日曜美術館「ルーブル美術館(2)永遠の美を求めて」/ アートシーン「染色家・柚木沙弥郎」

16世紀にはじまり、フランスの美術と共に発展してきたルーブル美術館。
今週は社会が大きく変化した19世紀と、2つの大戦がおきた20世紀。
世の中と共に人の好みや美の在り方も変化して行く中、
美の殿堂に集まった作品を通して時代を回想します。

2020年5月24日の日曜美術館
「ルーブル美術館(2)永遠の美を求めて」

放送日時 5月24日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月31日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ルーブル美術館を8Kでとらえたシリーズ、今回は19~20世紀を描く。革命、近代化、戦争、激動の時代に人々が求めた芸術を見つめる。この時代、自分たちの芸術とは何か?画家たちの葛藤が傑作を生み出す。ドラクロワが革命と自由を描いた「民衆を導く自由」。“真実こそが美である”と語った画家ジェリコーの言葉は今も響く。そして祈りと希望を描いた傑作。フェルメール、ラ・トゥール、至宝が語りかける闇と美の人間の真実。(日曜美術館ホームページより)



市民革命・産業革命・そして戦争の時代とルーブルの美術品

19世紀、ルーブルはほぼ現在の姿になりました。
それまで「ルーブル宮」だった建物が美術館になったのは
1793年に王室所有の美術館として開館した時でしたが、
その後すぐにフランス革命(1789-1799)が勃発したことで
大衆のための美術館に変わります。
その後ナポレオン1世が各国へ侵攻し美術品を略奪したことで
ルーブル美術館の収蔵品は大幅に増えました。
(もっとも、その多くはナポレオンが帝位を追われた後に返されたそうです)
その後、復古王政期、第2帝政期、第三共和政期と着実に収蔵品を増やして、
現在の「ルーブル美術館」が完成します。

ウジェーヌ・ドラクロワ《7月28日―民衆を導く自由》1830-1831

歴史の教科書でもおなじみの1枚は、ルーブル美術館の「赤の間」にあります。
18世紀末のフランス革命の後、ナポレオンの没落を経て
1815年に王政が復活します(王政復古)。
この時王位についたルイ18世と続くシャルル10世が反動的な政治をおこなったことで、
1830年に7月革命が勃発しました。
この革命で復古王政は倒されオルレアン家のルイ・フィリップが即位しましたが、
国内では中産階級と農民・労働者の階級闘争が激しくなり、
1848年に2月革命が起こってフランスの王政は終了することになります。
7月革命を描いたこの絵の中では、三色旗を掲げた女神に導かれて
ブルジョワも労働者も学生も共に武器をとって戦っているのですが…。

《サモトラケのニケ》紀元前19世紀後半

ルーヴル美術館の「ダリュの階段踊り場」にあるニケ像は
1863年にエーゲ海のサモトラケ(サモトラキ)島で
フランス領事シャルル・シャンポワゾが発見しました。
翼のある女神が船の上に降り立つ姿を表した像です。
バラバラの状態で土に埋まっていたのを組み合わせて復元したもので、
当初は頭部と両腕が欠けていました。
その後右手が見つかっていますが、
あまりにも有名なので欠けた状態が当たり前のようになっていますね。

ヨハネス・フェルメール《レースを編む女》1669-1670頃

1889のパリ万国博覧会のシンボルとして建設されたエッフェル塔は、
産業革命による工業力を象徴するかのような錬鉄製の高層建築でした。
(高さは約300メートル。1930年までは世界で一番高い建物だったそうです)
この時代は地方からパリへの人の流入が激しく、その多くは工場労働に従事しました。
そんな目まぐるしい社会の変化の中で大人気となったのがフェルメールで、
《レースを編む女》も1870年にルーヴルに収まりました。
日常的な女性の姿を描いた作品で、
全体がぼかしたように柔らかく表現されているのに対して
女性の意識が集中しているだろうレースを編む手元は
指の間に張った糸がわかるほどはっきり描かれています。
サイズが小さいこともあって(縦24cm×横21cm)、
手元において覗き込みたいような親密な雰囲気がある絵でした。

