日曜美術館「よみがえるミュージアム〜水害から文化財を守れ〜」(2022.7.17)

NHKの「全国ハザードマップ」で東京近郊を確認すると、
洪水が起きた時に浸水の危険がある川沿いのエリアには
意外と多くのミュージアムがあります。
将来水害が発生した時のために、今できることはあるのでしょうか?
日曜美術館では、2011年の東日本大震災で津波の被害をうけた
陸前高田市立博物館と石巻文化センター(現在は石巻市博物館)、
そして2019年の台風で収蔵庫が水没した川崎市民ミュージアムから、
当時の様子と今も続く文化財レスキューの取り組みが紹介されました。

2022年7月17日の日曜美術館
「よみがえるミュージアム〜水害から文化財を守れ〜」

放送日時 7月17日(日) 午前9時~9時45分
再放送  7月24日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

東日本大震災から11年、秋に新館がオープンする陸前高田市立博物館。救出した46万点のうち修復が終わったのは7割近く今も作業は続いている。新設された石巻市博物館は立地や収蔵庫に工夫を凝らした。水害で23万点が被災した川崎市市民ミュージアムは深刻なカビの被害に取り組んきた。修復には鹿の角、布海苔など伝統的な材料も使われた。文化財レスキューの現場を各地に取材。自然災害が頻発する今、何が必要なのか考える。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
神庭信幸 (東京国立博物館名誉館員・保存科学者)
半田昌之 (日本博物館協会専務理事)

出演
熊谷賢 (陸前高田市立博物館主任学芸員)
成田暢 (石巻市博物館学芸員)
佐藤美子 (川崎市市民ミュージアム副館長)
貝塚建 (川崎市市民ミュージアム)保存修復担当
高鳥浩介 (NPO法人カビ相談センター代表)
半田昌規 (文化財修理 半田九清堂代表)


陸前高田市立博物館

陸前高田市立博物館は2022年秋にリニューアルオープン

1959年に開館した陸前高田市立博物館は2011年の津波で建物全体が波をかぶり、
さらに多くの学芸員が亡くなりました。
再び水害が起きた時に備えて、新しい建物は9メートル盛土をした上に作られています。

生き残った学芸員の熊谷健さんは文化財レスキューの体制もできていない中、
退職者に声をかけ、被災した資料を運び出したそうです。
新しい展示室には、被災直後博物館の研修室に残されていたという
メッセージが展示されていました。

博物館資料を持ち去らないで下さい。高田の自然  歴史 文化を復元する大事な宝です。

末尾に「市教委」とありますが、実際には誰が書いたのかわからないそうです。
このメッセージは文化財レスキューをする上での心のよりどころになったと
熊谷さんは語っています。

「文化財レスキュー展示コーナー」と被災文化財

被災文化財とレスキューの取り組みを紹介するコーナーでは、
黒い水(津波の水は黒いんだそうです)につかっていた文化財を
コンテナで運び出した際の様子が再現されています。
被災した文化財56万点のうち、救助できたのは46万点。
津波の水につかってしみ込んだ汚れを取り除いて
それ以上腐ったりカビが生えたりしない状態に安定させる作業は今も続けられ、
30万点の処置が終了した状態です。

地元の人から寄贈された貴重な民具・漁具の修復には、
漁労文化の担い手である両氏や職人の方々の協力もありました。
また、津波の被害で閉館が決まった「海と貝のミュージアム」が
所蔵していた資料も、陸前高田市立博物館で展示されています。
国内有数の貝類の標本にくわえて、
全長9.7メートルのツチクジラの剝製(愛称:つっちぃ)も修復を終え、
陸前高田に戻ってきています。

陸前高田学校

水につかっていた文化財を運び出した時、
山間部にある閉校となった小学校が受け入れ先の仮設博物館になりました。
ここに各地の専門家が集まり、処理技術の指導や冷凍保存をおこなったのですが、
前例のない事態なだけに、最初のうちは試行錯誤の連続だったそうです。

