日曜美術館「カワイイの向こう側 デザイナー・上野リチ」(2021.12.19)

「今っぽい」「カラフル」「ウキウキする」「カワイイ」
そんなデザインを生み出したデザイナー、上野リチ。
今からおよそ130年前のウィーンに生まれたリチの回顧展を、
小野さんと柴田さん、そしてタレントのLiLiCoさんが訪れます。
3人は雨が降る中、京都国立近代美術館にやってきました。

2021年12月19日の日曜美術館
「カワイイの向こう側 デザイナー・上野リチ」

放送日時 12月19日(日) 午前9時~9時45分
再放送  12月26日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

カラフルな色彩と自由な線で描かれた鳥、花、樹木。ウィーン出身のデザイナー・上野リチは、日本人と結婚して来日。二つの国を行き来しながら、テキスタイルや身の回りの小物など、数々の「カワイイ」を生み出した。さらに、建築家である夫と手を組み、斬新な住宅や店舗を手がけながら、社会をもデザインし直そうと試みたリチ。カワイイの向こう側に夢見た “世界” とは。(日曜美術館ホームページより)

出演
LiLiCo (タレント)
池田祐子 (京都国立近代美術館学芸課長)
中井貞次 (リチの教え子・染色家)
河原林美知子 (リチの教え子・テキスタイルアーティスト)
河原林裕二 (リチの教え子)
木村栄輝 (リチの教え子・芸術家)


フェリーツェ・リックス(後の上野リチ)のウィーン工房時代

学芸課長の池田祐子さんの案内で会場に入ると、
少女時代の白黒写真が出迎えてくれました。
彼女が身につけている服やアクセサリー、そして何よりも
この時代(今から100年以上前です)から子どもの写真が撮れることから、
LiLicoさんはかなり裕福な家だったと断言。
その通り、リチことフェリーツェ・リックスの家は裕福なユダヤ系の事業家で、
毎日朝食をとるために馬車でレストランに通った…なんてエピソードがあるそうです。

成長したリチは、19歳で名門・ウィーン工業学校に入学。
この学校で教えていた建築家のヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)は、
建築・インテリア・食器など生活全般を彩る「総合芸術」を提唱する
ウィーン工房の主催者でもありました。
既成の美術に捕らわれないオリジナリティの追及を唱えるホフマンのもとで学び、
学生時代からデザイナーとして活動していたリチは、
卒業後はウィーン工房に所属して花形デザイナーとなります。

リチが31歳の時、工房関係者のパーティーで出会ったのが
ホフマンの建築事務所で働いていた日本の建築家・上野伊三郎(1892-1972)。
2人は結婚し、1926年に上野の故郷である京都に移り住みました。
この頃のリチは、ウィーン工房に所属したままデザイン画を送り、
定期的にウィーンに帰る生活をしていました。


《ウィーン・ファッション/1914/1915》

複数の学生によるファッション画のポートフォリオ。
政府主催のファッションイベントで美術学校が販売したもので、
学生ながらデザイナーとして参加したリチの作品も2点入っています。
リチの作品を当てようとした小野さんは失敗。
続いてチャレンジしたLiLicoさんは1度で正解でした。
決め手は、他と比べて「ちょっと豪華」
「お金がおありだったんじゃないかなという…(笑)」だそうです。

池田さんの補足によると、この作品はどちらも複数の人物を描いた群像で、
他の作品が1人の女性を描いた「ファッション・ポートレート」であるのに対して
「場面全体がデザインされているという感じがすごくします」とのことでした。

《稲光》

小野さんが興味を持ったのは、
正式にウィーン工房のメンバーとなったリチが手がけた
テキスタイルの為のデザインのひとつ。
タイトルがなかったら、稲光のデザインだとは分からないかもしれません。
稲光のようなジグザグの形が描かれているのは間違いないのですが、
全体的に暖かそうな色合いで、しかもその中が様々な色に区切られて
模様まで描き込んであります。まさにオリジナリティに溢れた作品。

リチのテキスタイルは130種ほど商品化され、
中にはLiLiCoさんが「知り合いの家の壁紙で見た」という
《そらまめ》(1928)のように色違いで展開されたものもありました。

マクシミリアン・スニシェク《〈アネモネ〉を使ったドレス》1928

LiLiCoさんが「これ素敵!」と反応したのは、
リチのテキスタイルを使って工房の同僚がデザインしたドレスのデザイン画。
当時はリチと同僚によるこんなコラボレーションがよく行われていたそうです。
会場に展示されていたストライプのデイ・ドレス(昼用のドレス)《ダヴォス》は、
学生時代のリチがテキスタイル、工房の仲間が仕立てを担当した作品でした。


上野リチと日本での活動

1927年に伊三郎を中心とした関西の建築家たちは
「日本インターナショナル建築会」を立ち上げます。
このグループは「真正なるローカリティ」を掲げ、
日本固有の風土をインターナショナルな合理性で解決することを目指しました。
ここに含まれるのは、建築をはじめ生活に関するすべてのアート。
ウィーン工房の理念と似ている気がします。

