日曜美術館「マティス 色彩の冒険 南仏・タヒチへの旅」(2024.3.10)

新たな風景と出会うたびに作風を変化させた画家アンリ・マティスの旅に注目。
国立新美術館では去年に続いてマティスの展覧会が開催中です。

2024年3月10日の日曜美術館
「マティス 色彩の冒険 南仏・タヒチへの旅」

放送日時 3月10日(日) 午前9時~9時45分
再放送  3月17日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

色彩の魔術師と呼ばれる画家アンリ・マティス(1869-1954)。常に新しい芸術を追い求め、苦闘を続ける中、革新的な表現を生み出す原動力となったのが “旅”。陽射(ざ)しに満ちた南仏、澄み渡る海が広がるタヒチ。それは、フランス北部の小さな町に生まれたマティスにとって、作風を一変させるほどの強烈な体験だった。マティスを魅了した光と色の “絶景” を、圧倒的な映像美で描き、自由あふれる作品世界の秘密に迫る。(日曜美術館ホームページより)

出演
ジャン=ポール・ファーブル (コリウールの住人)
マリー・プー (コリウールの住人)
デニーズ・スノッドグラス (コリウールの住人)
テレシア・ピットマン (ファカラバ島の住人)


マティスの故郷 ― ノール県(北フランス)

マティスの旅の始まりは、故郷からの逃亡ともいわれています。
マティスが生まれたノール県はフランスの最北にあり、曇りがちで日差しが弱い土地でした。
穀物商の長男として生まれたマティスは、厳格な父のもと家の手伝いに明け暮れる少年期を送ります。

画家を目指したきっかけは、20代で患った盲腸炎の療養中に母親から渡された絵の具箱でした。
「これが私の人生だ」と感じたマティスは、家族の反対を押し切ってパリに向かいます。
官立美術学校の試験に落ちたマティスはそれでも画家を目指しますが、作品は売れず、鳴かず飛ばずの時期を長く過ごします。
そんな彼に転機が訪れたのは36歳の時でした。


マティスとコリウール

コリウールはフランスとスペインの国境に近い、入り江の街です。
1905年に友人の誘いではじめてこの地を訪れたマティスは、コリウールに強く惹きつけられて3カ月半も滞在し、その後も10年ほど毎年のように訪れたそうです。

マティスを惹きつけたのは、地元の漁師たちが船に使うペンキで家の壁を塗ったのが始まりだというカラフルな街並み。
コリウールの旧市街では、現在も壁を塗り直す時は市役所で貰った色見本の中から色を選ぶそうです。
ピンクやクリーム色など華やかな色の中でも、マティスの象徴である青は多くの住人が使っているんだとか。
コリウールの人々は、画家を呼び寄せた街の「色」に誇りを持っているようです。

もうひとつマティスを魅了したのは、地中海独特の乾いた空気のなかで降り注ぐ「光」でした。
強い光と地形が生み出す光の効果は、コリウールにしかない離れがたい魅力があります。

色と光に溢れたコリウールで、マティスが描いた《帽子の女》(1905)は、従来の絵画の規則を無視して、感情の赴くままに色を塗ったような雰囲気。
モデルとなったマティス夫人の顔の陰影や鼻筋には青や緑が使われています。
この作品が1905年の秋のサロンで発表されると、あまりにも無秩序に見える色使いが批判され、マティスは「野獣(フォーヴ)」と呼ばれるようになりました。
後の芸術を変える色彩革命の第一歩です。


マティスの旅 ― 新たな色と光を求めて様々な土地へ

マティスはコリウールに通う一方、新しい色彩と光を求めて新たな場所に足を延ばし、そのたびに新しい画風を作り上げました。

幻想的な植物に囲まれて横たわる女性を描いた《青い裸婦 ビスクラの思い出》は、青白い肌やデフォルメされた立体的な体つきなど、独特な肉体表現が特徴。
これは現地の彫刻の影響を受けた表現だそうです。

《セビリアの静物》(1910)では、様々な色柄の布をかけられた家具が赤い空間の中に配置されています。
イスラム風の敷物は、ポルトガルで入手したもの。
マティスは1938年に引っ越した南仏ニースのアトリエに布や家具調度品など多国籍なアイテムを飾り、絵画にも頻繁に登場させました。

