写真家の三浦和人さんは、
やはり写真家で専門学校の同期だった牛腸茂雄さんが遺した
ネガフィルムや関連資料を管理しています。
牛腸さんの写真をプリントして40年、新しい発見がありました。
2022年10月30日の日曜美術館
「友よ 写真よ 写真家 牛腸茂雄との日々」
放送日時 10月30日(日) 午前9時~9時45分
再放送 11月6日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
朗読 佐久間由衣(女優)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
「彼は自分の人生の残り時間を常に意識して、先を急ぐように生きていた」。家族や友人、近所の子供など、見知らぬ人々のさりげないポートレートで知られる写真家・牛腸茂雄(ごちょう・しげお)。肉体的なハンディを抱えながら創作を続け、36歳でこの世を去った。死後40年、再評価の機運が高まる中、学生時代からの友人だった写真家・三浦和人は、この夏、牛腸のネガのプリントに挑んだ。浮かび上がる牛腸の「まなざし」とは。(日曜美術館ホームページより)
出演
三浦和人 (写真家)
松沢寿重 (新潟市新津美術館館長)
大日方欣一 (九州産業大学芸術学部教授)
牛腸和行 (牛腸茂雄の甥)
大桃春子 (牛腸茂雄の姉)
牛腸廣一 (牛腸茂雄の兄)
牛腸茂雄さんと三浦和人さんの出会い
2022年の8月、三浦和人さんは秋に行われる展覧会のために
牛腸茂雄さんのオリジナルのネガから写真をプリントしていました。
三浦さんは牛腸さんのネガフィルムや関連資料などを保管しています。
クーラーのない暗室で、現像液を氷水で冷やしながらの作業は重労働ですが
(1日に使う氷の量はおよそ8㎏)
三浦さんは「牛腸さんのはキチッとやってあげないと」と語っています。
三浦さんが同い年の牛腸さんと出会ったのは、
桑沢デザイン研究所(東京都渋谷)の入学式。
同じ教室で学び、終電を逃すと渋谷にある牛腸さんのアパートに泊めてもらう
「同じ釜の飯を食った」仲間でした。
写真家・牛腸茂雄さんのこと
桑沢デザイン研究所で写真の道へ
牛腸茂雄さんは、1946年に新潟県の加茂市に生まれました。
3歳の時に胸椎カリエスを患ったことで背中が曲がる障害を負い、
医者からは20歳まで生きられるかわからないと告げられたそうです。
高校在学中にポスターの公募展で賞を取るなど才能を発揮した牛腸さんは、
18歳で上京し美大を受験します。
受験結果は不合格でしたが、試験官の勧めで桑沢デザイン研究所に入校(1965年)。
デザインと写真を学ぶことになりました。
当時の桑沢は第一線のアーティストを講師にむかえ、
(2022年10月9日の日曜美術館で取り上げられた朝倉摂も講師のひとりです)
その講師たちが容赦なく課題を出してくるため、
学生たちはカリキュラムについていくのに大変苦労したそうです。
徹夜するのは当たり前、
「今日(徹夜をはじめて)何日目?」が挨拶がわりだったとか…
そんな中で頭角を現した牛腸さんは2年生の中ごろに、
写真の先生だった大辻清司(1923-2001。商業写真家として活躍)から
写真を専門にすることを勧められます。
大型カメラを担いで歩くには体力に不安があった牛腸さんですが、
お姉さんへの手紙で小型カメラを使った仕事を押し通す決意を綴っています。
(1971年5月の手紙より)
写真家としての出発
牛腸さんは、桑沢デザイン研究所を卒業してすぐに写真家としてデビュー。
1968年に写真専門誌で《こども》を発表し、
1971年に同窓の関口正夫さんと共作で
写真集『日々』(私家版)を刊行しています。
この写真集には三浦さんも声を掛けられていたのですが、
持って行った写真を「少し足りませんね、枚数が」と断られたそうです。
友人相手でも、クオリティに妥協をしない人でした。
何気ない風景として見過ごされてしまいそうな
ふとした一瞬をとらえたスナップ写真をそれぞれ24枚ずつ収録し、
大辻清司が序を寄せたこの写真集、受けた評価はかなり厳しいものでした。
当時の写真家のお手本といえば
木村伊兵衛(1901-1974)や土門拳(1909-1990)といったリアリズムの写真家で、
大学紛争が盛り上がっていた当時の世相と結びつかない一見平和な写真は
「牙のない若者たち」などと言われたそうです。
(ところで、牙がない若者は駄目って誰が決めたんでしょうね?)