文化財にしみ込んだ異物を取り除くにしても、状態はひとつひとつ違い、
さらに何がついているのか見た目では判断しにくいという問題があります。
津波の水には海水の塩分のほかに海底の汚泥・生活排水などが混ざって
雑菌や油脂が含まれているため、
脱塩処理を行って安定させたはずの資料が
3年後に魚類のたんぱく質や油脂で変質したなどの問題もあったんだとか。

実践の中で蓄積され、進化した安定化処理技術は世界からも注目され、
「陸前高田学校」として新たな文化財レスキューの担い手を育成しています。

陸前高田市立博物館(枯らし期間を経て、2022年秋に開館予定)

岩手県陸前高田市高田町馬場前119

公式サイト(こちらでは被災状況・復興の様子を伝えています)


石巻市博物館(もと石巻文化センター)

石巻文化センターの解体と石巻市博物館の減災設備

1986年開館した石巻文化センターは、2011年の津波の直撃を受けて解体され、
元あった場所は「石巻南浜津波復興祈念公園」となっています。
2021年11月3日に開館した新しい博物館は内陸の高台にある
複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」の中に
(さらに2メートルほど盛土をして)設置されました。

以前1階にあった収蔵庫が天井まで浸水したことから、
現在の収蔵庫は2階フロアの中心部分に設置されました。
廊下や部屋に囲まれ、スプリンクラーが作動した際の排水機能も考慮されて、
万一にも水害を被らないように徹底。
学芸員の成田暢さんによると
「北上川の1000年に1度の洪水にも耐えられるように」作られた施設です。

開館記念企画展「文化財レスキュー 救出された美術作品の現在(いま)」

2021年の11月3日から翌22年の2月27日まで開催された企画展では、
救出の後に全国の美術館や美術大学で保管・修復された美術品が、
被災の状況や学芸員による証言などとを添えられ、
被災時の欠損や傷などはそのままにした姿で展示されました。

たとえば広島県出身の彫刻家・圓鍔勝三(1905-2003)の《わかどり》。
左手に若鶏を抱えた裸婦の木造は、女性の右手の指や鳥の爪と嘴などが欠け、
さらに全体に生々しい傷を負った状態で展示されています。
頭と動画バラバラの状態で瓦礫の中に混ざっていた木製の人物像や
近隣の紙工場から流れてきたパルプくずがこびりついた絵画なども、
汚れを落として元の姿に近い状態に復元されていますが、
よく見るとあちこちに傷が残っていました。
展覧会は終了していますが、チラシはこちらからダウンロードできます

美術品としての価値と歴史資料としての役割

保存科学の専門家である神庭信幸さんによると、
文化財の本格修理は「作品に負担をかけないこと」が原則です。
だから作品が汚れたり壊れたりしてしまった時、
大小の傷が残るのは避けられないんだとか。
たしかに彫刻の欠けた部分に新しい素材を足して復元すればそこに負荷がかかるわけで、
「以前と同じ状態」と「安定する状態」は必ずしもイコールではありません。

美術品として傷があることはマイナスですが、
博物館の視点で見れば「歴史的価値」が付け加えられたと考えることもできます。
半田昌之さんは、
文化財の津波による被災から元の場所に戻ってくるまでのプロセスを記録し
未来に伝える重要な役割を持つ存在として、
被災文化財に注目しているようです。

石巻市博物館(移転・再開)

宮城県石巻市開成1-8(マルホンまきあーとテラス内)

