松濤美術館は6月2日から再開「真珠―海からの贈りもの」 しばらくの間は新型コロナ対策が実施される模様

4月から休館が続いていた渋谷区立松濤美術館は、
緊急事態宣言の解除を受けて6月2日から開館。
5月30日から開催予定だった「真珠―海からの贈りもの」展も
会期を大幅に延長して開幕しました。(9月22日まで)
入館者の人数制限など、しばらくは特殊な開館状況が続くそうですが、
古代から多くの人に愛された輝きに心を癒されるのはいかがでしょうか。

真珠―海からの贈りもの(渋谷区立松濤美術館)

東京都渋谷区松濤2-14-14

2020年6月2日(火)~9月22日(火) (会期変更)

10時~18時
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館((ただし、8月10日・9月21日は開館)
8月11日(火)休館

一般 1,000円(800円)
大学生 800円(640円)
高校生・60歳以上 500円(400円)
小中学生100円(80円)
※( )内は渋谷区民の入館料
※土・日曜日、祝休日及び夏休み期間は小中学生無料
※毎週金曜日は渋谷区民無料
※障がい者及び付添の方1名は無料

6月中、金曜日の「夜間開館」ならびに建築ツアーは中止。イベントは延期

公式ウェブサイト


美術館に入る前に

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、
松濤美術館では入館者の数を最大50人に制限しています。
また団体・グループ(4人以上)での受付は休止中です。


入館の前に、入り口で
氏名・連絡先(メールアドレスまたは電話番号)・健康状態の記入が必要です。
(保健所など行政機関からの聞き取り調査が必要になった時のため)
用紙は2つ折りにして受付のボックスに入れます。
記入した個人情報は60日保管した後に破棄されるそうです。


アルコール消毒液は入り口のほか、受付・展示室入り口などにも設置されています。
入館にはマスクの着用が必要です。

受付でA5サイズの入館整理札を受け取ります。
(帰りの際、出口横の返却ボックスへ)


ヨーロッパと日本の真珠の歴史を知る展示

手続きが終わったら、いよいよ展示室へ。

松濤美術館の展示室は、地下1階と2階に分かれています。
この展覧会では、
地下1階の第1展示室(主陳列室)で、
ヨーロッパを中心とした真珠のアクセサリーとその歴史に関する展示が。
2階のサロン・ミューゼでは、
日本の真珠と、明治期に花開いた真珠アクセサリーの文化の展示、
同じく2階の特別陳列室では、
世界で初めて真円真珠の養殖に成功した御木本幸吉にはじまる、
養殖真珠に関する展示がありました。

ヨーロッパの真珠

真珠は世界各地で古くから珍重されてきた宝石で、
メソポタミア時代にも真珠取引の記録があるそうです。
独特の美しい光沢に加えて
紀元1世紀の博物学者プリニウスが著書『博物誌』の中で
「獲得するには人命をも賭けねばならない」と述べているように
手に入れることが非常に困難だったことから、
古くから富と権力の象徴として求められてきました。

真珠の人気は、加工の簡単さもあるかもしれません。
貝から取り出した時点で形も色艶もほぼ完成している真珠に比べると、
大抵の宝石は「宝石」の形にするための手間がかかります。
たとえば現在宝石の代表格のように扱われているダイヤモンドは
古代ローマのにはインドから輸入されていた歴史ある宝石ですが、
硬くて加工が容易ではなかったために
美しさという点ではあまり評価されていなかったそうです。
ダイヤモンドを研磨する方法が確立されたのは15世紀、
ブリリアントカットの原型ができたのは18世紀のことで、
ダイヤモンドの「輝き」が注目されるには
技術の発達を待たなければなりませんでした。

もちろん、真珠のアクセサリーも技術と無関係ではありません。
19世紀に技法や素材が多様化すれば細工物の素材として
ごく細かいシードパールや半球状にカットされたハーフパールが流行し、
その後アーツ・アンド・クラフツ運動によって手仕事の価値が見直されるようになると
真円やドロップ型のシンプルで美しい形をした真珠が好まれるようになります。
ヨーロッパの真珠は、社会の動きや時々の流行によって形を変えながら
人々の身を飾ってきたようです。

日本の真珠

一方日本では、真珠を装身具として身に付けた例はあまり見られません。
福井県の鳥浜貝塚から出土した5500年前の「縄文真珠(トリハマ・パール)」や
江戸時代に長崎の大村藩で採取された「夜光の名珠」の存在から
真珠を珍重していたことは間違いないのですが、
それは高価な宝物としてであって、加工して身を飾る方向には行かなかったようです。

理由のひとつには、染・織の美しさを重視する着物文化が発達した日本で、
アクセサリーが櫛・簪(かんざし)など髪を飾るものに偏っていたこともあげられます。
明治時代になって洋装とアクセサリーの文化が輸入され、
さらに1905年、御木本幸吉(1858-1954)が真円真珠の養殖に成功し、
養殖真珠が大量に流通するようになったことで、
日本の中でも真珠のアクセサリーが作られるようになりました。