日曜美術館「ピカソ『ゲルニカ』~“実物大” 8K映像の衝撃〜」(2021.12.26)

20世紀を代表するパブロ・ピカソの傑作《ゲルニカ》。
門外不出の作品を高精細8Kカメラで撮影し、
本物に限りなく近づけた《ゲルニカ》を東京で鑑賞する試みが行われました。
「近寄る」「動かす」「拡大する」など、映像の強みを生かした
本物では絶対にできない見方も加えながら《ゲルニカ》の魅力に迫ります。

2021年12月26日の日曜美術館
「ピカソ『ゲルニカ』~“実物大” 8K映像の衝撃〜」

放送日時 12月26日(日) 午前9時~9時45分
再放送  2022年1月16日(日) 午後8時~午後8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

あの「ゲルニカ」が目の前に!8Kの実物大映像に子供から85歳の画家・横尾忠則まで大興奮!圧倒される大迫力と繊細な筆遣い。ピカソはどんな思いで描いたのか?作家・高橋源一郎と平野啓一郎が、とことん推理!細部まで捉えた驚きの映像から次々と発見される多くの謎。わずか1か月で完成!しかし猛烈な批判にさらされた知られざる物語。天才ピカソが遺した最後の謎めいた言葉とは?戦争の世紀が生んだゲルニカの奥深さを体感。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
平野啓一郎 (作家)
高橋源一郎 (作家)

出演
パコ・ガルシア・サンロマン
マヌエル・ボンハ・ビジェル (ソフィア王妃芸術センター館長)
ロサリオ・ペイロ (ソフィア王妃芸術センター学芸員)
大髙保二郎 (早稲田大学名誉教授)
横尾忠則 (画家)
東京・和光小学校の2~6年生
川上華絵 (和光小学校教師)


パブロ・ピカソ《ゲルニカ》1937

55歳のパブロ・ピカソ(1881-1973)がわずか1か月で描きあげた大作《ゲルニカ》。
スペインの首都・マドリードにある「ソフィア王妃芸術センター」の所蔵で、
これを見るために多くの人が訪れます。
館長のマヌエル・ボンハ・ビジェルさんによれば、
展示替えなどで他の作品を動かすときも
《ゲルニカ》だけは今の展示室から動かさないといいます。
それだけ重要な作品なのです。

《ゲルニカ》は何故描かれ、どうして「傑作」になったのか

《ゲルニカ》制作のきっかけとなったのは、
スペイン内戦中に、北部の町ゲルニカでおこなわれた空爆です(1937年4月26日)。
フランシスコ・フランコ(1892-1975)と手を組んだナチス・ドイツによる、
世界初の民間人に対する無差別爆撃でした。
当時を知るパコ・ガルシア・サンロマンさんは、
夕方の4時から夜の8時まで防空壕で身を縮めて爆音や衝撃に耐えていたこと、
外に出ると逃げ遅れた人たちの亡骸が転がっていたこと、
町が火の海となり空が真っ赤に染まったことなどを話して下さいました。

当時パリのアトリエにいたピカソは、この事件を4月28日の新聞で知り、
パリ万博の壁画としてゲルニカを描くことを決意します。
ソフィア王妃芸術センターには当時ピカソが描いたデッサンもあって、
何が描かれているのかよく分からない書きなぐったような構想画から、
それぞれのモチーフが形をはっきりさせ、完成に近い形になるまでの流れが分かります。
また当時の恋人で写真家のドラ・マール(1907-1997)が撮影した制作過程の写真には、
実際にキャンバスに描き始めてからも何度も描きなおして、
政治的なメッセージをあえて外したり色を消してモノクロームに統一したりと
試行錯誤する様子が写されています。

《ゲルニカ》は1937年6月の初旬に完成。
同年7月にパリ万国博覧会のスペイン館で公開されますが、
激しい批判を受け、建築家のル・コルビュジエが
「『ゲルニカ』が見たのは来場者の背中ばかり」というほど不評でした。
(今では考えられない状況!)
学芸員のロサリオ・ペイロさんによると、この時の批判には
「表現が抽象的すぎて政治的メッセージが伝わらない」
「あまりにも政治的すぎてピカソらしくない」
という正反対の意見があったそうです。

その後、第2次世界大戦がはじまると、
ゲルニカで起こった惨劇と同じ光景が世界規模で繰り返されるようになります。
ピカソの描いた世界を世界中が追体験したことで
《ゲルニカ》は20世紀を代表する作品となり、
さらに後のベトナム戦争やイラク戦争でも
反戦デモの場でシンボル的に掲げられることになりました。


8K映像を通して見る《ゲルニカ》とピカソ

NHKですっかりおなじみの高精細8K映像で、実物大の《ゲルニカ》が再現されます。
わが家のテレビは4Kのためどこまで再現できているかは分かりませんが、
スタジオでは本来に限りなく近い絵が見えていることでしょう。

近寄って・拡大して何が見えるか?