アンゲラン・カルトン《ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンのピエタ》1455頃

急激な近代化が進んだこの時代、
人々は心のよりどころを求めて過去の芸術に目を向けるようになります。
(経済成長が進んだ後に伝統文化ブームがくるようなものでしょうか?)
1834年に南フランスの都市ヴィルヌーヴ=レザヴィニョンの礼拝堂で見つかった
ピエタ(死んで十字架から降ろされたキリストを抱く聖母の図)は、
金色の背景にキリストとその死を悲しむ人々、手を合わせる寄贈者が描かれています。
作者のアンゲラン・カルトンは1444~1466年頃にプロヴァンス地方で活躍した画家で、
コンデ美術館が所蔵する《慈悲の聖母》と
ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン美術館の《聖母戴冠》の作者として知られています。

テオドール・ジェリコー《メデューズ号の筏》Ⅰ818-1819年

19世紀のフランスの画家たちは
神話・聖書の一場面だけではなく、社会を映し出すテーマを描くことで
自分たちの生きている時代の美を追求するようになりました。
この絵の題材となっているのは、復古王政期の1816年にモーリタニア沖で
フランス海軍のフリゲート艦メデューズ号が難破した事件です。
13日間の漂流で、少なくとも130人が死亡。
生存者は15人でしたが、そのうちの5人は数日後に死亡したそうです。
当初、フランス政府はこの事件を隠蔽しようとしましたが、
復古王政(ブルボン家)に反対の父場をとる新聞社に情報が渡ったことや
生き残った乗組員の手記が発表されたことで国際的スキャンダルとなりました。
《メデューズ号の筏》は依頼主の注文にこたえて描かれたものではなく、
画家が自発的に描いたものでした。
発表されると激しい批判と称賛を同時にうけることになりましたが、
ジェリコーは批判に対して対決の姿勢をとり、
「真実こそが美である」と語ったそうです。
1819年にジェリコーが亡くなった後、1824年にルーブル美術館が買い上げました。

ドミニク・アングル《トルコ風呂》1862

ここではないどこかに自分の求める美を見出したひとりが、
近代絵画の巨匠・アングルでした。
82歳の最晩年に描かれたこの作品は、
トルコのハーレムで暮らす女性たちの入浴風景を想像で描いたもの。
アングル本人はトルコに行ったことはないそうです。
思い思いのポーズでくつろぐ全裸の女性たちは、
そのほとんどが此方に目を向けていません。
絵の中心で、こちらに背を向けて楽器を弾く女性は顔も描かれておらず
もしかすると作者は、無防備な女性を覗き見する趣向を狙ったのかも…と
下世話な想像が浮かんできます。
円形に切り取られた画面も、なんだか覗き穴から見る景色を思わせます。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ダイヤのエースを持つ いかさま師》1635

20世紀初頭の1914年に、第1次世界大戦が勃発します。
フランスは戦勝国になったものの140万人の戦死者を出します。
そんな時代に再評価されたのが、
宗教戦争真っ只中である17世紀に活躍したラ・トゥールでした。
劇的な明暗の表現で知られ、
この絵の中でも暗闇の中でいかさまが行われる瞬間を鮮やかに捉えています。
ラ・トゥールは同じテーマ・同じ構図の作品を幾つも描いており、
この《いかさま師》もアメリカ合衆国テキサス州のキンベル美術館に
クラブの札を持っているバージョンが所蔵されています。

