2020年5月の「すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」から続く
「ルーブル美術館」シリーズの第4回。
16世紀にイタリアからもたらされた絵画からはじまったルーブルが、
ルイ14世による絶対王政のもとで独自の美術を発展させ
「芸術大国」の礎を築く17~18世紀をとりあげます。
2021年11月21日の日曜美術館
「ルーブル美術館 美の殿堂の500年 “太陽王” が夢見た芸術の国」
放送日時 11月21日(日) 午前9時~9時45分
再放送 11月28日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
収蔵数68万、ルーブル美術館には人類のあらゆる美の記憶が刻まれている。今回は17世紀~18世紀。太陽王ルイ14世のもとでフランスは世界に冠たる芸術大国へと成長する。芸術が王権の象徴だった時代、アポロンの間など荘厳な美の結晶が花開く。太陽王が亡くなると、今度は恋愛や自由をおう歌するロココ芸術が現れる。芸術大国フランスが誕生した時代、ルーブルが誇る建築、絵画、彫刻、工芸、世界最高の美術品を8Kで撮影。(日曜美術館ホームページより)
ルイ14世の芸術政策
17世紀を「偉大なる世紀」と呼んだのは、
18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールだそうです。
その時代のフランスに君臨したルイ14世(1638-1715、在位1643-1715)は、
父王ルイ13世の死去によって4歳で王位につきました。
その5年後、王家と対立する貴族の反乱(フロンドの乱)が勃発し、
国王は一時パリを追われて各地を転々とすることになります。
1654年に権力を取り戻したルイ14世は絶対王政の全盛期を築き、
対外的には侵略戦争を繰り返して積極的に領土を拡張し、
国内では重商主義政策を進めて財政を強化しました。
また、国王の権力を示すために優れた美術品を収集しています。
ルイ14世が即位した時点で数十点だったルーブルの絵画コレクションは、
王が蒐集に励んだことで2,500点に達したそうです。
絶対的な権威をもつ国王は「太陽王」と呼ばれましたが、
この有名なあだ名は、バレエ愛好家でみずから舞台にも立ったルイ14世が
初舞台で太陽神アポロンに扮したことからついた、という説もあります。
ルーブル美術館の「アポロンのギャラリー」の天井には、
ルイ14世を表すアポロンとその威光をたたえる絵画が描かれています。
イアサント・リゴー《ルイ14世の肖像》1701
歴史の教科書でもおなじみの、ルイ14世を描いた肖像の傑作。
独特の立ち姿は、バレエのポーズを参考にしているそうです。
王家の紋章(フルール・ド・リス)を刺繍して白い毛皮で裏打ちした青いマントや、
襟や裾を飾る繊細なレースの質感が見事に表現されており、
権力の絶頂にある国王の衣装の豪華さがよくわかります。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者聖ヨハネ》1516-1519頃
作者のレオナルドが生涯手元に置いていた作品のひとつで、
イタリアからフランスに入って来たのは
《モナ・リザ》や《聖母子と聖アンナ》と同じくフランソワ1世の時代ですが、
多くの資金を投じてルーブルに収蔵されたのは、ルイ14世の時代です。
暗い背景の中、なにやら意味深な微笑を浮かべて天上を指さす聖人の肌だけが
ぼんやり浮き上がって見える、この世のものではないような不思議な印象を受けます。
ラファエロ・サンティオ《バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像》1514-1515
ルネサンス美術の到達点とも言われるラファエロの傑作。
モデルとなったカスティリオーネは、16世紀イタリアの人文主義者でした。
暗い色の服装は「真の知性は慎みの中にこそ宿る」という
カスティリオーネの考えを表したもの。
黒・グレー・白といったモノトーンの服装の中、
茶色い豊かなひげや青い瞳、赤みのある肌がやけに生き生きとして見えます。
現代ではルネサンスを代表する画家と言えばレオナルドのイメージですが、
16世紀当時はラファエロの方が高い評価を受けていました。
ルイ14世と王立絵画彫刻アカデミー
ルイ14世の時代、ルーブルのコレクションは
フランスで作られた美術の収集を中心とするようになりました。
1648年に創設された「王立絵画彫刻アカデミー」は、
王の業績を歴史として後世に伝える芸術家を育成するべく、
ルイ14世の肝いりで1663年に再編されています。
(1692年、本拠地をパレ・ロワイヤルからルーブルに移す)
歴史画を絵画の頂点とする考え方は、このアカデミーによって確立されました。
ここで育った芸術家たちが、芸術王国・フランスの基礎を築いていくのです。
ニコラ・プッサン《サビニの女たちの掠奪》1637-1638
古代ローマ建国の際、近隣のサビニから女性を奪ってきたという伝説を描いたもの。
アカデミーの芸術家たちに模範として示された歴史画のひとつです。
略奪の混乱した現場を描いたこの作品は、よく見ると右から左に向かって
女性が服の下に隠れようとする→捕らえられる→抵抗虚しく連れていかれる
と、一枚の絵の中で時間が動く構図になっています。
ピーテル・パウル・ルーベンス《マリー・ド・メディシスの生涯》1622-1625