《ゲルニカ》はタテ3.5×ヨコ7.8mの大画面ですから、
たとえ複製であっても実物大で見る機会はほとんどありません。
(テレビや画集では媒体の都合で縮小されてしまいますし)
今回、小野さんと柴田さん、そしてゲストの平野啓一郎さんと高橋源一郎さんは
実物と変わらない大きさの《ゲルニカ》の映像を間近から眺めて、
よだれを垂らして鼻の穴を広げた馬の表情や人物の手に描かれた無数の線(傷?)など
小さな画像では注意しないと見落としそうな部分にも注目しました。

司会者・ゲストのグループとは別に、
ピカソの作品に出会ったことがきっかけで画家に転身した横尾忠則さん、
そして《ゲルニカ》を初めて見る和光小学校(東京)の生徒たちと川上華絵先生が、
別々に実物大の《ゲルニカ》を鑑賞しています。

ピカソによって「豚」だったのが「ハム」になるような
「改造」をされてしまった横尾さんは、その張本人の作品を前に
「語ることが拒絶される」「喋るのが無駄」だと言う一方で
「目の前にすると勝手に色々喋らされる」とも言います。

ピカソ初体験の小学生たちも、さまざまなモチーフに注目したり印象を語ったりと
それぞれの鑑賞法を確立しているようでした。
画面の中心にいる目立たない鳥(背景に溶けこむように黒く、一部だけ白い)に
ゲストの高橋さんと小学生がそれぞれ注目する場面もあったり。


ピカソは「壊れた世界」をどう描いたのか

ピカソ研究者である大髙保二郎さんによると《ゲルニカ》の画面の中には、
複数の二等辺三角形の構図が取り入れられているそうです。
二等辺三角形は美術の世界で古くから使われている定番の構図で、
画面の中に統一感や安定感をもたらします。
ゲストのお二人も三角形の構図には注目して、
そこに《ゲルニカ》を描くピカソの奮闘の痕跡を見ているようです。

目の前にある存在をバラバラに解体するのがピカソの常套手段。
モデル、既存の描き方、果ては自分自身の画風まで、
存在するものすべてを破壊し、再構成してきたピカソですが、
世界そのものが暴力によってバラバラにされてしまった《ゲルニカ》は
そのやり方が通用しません。

そこでピカソが選択したのが、
ピカソ自身が「壊された側」として、世界を作り直すやり方でした。
それはたとえば古典的な画面構成や
(ピカソは抽象表現にたどり着く以前、伝統的な様式でも高い評価を得ていました)
西洋美術における悲しみ・戦争表現の定型
(たとえば、画面の左側で嘆き悲しむ女性は「ピエタ」を下敷きにしているそうです)
さらにはピカソ自身の得意なモチーフや描いてきたものなど。
「持てる武器を総動員して」描かれたのが《ゲルニカ》だったのです。


戦争・反戦のシンボルとしての《ゲルニカ》

こうして作りあげられた《ゲルニカ》という作品は、
いまや世界的に「戦争」そして「反戦」のシンボルとして定着しています。
このことについて平野さんは
ピカソ本人はゲルニカの惨劇を見たわけではないという「距離感」をとりあげて、
だからこそ《ゲルニカ》は具体的に起きた事件とは別に
戦争そのものを抽象化した作品となったと分析しています。

また「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の戦争が無ければ
《ゲルニカ》もこれほど有名にならなかった、という高橋さん。
(制作の経緯を考えると描かれなかったかもしれません)
「いつまでも《ゲルニカ》が求められているっていうのが異常事態」
という言葉は、現在の世界情勢に対する苦言でもあるようです。

横尾さんは画面の中に描かれた牛の頭に
「ああでもない、こうでもない」と模索した試し描きの線が
たくさん残っていることに注目して《ゲルニカ》は「未完の作品」であると考えます。
それは《ゲルニカ》という作品にとどまらず、
その抱えている問題が21世紀の今でも「未完」であるということを示しているんだ、とも。

ピカソは「絵は見る人によって初めて生命を与えられる」
「牛は牛 馬は馬だ 鑑賞者は結局 見たいように見ればいいのだ」と言ったそうです。
同じテーマでも三者三様の意見・感想を引き出す《ゲルニカ》という作品は、
やはり20世紀を代表するにふさわしい、奥の深い作品でした。


2022年最初の「日曜美術館」は1月1日(土曜日)放送

次回の日曜美術館は、
2022年1月1日(土) 午前10時15~11時15分

「日曜」美術館なのに土曜放送と、通常とは異なりますのでご注意ください!
タイトルは、昨年に引きつづき新春SP 「♯アートシェア2022」。
推し美術を紹介して下さるプレゼンターは12人と、
これまで以上に豪華な内容になりそうですね。