グレゴリー・エアハルト《聖マグダラのマリア》1510

1939年、第2次世界大戦がはじまり、翌1940年にパリはナチスドイツに占拠されます。
開戦間際、ルーブルは4,000点以上の美術品をフランス各地に避難させました。
《ミロのヴィーナス》《サモトラケのニケ》《モナ・リザ》など多くの作品が
ナチスの略奪を逃れましたが、奪われた美術品も沢山ありました。
こちらの宗教彫刻は略奪にあったもののひとつです。
長い髪で裸体をところどころ隠した姿はなんだか
木彫り(素材は菩提樹)の彫刻に彩色したものとは思えないような生々しさがありました。
1945年に第2次世界大戦が終結して、避難していた美術品はルーブルに戻され
ナチスによって押収された美術品も多くが回収されましたが、
いまだに見つかっていないものも少なくありません。
元の所有者(またはその家族)やそれぞれの国に返却する作業は現在も続いています。


アートシーン 特別編
アーティストのアトリエより―染色家・柚木沙弥郎

柚木沙弥郎さん(1922~)のアトリエは、小さな人形や玩具がたくさん並んだ
「おもちゃ箱をひっくり返したような」場所でした。
公園で見つけた枯れ木から生まれた作品《いのちの木》は、
松本市美術館で公開される予定です。

アートシーンは特別編。「アーティストのアトリエより」と題してお届けする。2018年6月に放送した「日曜美術館」から、染色家・柚木沙弥郎95歳の制作を追った。今回柚木さんが番組に寄せてくれた、今をポジティブに生きるメッセージも紹介します。

長い棒の先にチョークを括りつけた道具で型紙に模様を描きつけ、
その形をハサミで切り抜くところから作業が始まりました。
全長2m40cmになる作品の型紙は、持ち上げるのも大変そうです。
布の上に型紙を置いて糊をつける作業と
糊がついていない部分を黒く染めていく作業は
染職人の中込理晴さんと共同で進められました。
中込さんは、長年柚木さんの制作を支えてくれているそうです。
紹介された大作《いのちの木》は、中込さんにも
「こんなでかいのやるとは思わなかった」と言われてしまいました。
それでも「面白かった」そうですけど…
柚木さんによると「面白くなきゃできない」そうです。

大学で美術史を学んだ柚木さんは、戦後まもない1946年に
岡山県倉敷市の大原美術館に就職しました。
美術館の売店で見た芹沢銈介の型染カレンダーに衝撃を受け、
研究を捨てて弟子入りを志願したそうです。
修行の一環として江戸時代から続く染物屋に住み込みで働き、
染めの仕事を学んでいます。
1948年に発表したデビュー作《紅型風型染布》は
柳宗悦の目にとまり、日本民芸館の所蔵になりました。

長野県の松本市美術館では、2020年4月18日(土)から
展覧会「柚木沙弥郎のいま」を開催する予定でしたが、
現在開催延期中です。
番組ではまだ誰も入っていない展覧会の様子を一部見ることができました。
《いのちの木》は、やはり木をもとにした《木もれ陽》《樹》と並んで展示されています。
《樹》は《いのちの木》よりも長いように見えるのですが、
これも「やるとは思わなかった」と言われながら制作されたのでしょうか。

柚木沙弥郎のいま(松本市美術館)

長野県松本市中央4-2-22

2020年5月26日(火)~2020年6月7日(日)
※5月26日から市内在住の人に限り、予約制で公開

9時~17時(最終入場は閉館の30分前まで)

月曜休館

一般 1,100円
大学高校生・70歳以上の松本市民 700円
中学生以下 無料
※20名以上の団体、2回目以降の観覧は各200円引き
※障害者手帳携帯者とその介助者1名無料

柚木沙弥郎「絵本の仕事」展(市川市芳澤ガーデンギャラリー)

千葉県市川市真間5-1-18

2020年6月下旬(予定)~
※予約制

9時30分~16時30分(最終入場は閉館の30分前まで)

月曜休館

一般 600円
65歳以上 500円
中学生以下 無料
団体(25名以上)500円
※障害者手帳携帯者とその介助者1名無料