9時~17時 ※入場は閉館の30分前まで

月曜休館(祝日の場合は翌日休館)
年末年始(12/28~1/4)休館

一般 300円
高校生 200円
小中学生 100円
※企画展は展示ごとに異なる

公式サイト


川崎市市民ミュージアム

台風19号による地下収蔵庫の水没

2019年10月に台風19号で被災し、地下収蔵庫がすべて浸水した川崎市市民ミュージアム。
2020年1月26日の日曜美術館でも紹介されました。

被災した23万点の資料は美術作品や歴史資料のほかに
民具・映画フィルム・漫画・ポスター・写真とさまざまで、
それぞれの性質に合わせた適切な処置を見つけ出すのも手探りだったそうです。
各ジャンルごとの安定化作業は現在もつづいており、
全体の20~30パーセントの処置が完了しました。

こちらの文化財レスキューには各地から専門家が応援にかけつけ、
東日本レスキュー活動の防災ネットワークが生きることになりました。

カビとの闘い ― 安田靫彦《草薙の剣》(1973)の事例

水没した収蔵庫から水を抜くのにかかった時間は3日。
その後収蔵品を運び出すのには8か月以上かかり、
温度・湿度の調整ができなくなった収蔵庫の中にはカビとキノコが繁殖しました。
黒カビは人の健康にも悪い影響があるため、
運び出しは防護服・ゴーグル・高気密のマスクを着用する過酷な作業だったそうです。

もちろん収蔵品にとってもカビは非常に厄介なもので、
カビ自体の色が移ってしまうほか、変色や白色化のもとになり、
根を張ってしまえばより対処がしにくくなる上に、弱体化や腐敗の原因になります。

大正~昭和期に活躍した日本画家・安田靫彦の《草薙の剣》も被害にあいました。
この作品は日本神話の英雄ヤマトタケルを描いた歴史画で、安田の代表作のひとつ。
救助した時は表面にカビが生えていました。

この修復では、できるだけ絵にダメージを与えない方法で
クリーニングがおこなわれました。
汚れを吸着させる天然ゴムの粉末、
絵具を補強して剥落を止める膠(鹿角の膠と牛皮の膠の2種類を使い分け)、
界面活性作用で汚れを吸い上げるふのり(海藻から作った糊)など、
日本画の画材に影響を与えない素材が選ばれています。

コロナ下での取り組み

新型コロナウイルスの蔓延によって情報の交換が難しくなると、
川崎市民ミュージアムでは記録映像の制作やインターネットでの公開をおこなって
レスキューの記録を発信することに力を入れました。
文化財保全作業のオンラインワークショップも開催され、
地域を超えて情報を共有する取り組みが続いています。

川崎市市民ミュージアム(休館中。市内の他施設と協力して美術館活動を継続)

神奈川県川崎市中原区等々力1-2(等々力緑地内)

公式サイト


文化財を未来に残すためにするべきことは?

今回のゲストのお二方はいずれも、
東日本大震災の被害を受けた文化財レスキューに深くかかわった方です。
文化財レスキュー委員会の岩手県担当として
被災直後から現地で資料の処置を支援した神庭さん、
日本博物館協会として被災した博物館の状況調査や
全国の博物館へ協力の呼びかけをおこなった半田さんに、
番組の最後で「ここから先に必要なことは何でしょうか?」という質問がありました。

これに対して神庭さんは、災害のダメージを最小化すること、
被災した文化財を運ぶ場所を決め、各地にシェルターを設置することなどを。
半田さんは普段から地域の方々と文化財の意味・価値を共有し、
文化財を守り次に伝えていく当事者意識を育てて共有することをあげています。
災害事態を防ぐよりも、いかに被害を少なく抑えられるか、
起きた時の処置を素早くおこなえるか、周囲の理解を得られるか、
といった点が重視されています。

番組の中ではそれ以外にも、
ほかの団体との連携がすみやかに取れる体制を普段から作っておくことや、
普段からリスク評価をおこなっていざという時の「想定外」を減らすこと、
所蔵資料のデジタル化・アーカイブ化で「どこに何があるか」の情報を共有して
レスキューの効率を上げることなどの提言があり、
災害は長い目で見れば「必ず起きるもの」という前提で
普段から備えておくことがいかに大切か、考えさせられる回となりました。