久々に、小野さんと柴田さんがそろって出演する日曜美術館。
茨城県の水戸芸術館で「3.11とアーティスト:10年目の想像」展を見学しました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災によって
芸術の役割を問い直すことになったアーティストたちが、
想像を超えた現象を形にすることに挑みます。
2021年3月7日の日曜美術館
「震災10年 アーティストたちの想像力」
放送日時 3月 7日(日) 午前9時~9時45分
再放送 3月14日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
水戸芸術館で開催中の「3.11とアーティスト:10年目の想像」展。東北でのボランティアをきっかけに創作を始めた、小森はるかさんと瀬尾夏美さんのユニット、福島の帰宅困難地域との「境界線」を描き続ける加茂昴さん…展覧会は、震災が露わにした問題の1つが「想像力の欠如」だと考え、見る人の想像力を喚起しようとする。さらに作家たちの目はコロナ禍の「今」にも向かう。柳澤紀子さん、鴻池朋子さんのメッセージとは?(日曜美術館ホームページより)
出演
竹久 侑 (水戸芸術館主任学芸員)
小森はるか (映像作家)
瀬尾 夏美 (作家・画家)
加茂 昂 (画家)
佐竹真紀子 (美術家)
柳澤 紀子 (美術家)
鴻池 朋子 (美術家)
東日本大震災(2011)と水戸芸術館の取り組み
水戸芸術館では震災の1年後、2012年に開催された
「3.11とアーティスト:進行形の記録」を皮切りに、
震災をテーマにした発信を続けています。
「進行形の記録」ではアーティストたちの1年間にわたる活動が紹介され、
その内容は記録・記述やワークショップなどが中心でした。
10年が経った今回の「3.11とアーティスト:10年目の想像」では
アーティストたちは震災の記憶を作品の形に昇華させています。
想像を超える出来事があった時、人間は言葉を無くし
想像する方法まで失ってしまうことがありますが、
「もともと芸術って、想像させることっていうのが得意な仕事」であって、
「芸術にとって重要な一つの仕事が想像力をいかに喚起するか」ではないか。
そこを問い直すのがこの展覧会のひとつのポイントだと、
水戸芸術館主任学芸員の竹久さんは語っていました。
小森はるかと瀬尾夏美《二重のまち/交代地のうたを編む》2019
震災の年に大学4年生だった小森さんと瀬尾さんは、
3月の末にボランティアとして岩手県の陸前高田市に3週間滞在。
その後も訪問を重ね、翌年には高田に移住しました。
最初の展示室には、
小森さんが映像で、瀬尾さんが言葉とスケッチで
集めた記録が展示されていました。
小さい書見台のようなケースの中に平たく置かれた瀬尾さんの作品がならび、
壁に設置したモニターから小森さんの映像が流れる不思議な空間の中に、
街の変化、近所の人たちの声、自分の思うところなどが再現されています。
震災から4年後に瀬尾さんが制作した《二重のまち》(2015)は、
震災の後に亡くなった人たち、そして失われた街の弔いのために作られた花畑と、
2014年ごろから進められた復興工事によって
かつての街の上に山から削りだした土が盛られていくことから着想を得た作品です。
今ある地面の下に降りていくとかつての街に辿り着くという発想はさらに発展し、
未来の陸前高田で暮らす子どもを主人公にした絵物語として完成しました。
加茂昂《福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ》2019
大学を卒業し、画家として活動を始めた翌年に震災にあった加茂さんは、
震災で「世界と自分との関係がバグった」といいます。
想像を超えた自然の力に圧倒されて何も描けなくなった加茂さんは、
今できることを考えて、宮城県の石巻市のボランティア活動に向かいました。
転機となったのは、地元の人と一緒に商店街のシャッターに絵を描いていた時のこと。
津波で色がなくなってしまった石巻市に色が戻ってきてすごく嬉しい、と
通りすがりのおばあさんに言われた時、
「何もできないのに絵を描いていて良いのか」と考えていたのが、
「絵でも何かできるかもしれない」と思ったそうです。
現在、加茂さんは大規模な事故を起こした福島第一原子力発電所のある
福島県の双葉郡に通って、作品を制作しています。
「帰還困難区域」の立看板の前で描いた
