いていますが、
先頭のひとりが転んで溝に落ち、2人目もつられて転びそうになっています。
この人たちはそれぞれ眼球が白濁していたり、
進行方向と顔の向きがちぐはぐだったりするので目が見えていないようです。
それぞれ長い棒を持ち後ろの人は前の人が持っている棒の端を掴んでいるので、
このままでは3人目以降も一緒に転んでしまうでしょう。
背景には尖塔をもつ建物(たぶん教会)があり、
この人たちは教会から遠ざかって暗い方に進んでいるように見えます。

参加者はこの絵から抽出した「転ぶ」「盲目」「集団」「教会」などの
キーワードから解釈を広げ、ひとりは
「何かの宗教を盲目的に信じて、失敗してしまった人たち」
に見えると言っていました。

この絵はピーテル・ブリューゲル(父)の「盲人の寓話」(1568)。
原点は新約聖書のエピソードで、
神の教えの本質を見失った宗教指導者を「盲人を導く盲人」に例えたものです。

目が見えない人が同じく見えていない人を先導することで
かえって教会から遠ざかる…
というのが一般的な解釈かも知れませんが、
「宗教に対して盲目である」状態という解釈が出たことは重要です。


こういった解釈は新興宗教の問題や国際的な宗教紛争を知っている
現代の人間だからこそ出て来たものではないでしょうか。
さらにこの後の話し合いでは、
「集団で何かを盲目的に信じること・コミュニケーション不足による危険性」
など、現代社会に通じる解釈が浮かび上がったそうです。

対話型鑑賞法では作品から取り出した要素を解釈することが重要ですが、
現代に生きるわたしたちの解釈は作者が狙った(と思われる)解釈と完全には一致しません。
「正解」を探すのではなく、
作品から得た事実と結びついた自分の解釈を導き出すことが大切なのです。

知識ゼロからの美術鑑賞

もちろん、美術の知識があれば鑑賞はより面白くなるでしょう。
ですが人間の歴史とほぼ同時に始まったらしい美術に関する知識を
すべて頭に入れるのはどんな天才でも無理ですよね。
それでも多くの人が「美術館は専門知識がないと面白くない」と誤解しているようです。
(「美術館は美術を勉強するところだ」という思い込みがあるのかも…)

そんな常識(?)に対して
美術を鑑賞する方法はそれだけじゃない、
美術作品から得られるものだってそれだけじゃない、と言ってのけるこの本。

「知識がないのに美術館に行っても仕方がない」と思っている人。
「美術ってよく分からない」「つまらない」と思っている人。
もちろん生活や仕事に活きる能力を伸ばしたい人にもおすすめです。

今からすぐ始められる美術鑑賞、いかがですか?

コメント

  1. 岩崎雄貴 より:

    映画監督をしているのですが、この思考は大事だと思います!
    映画監督として撮影した動画が「OK」かそうでないかを判断するのですが、撮影したカットがなぜ「OK」かそうでないかを説明できないと監督としての信頼感を失ってしまいます

    そうならないためにアート思考を鍛えていこうと思います!
    ありがとうございます!
    シェアさせていただきます!