こういった評価に対して三浦さんは
「なにトンチンカンなこと言ってんのかな」と思いつつ、
「これが世間一般の目だよな」とも思ったそうです。
牛腸さんはと言えば、そんな世間の評価に腐ることもなく、
ひたすら作品を形にしていきました。
お姉さんあての手紙で
「これからは、写真はもちろん、映画や、とにかく色んなことをやってゆきたい」
(1971年9月の手紙より)
と語り、宣言どおりロールシャッハの手法による絵画作品を発表したり、
仲間と短編映画「THE GRASS VISITOR」「GAME OVER」(ともに1975)を制作したりと
精力的に活動しています。
写真集『SELF AND OTHERS』
牛腸さんが5年以上撮りためた写真をまとめた
『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977。1994年に未來社から再刊)は、
身近な人や通りすがりの人、牛腸さん本人も出演するポートレート写真集です。
写真集の1枚目に掲載された新生児の写真は、甥の和行さんを写したもの。
和行さんは少し大きくなった姿でも登場していますが、
「渋谷のおじさん」と呼んでいた牛腸さんの写真を
「今見ると不思議な感じ」と話しています。
よく知っているはずの場所も一緒に写っている相手との関係も、
写真の中ではまるで違ったものに見える。
そんな「異空間」を作り出すのは、
牛腸さんの写真を語る時によく言われる「対象との距離感」でしょうか。
見る/見られるという関係がこの写真集の骨格であると考える松沢寿重さんは、
人間の深層心理に踏みこんで行く牛腸さんのまなざしを突き詰めた先にあるのが
「自己と他者」という存在だと考えます。
また関係性は、被写体同士の間にも存在します。
大日方欣一さんは『SELF AND OTHERS』に
誰もが持っている「関係の地図」が交差しあう写真がいくつも集まることで
いつの間にか生み出される「もうひとつの宇宙」を見ています。
この翌年に日本写真協会新人賞を受賞した牛腸さんでしたが、
33歳を過ぎたころから体調が悪化し、
故郷の新潟に帰った2か月後に36歳で亡くなりました。
三浦さんは牛腸さんを大宮の駅まで送っていったのが
最後のお別れになったそうです。
(当時の東北新幹線は大宮ー盛岡間で開業していました)
牛腸茂雄の希望の1枚
写真集『SELF AND OTHERS』の最後を締めくくるのは、
子供たちが霧が立ち込めた中を奥に向かって走っていく不思議な1枚。
実は神奈川にある米軍キャンプの花火大会が終わった直後を撮影したもので、
霧のように見えるのは花火の煙です。
この写真は長らく「霧の中に吸い込まれていくよう」と言われ、
さみしさ、怖さといったマイナスのイメージがありました。
松沢さんも、この写真について
「向こうは彼岸の彼方」というイメージがあったと話しています。
ところが三浦さんは、この写真をプリントしているうちに
子供のひとりがこちらに向かって走っていることを発見しました。
(よく見ると、確かに膝の向きがこちら側です)
向こうに駆けて行く子供もいるけれど、こちらに戻ってくる子供もいる。
この作品は、桑沢デザイン研究所で写真を学び自分の生き方を探った牛腸さんの
「希望の1枚」だったのではないかと、三浦さんは考えています。
「はじめての、牛腸茂雄」(ほぼ日曜日)
夭折の天才写真家として再評価が進んでいる牛腸茂雄さんですが、
まだまだ名前を知らない方も多いと思います。
こちらは、そんな牛腸茂雄初心者のための入門編となる展覧会。
三浦和人さんがオリジナルのネガからプリントした貴重な写真約100枚のほか、
本や日記といった牛腸さんの私物も特別に展示されています。
写真はアクリル板をかけずに展示されているため、
手や息が触れないようにご注意ください。
案内人は「はじめての人代表」ことギャグ漫画家の和田ラヂヲさんです。
(展示室に入る前に、案内人によるプロローグ映像があります)
渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO 8階
2022年10月7日(金)~11月13日(日)
11時~20時
無休
入場料 600円
入場特典として、和田ラヂヲさんの描きおろし漫画つき小冊子がもらえます
ほぼ日曜日を運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」のホームページには、
牛腸さんに関する連載も掲載されています
和田ラヂヲ ミーツ 牛腸茂雄 和田ラヂヲさんのインタビュー(2022年)
牛腸茂雄を見つめる目 三浦和人さんのインタビュー(2016年)