ルイ14世の祖母にあたるメディチ家のマリー・ド・メディシスの生涯
(誕生から息子ルイ13世との和解まで)を、歴史画風に描いた24枚の連作です。
フランスにやってきたマリーと航海を守る海の精霊や神々、
出迎えるフランス(の擬人化)などを描いた〈マルセイユ上陸〉は、
銀色に輝くようなドレスをまとう王妃、海の精霊たちの透明感のある肌や
波のしぶきなど、豊かな色彩表現が見どころです。
ジャック・ブラン《ルイ14世の宝石用の櫃》1675
国王の庇護のもとで貿易振興・産業育成などをおこなったフランスでは、
工芸技術も大きく発達しました。
国王のために作られたこちらの宝石箱は、
純金の透かし彫りが表面を覆いつくす豪華なデザインです。
切れ込みのある葉が渦を巻くようなアカンサス文様は、
紀元前5世紀のギリシアで柱の装飾に使われたのがはじまりという由緒正しい文様。
曲線を多用したデザインがグチャグチャした印象にならず
すっきりして見えるのは、左右対称の配置のせいでしょうか。
文様の下には青い布地が透けて見えます。
この時代の金細工はほとんどが戦争費用をまかなうために
鋳潰されてしまったため、とても貴重な作品と言えます。
ピエール・ピュジェ《クロトナのミロ》1671-1682頃
その名も「ピュジェの中庭」という彫刻展示室に置かれた作品です。
ミロとは、古代ギリシアのオリンピックで活躍した闘技者で、
老いてなお衰えない力を示そうと
切株の裂け目に手を入れて引き裂こうとしたところ、
逆に手を挟まれて身動きが取れなくなり
獣(彫刻ではライオン)に食い殺されたそうです。
過去の栄光に捕らわれた虚栄心が悲劇を招くという教訓話ですが、
それとは別に身をよじる姿はダイナミックで
獣の爪が肉に食い込む姿も生々しい、とても優れた彫刻です。
マルディン・ファン・デン・ポハルト《4体の捕虜》1682-1685
こちらもピュジェの中庭にある作品で、
フランスが仏蘭戦争で打ち負かした4つの国
(オランダ・スペイン・神聖ローマ帝国・ブランデンブルグ)
を擬人化したブロンズ像です。
もとはルイ14世の銅像の足もとに置かれていたそうですが、
現在は空っぽの四角い台座に座り込むように配置されています。
ルイ14世の死とロココ芸術の時代
30年にわたる周辺国との戦争のための戦費の調達、
そしてヴェルサイユ宮殿の造営のための重税で、
(1682年に宮廷がヴェルサイユになり、ルーブルの美術品も多く移されました)
フランスの国民はその日食べるものにも事欠くようになりました。
庶民の間では戯れ歌として
王宮にまします我らが父よ
汝の名はもはや称えられず
汝の声を聞く者もおらず
(略)
我らに日々のパンを与えよ
と、「主の祈り」(天にまします我らが父よ、御名を崇めさせたまえ…)
のパロディが流行したそうです。
1715年にルイ14世が没した時は国の財政は破綻寸前で
これが尾を引いて後のフランス革命にもつながるのですが、
とりあえず戦争は減って庶民の暮らしも落ち着きました。
市民社会がはじまった18世紀には
宮廷だけではなく市民も絵画を鑑賞するようになり、
自宅(絵画専門のギャラリーではなく)に飾る絵として静物画や風俗画など、
ルイ14世の時代には評価されなかった
さまざまなタイプの美術が日の目を見るようになります。
また、1737年からルーブル宮の「サロン・カレ(方形の間)」で
アカデミーの展覧会が年に1回開催されるようになり
(いわゆる「アカデミーのサロン」です)
アカデミーのコレクションが公開されるようになりました。
この時代のフランスで、
アカデミーの思想の上に花開いたのがロココ芸術です。
重厚かつ権威的な芸術から一転して
華やかに・軽やかに生きる喜びを謳歌する表現が登場し、
絵画も女性の肉体や恋愛模様などを優美に描く作品が生み出されました。
ジャン・シメオン・シャルダン《赤エイ》1725-1726
当時の庶民がよく食べていたエイを中心に、台所の風景を描いています。
吊るされて捌かれたエイや向かって右手の食器類は質感が伝わってきそうな丁寧さで、
逆に左手に転がる牡蠣やネギらしき野菜はざっくりしたタッチで描かれ、
同じ絵の中に緩急がある印象を受けます。
牡蠣の奥には何かを狙っているのか尻尾を立てた猫がいて、
絵の中に動きを生み出しているようです。
フランソワ・ブーシェ《オダリスク》1743-1745
オスマン帝国のハーレムに仕えた女性をテーマにした作品。
背景の青が鮮やかなことから《ブルー・オダリスク》とも呼ばれています。
ベッドの上にうつぶせになり、顔だけこちらに向けている女性は
ブラウスのような上着を一枚引っかけただけのあられもない姿。
顔や指先、丸出しになったお尻などに使われている
赤い色が官能的な雰囲気を引き立てて、
官能と下品のギリギリを攻めているような趣があります。
作者のブーシェはロココ様式を代表する画家のひとりでした。
アントワーヌ・ヴァトー《シテール島の巡礼》1717
アカデミー出身のヴァトーが描いた、貴族の恋愛模様です。
舞台となっているシテール島(ギリシャのキティラ島)は
愛の女神アフロディーテゆかりの地で、恋人たちの聖地とされた場所。
絵の中ではアカデミーの教材とされた《サビニの女たちの掠奪》と同じように
男性が女性を口説く→女性が受け入れる→共に水辺へ向かう
と、右から左にかけて時間が流れ、
最後に空を舞うキューピッドたちに祝福されて船出する、という
神話的な歴史画を踏まえた構図になっていて、
ロココ様式の根底には
ルイ14世の目指した芸術が根付いていることを表しているようです。