リチは伊三郎の建築の内装を手掛け、共同で斬新な生活空間を発表します。
中でも京都のバー「スターバー(STAR BAR)」(1930)は
1932年にニューヨークで開催された近代建築・国際展覧会に出展されました。
中央に盆栽が飾られ、銀色の天井にリチの植物画が踊る空間は斬新そのもの。
夫妻は世界に向けた一歩を踏み出しました。
ところが、リチの故国ではナチス・ドイツが台頭。
家族は国外へ亡命し、リチもウィーンと行き来することができなくなります。

1936年から1939年まで、伊三郎は群馬県高崎の群馬県工芸研究所所長に就任。
「日本インターナショナル建築会」の同志だった
ブルーノ・タウト(1880-1938)の紹介だったそうです。
リチはここで竹製のサンドイッチ・トレイや
こけしをアレンジした木製人形《頭で荷を運ぶ女性》など
地元の素材や技術を使った新しい製品を制作します。
機能主義のタウトからはあまり評価されていなかったそうですが、
リチの作品は東京や軽井沢のアンテナショップで人気だったとか。

その後、再び京都に戻ると、リチは西陣織物同業組合によって設立された
「京都市染織試験場」図案部の嘱託として、
西陣の工房に頻繁に出入りして織りや染めの技術を学び、
新しいデザインを幾つも世に出しました。
《像と子ども》や《アフリカ》など輸出用品の図案を手がけるほか、
西陣の職人と協力して友禅・絣・綴れ織りなどの新しいデザインを手がけています。

この時期は、第二次世界大戦(1939-1945)の真っ最中。
リチと同じくヨーロッパ生まれ・日本で活躍中のLiLiCoさんは、
リチの「心の状態」は良くなかったかもしれない、と言います。
故郷には帰れず、親兄弟のことも心配。
それでも「海外にお邪魔している身としては」
そんな心の中をストレートに周囲に見せたくない。
むしろ「日本からインスパイアしたものをハッピーで返したい」と
心が和むような幸せを感じる作品を作り続けたリチを
「仕事がとっても好きな方」というLiLiCoさんでした。


教育者としての上野リチ

1951年、リチは京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)の講師(後に教授)として
自身の制作のかたわら後進デザイナーの教育に当たるようになりました。

当時の学生たちによればリチは
日本語が苦手で基本的にドイツ語だったこともあってか、
ちょっと近寄りがたいようなおっかない先生でした。
想像力(ドイツ語では「ファンタジー」)を重視したリチは
特に人まねに厳しく、何かを模倣したような作品を提出した学生を
「アナター! デザイナー辞めなさーい!」と
(この時ばかりは日本語で)怒鳴りつけたそうです。
それでも同じ学生が良い作品を作れば
やはり全力で誉めたと言いますから、
学生たちには大きな期待を寄せていたのでしょう。

実際リチは東京有楽町に新設された日生劇場(村野藤吾設計、1963)の
食堂の壁面装飾を請け負った際、
実際の作業は教え子たちに任せて、自分はほとんど顔も出さなかったと言います。
壁から天井まですべて堺目なしにカラフルな植物で覆う内装は、
学生たちの手で完成されました。
この壁紙はレストランが取り壊された際取り外され、
現在は京都市立芸術大学で保管されています。

生前、制作の姿は夫にも見せず、言葉を残さなかったというリチですが、
柴田さんが最後に言ったように、遺された作品やエピソードからは
くっきりとした「上野リチ」の像が立ち上がってくる気がします。


「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」

リチの業績は長らく夫・伊三郎の陰に隠れていましたが、
2006年に京都国立近代美術館に纏まったコレクションが入ったことで
研究が大きく進んだそうです。
ウィーン・ニューヨーク・京都にある上野リチの大規模なコレクションを集めた
初の大回顧展は、京都国立近代美術館での展示が終了したあと
東京の三菱一号館美術館に巡回します。

公式サイト

京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町26-1)

2021年11月16日(火)〜2022年1月16日(日)

9時30分~17時 (金・土曜日は20時まで)
※入場は閉館の30分前まで

月曜日および12月28日(火)~1月3日(月)は休館
※1月10日(月・祝)は開館

一般 1,700円
大学生 1,100円
高校生 600円
中学生以下無料

公式サイト

三菱一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)

2022年2月18日(金)〜5月15日(日)

10時~18時
※祝日を除く金曜・第2水曜日・会期最終週の平日・4月6日(開館記念日)は21時まで
※入場は閉館の30分前まで

月曜日・4月12日(展示替え)休館
※2月28日・3月28日・4月25日(トークフリーデー)、3月21日、5月2日、5月9日は開館

一般 1,900円
大学・高校生 1,000円
中学生以下無料

公式サイト

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