モロッコで制作された《テラスのゾラ》(1912)は、イスラムの神聖な色のひとつである青で統一された作品です。
背景、少女の服、少女が座る敷物それぞれに異なる青が使われ、静かな印象を与えます。


マティスとファカラバ島(フランス領ポリネシア)

フランス領ポリネシアに属するファカラバ島はタヒチ島に次いで2番目に大きな環礁(リング状に発達したサンゴ礁)をもち、多様な生物(固有種含む)が生息しています。
1930年にこの地を訪れた61歳のマティスは最南端のテタマヌに滞在し、日々海を見つめて過ごしたそうです。
マティスが家族にあてた手紙には、ゴーグルをつけて泳ぐマティスのイラストが。
この土地の美しさを満喫したマティスですが、それを作品にするまでには15年の月日が必要でした。

1941年に病に倒れたことが、マティスにきっかけをもたらしました。
がんの手術を受けて体力がなくなり、絵筆を持つことが難しくなったマティスは、色をつけた紙をはさみで切り抜く「切り紙絵」を制作するようになります。
切り紙絵でポリネシアの思い出を表現しようと思いついたのは1946年の春。
(壁のシミを隠すためにツバメの形を切り抜いた時だったそうです)
制作された《ポリネシア 海》《ポリネシア 空》(ともに1947)は、海と空を思わせる2種類の青を背景に、鳥・魚・クラゲ・サンゴ・海草など白いシルエットで表現された生き物たちが集まっています。


マティスの旅の終着点 ― ヴァンス「ロザリオ礼拝堂」

マティスが1948年から足掛け4年かけて完成させたロザリオ礼拝堂(1951)は、建築・内装・調度品・司祭の衣装までマティスがデザインした総合芸術ともいうべき作品。
マティスを語る上では避けて通れない晩年の代表作として、過去の日曜美術館でもたびたび取り上げられています。
日曜美術館「マティス 幸せの色彩」(2023.6.18)
日曜美術館「“楽園” を求めて〜モネとマティス 知られざる横顔〜」(2020.09.06)

切り紙絵をもとにしたステンドグラスが白いタイルの壁に様々な色と形を映し、黒の線のみで壁に描かれた聖母子や聖人の姿も刻一刻と色を変えていきます。
マティスによると、冬の午前11時ごろの光が最も美しいんだとか。
(日曜美術館の撮影は12月の初旬)
幼少期から続く光と色への憧れが詰まったこの場所、マティスが「人生の最高傑作」と語ったのも納得の素晴らしさです。

ロザリオ礼拝堂のステンドグラスは青・緑・黄をメインにした「生命の木」のパターンが使われています。
(樹木モチーフなのかもしれませんが、海藻に似ている気もします)
別の候補には明るい色の四角形を中心に組み合わせた「ミツバチ」というパターンがありました。
「ミツバチ」のステンドグラスは、マティスから故郷の子どもたちへの贈り物として、1955年に創立した学校の幼稚園に飾られています。


「マティス 自由なフォルム」(国立新美術館)

マティスが油彩画から切紙絵に転向したのは晩年の病気で体の自由がきかなくなったのが理由のひとつですが、49歳で手掛けたバレエの衣装に使ったパッチワークなど、体を壊す前から切り絵的な表現を試みていたようです。
この展覧会では作品や資料を通じて、切り紙絵に至るマティスの制作の歩みに注目しています。

初来日の《花と果実》(ニース市マティス美術館蔵)は、キャンバス5枚をつなげて作られた大作(4.1m×8.7m)。
ロザリオ礼拝堂の内部を再現した展示室では、時間の経過による光の移り変わりを体験することもできます。

東京都港区六本木7-22-2 企画展示室2E

2024年2月14日(水)~5月27日(月)

10時~18時(金・土曜日は10時~20時) ※入場は閉館の30分前まで

火曜休館 (4月30日は開館)

一般 2,200円
大学生 1,400円
高校生 1,000円
中学生以下 無料
障害者手帳の提示で本人および付添者1名まで入場無料

公式ホームページ