《福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ》(2019)は、
立ち入り制限されている地域との境界線をテーマとした作品。
写実的に描かれた風景画の中、
赤と白のカラーコーンと「帰還困難区域」を示す黄色い看板は
人間だけに伝わる「危険」「通行禁止」のメッセージを発しています。
佐竹真紀子《Seaside Seeds》2017
震災の4年後に宮城県仙台市の若林区にある荒浜を訪れた佐竹さんは、
地域の足だった路線バスが当分開通しないことを知ったことから、
《偽バス停》(2015)という作品を発表しました。
元々バス停があったところに、偽物のバス停標識板を立てたもので、
(停留所名の下には「偽 仙台市交通局」と書いてあります)
かつての荒浜が蘇ったようだと地元の人に喜ばれたそうです。
荒浜の人たちと交流するようになった佐竹さんは、
古い絵図を通して村の歴史を知るという地域のイベントで
写真より前の時間をとどめている絵が、
歴史を伝え、誰かの想像の手がかりになることを強く感じたそうです。
荒浜を描き続けている佐竹さんが描いた《Seaside Seeds》(2017)は
遠目に見ると一面の青に明るい色をちりばめた抽象画のように見えますが、
江戸の漁村の様子や震災前の活気ある街並み、
そして津波を経て現在の風景にいたるまで、
過去から未来へつながる荒浜の歴史を描いたものになっています。
「3.11とアーティスト:10年目の想像」水戸芸術館 現代美術ギャラリー
茨城県水戸市五軒町1-6-8
2021年2月20日(土)~5月9日(日)
10時〜18時 ※入場は閉館の30分前まで
月曜休館(5月3日は開館)
一般 900円(20名以上 700円)
高校生以下・70歳以上、障害者手帳などをお持ちの方と付き添いの方1名は無料
※学生証、年齢のわかる身分証明書、障害者手帳の提示が必要
※3月11日は入場無料
震災の影響を受けた美術家たちとその作品
番組では、水戸芸術館で展示されている作品のほかにも、
震災やその後の原発事故に影響を受けた
柳澤紀子さんと鴻池朋子さんの作品が紹介されました。
柳澤紀子《静かに草を食む》2020
60年にわたって版画などを発表してきた柳澤さんは、
震災の当日の深夜、帰宅途中に目にした「沢山の人が黙々と歩いている姿」が
5歳で体験した空襲の風景とオーバーラップしたそうです。
さらに福島では原発事故が発生し
「被爆国でありながらなんでこんなふうになっちゃったのか」と失望した柳澤さんは
福島の30年後の姿を感じ取ろうと、
1986年に原発事故が起きたウクライナ共和国のチェルノブイリに向かいました。
現在も居住を禁止された街の中には植物や動物が元気に活動していましたが、
放射線は未だなくなっておらず、不条理なものを感じたそうです。
柳澤さんが震災後に制作した作品には動物の姿が多く現れるようになりました。
《静かに草を食む》(2020)は、羊皮紙の上に生贄となった動物を描いたもの。
ところどころ金色をほどこされた姿は、なんだか神聖さも感じます。
鴻池朋子《武蔵野皮トンビ》2021
元々日本画を描いていた鴻池さんは震災の後作品を作れない時期を経て、
2015年、震災後初の個展である「鴻池朋子展 根源的暴力」で
会場の一角を完全に覆うほど巨大な作品《皮緞帳》を発表。
(2020年に国立新美術館の「古典×現代2020」でも展示されています)
以来、作品の素材に皮を使うようになりました。
「綺麗に描くっていうよりも相手に傷つけるような快感があります」
と、鴻池さんは語ります
新作の《武蔵野皮トンビ》は、牛の皮を使った縦10m、横24mの大作。
2020年埼玉県所沢市にオープンした角川武蔵野ミュージアムで、
6人のアーティストがそれぞれ「現代のアマビエ」を発表する
「《コロナ時代のアマビエ》プロジェクト」の一環として制作されました。
(2021年1月から11月まで展示予定)
猫とフクロウを掛け合わせたような姿は
長い髪と鱗のある姿で描かれることが多いアマビエとはだいぶ違いますが、
(アマビエの鱗を羽だと思えば似ているかもしれません)
「アマビエが持っている超自然的、あるいは我々の理解を超えた力を秘めているように見えます」と小野さんはいいます。
ミュージアムの外壁に張り付くように展示されているため、
風が吹くと揺れて、空に飛んでいきそうに見えるんだそうです。