東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)とルネ・ラリック ― アール・デコの建築とガラス装飾

白金台にある東京都庭園美術館の本館(旧朝香宮邸)は
旧皇族の朝香宮鳩彦王(1887-1981)と允子妃(1891-1933)が建てた
アール・デコ様式の邸宅です。
内装にはフランスのアール・デコの作家たちが関わっており、
ガラス工芸家のラリックもそのひとりでした。

ルネ・ラリック
アール・ヌーヴォーからアール・デコへ

ルネ・ラリック(1860-1945)は1882年にフリーの宝飾デザイナーとしてデビューし、
1886年にデザイナー・宝石商として独立しました。
宝石自体の価値よりもデザインを重視し、
ガラスと宝石を組み合わせるようなそれまでにない作品を生み出したラリックは
アール・ヌーヴォー・ジュエリーの創始者として大成功を収めます。

そんなラリックがガラス工芸に転校したのは1910年ごろ。
香水商コティに香水瓶のラベルデザインを依頼されたのをきっかけに
香水瓶のデザインを手がけるようになったことから、
ガラス工芸家・ラリックのキャリアが始まりました。

時代はアール・ヌーヴォーからアール・デコへの転換期。
第一次世界大戦(1914~1918)の影響で
大量生産に適したシンプルなデザインが流行し、
装飾的で職人の手仕事に頼るアール・ヌーヴォー様式はすたれていきます。
ラリックのジュエリーも注文が少なくなっている時期でした。

ガラスデザイナーとしてのラリックは、
金型を利用して量産を可能にした
現代のプロダクト・デザインにも通じる作品を生産する一方で、
シール・ペルデュ(失われる蝋)と呼ばれる
柔らかいロウで作った原型から耐火粘土や石膏で型を取る技法を使って、
繊細な細工が可能になるかわりに量産できない作品も制作しています。

アール・デコのガラス作家として再び人気作家となったラリックは、
1925年の4月28日から11月8日にかけて開催された
「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(通称「アールデコ博覧会」)では
ガラス工芸とガラス工業部門の代表として
主要なパビリオンの装飾に関わり、
高さ15mの野外噴水《フランスの水源》などを発表しました。
この噴水は128体のガラスの女性像からできていて、
それぞれに「メリト」「ダフネ」「ガラテ」など、
女神や精霊の名前がついていたそうです。

旧朝香宮邸を飾るルネ・ラリックの作品たち

現在の東京都庭園博物館(本館)では、
3つのラリック作品を見ることができます。

ガラスレリーフの大扉(正面玄関)

正面玄関のガラス扉は朝香宮邸のためにラリックに特注された一点もの。
世界中でもここにしかない貴重な作品です。

長野県諏訪市にある北沢美術館にはデザイン画(1931)が残っています。
4つ描かれたデザイン案のうち、採用されたものの下には
矢印と「これが東京で選ばれたモデル、人物を薄布で覆うこと」という
自筆のメモがあり、元は裸婦像だったことや
東京と手紙をやり取りしながら制作を進めていたことがわかります。
(このデザイン画は2020年の「北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック」にも展示されました)

翼を背負い、ローブを纏った女性(女神?)が
4人並んだ巨大なガラスのレリーフは、ここを訪れる誰もが目にする
旧朝香宮邸の「顔」と言っても大袈裟ではないでしょう。

元は両開きの扉でしたが、
強く扉を閉めたことが原因で亀裂が入る事故が起きて以来
お客を迎えるとき以外は閉じておくことになり、
向かって右手の外套室に通じる小さい入口を使うようになったそうです。
(現在来館者が通るのも同じ出入口です)

シャンデリア
大客室の《ブカレスト》と大食堂の《パイナップルとざくろ》

大広間から、玄関を背にして左手奥にある大客室と大食堂の天井には、
ラリックのシャンデリアが飾られています。
これらの部屋は客人をもてなすための部屋でした。
(1階の奥には別に、家族が日常で使う小食堂があります)

ルーマニアの首都の名前をもつ大客室のシャンデリア《ブカレスト》。
彫りを入れた厚いガラス板を放射状に組み合わせた幾何学的な形は
横から見ると花束のようにも見えます。

大食堂の《パイナップルとざくろ》は
四角いガラスの枠の中に果物を並べたような形をしています。
金属の枠以外は全て透明なガラスでできているはずなのに
ちょっと美味しそうにも見えるのが不思議。

当時の宮家は外国の要人をもてなす役目が割当てられていたので、
(朝香宮家はポーランドを担当)
これらの部屋は特に注意深く整えられたはずです。

来客がくつろぐ場所に立体的な《ブカレスト》
皆が着席する食事の場所に
平面的な《パイナップルとざくろ》が配置されているのも、
客人の目線を意識してのことかも知れません。

大客室と大食堂のほか、1回の大広間・小客室・次室(つぎのま)、
2階の殿下書斎・殿下居間といったパブリックな部屋の内装デザインは、
室内装飾家のアンリ・ラパン(1873-1939)が担当しており、
《ブカレスト》と《パイナップルとざくろ》を選んだのもラパンと思われます。

白金にアール・デコの舘(朝香宮邸)ができるまで

ラリックやラパンなど、アール・デコのアーティストやデザイナーたち、
そして実際の設計を担当した宮内省内匠寮(たくみりょう)工務課、
施行を担当した戸田建設の力で完成した朝香宮邸(1933年4月竣工)。

皇族の住まいとしてアール・デコ様式の洋館が生まれるまでには、
いくつかの偶然が重なっています。

朝香宮夫妻のフランス滞在

久邇宮朝彦親王の第八王子として生まれた鳩彦(やすひこ)王が、
朝香宮家を創立したのは1906年。
明治天皇の第8皇女である富美宮允子(ふみのみや のぶこ)内親王との
ご成婚は1910年のことでした。
この御夫妻が、のちに東京都庭園美術館となる朝香宮邸を建てることになります。

1922年10月、当時陸軍歩兵中佐だった鳩彦王は
軍事視察のためヨーロッパへ向かいました。
12月に到着したパリでは、先に滞在していた北白川宮成久王夫妻と合流。
北白川宮と朝香宮は同年代の従兄弟同士で仲の良い幼馴染でもあり、
また允子の姉にあたる房子内親王と結婚した義兄弟でもありました。

翌1923年の4月1日、
北白川宮夫妻とドライブ中に
パリ郊外で交通事故にあった鳩彦王が重傷を負います。
同じ事故で、車を運転していた成久王は亡くなり、
同乗していた房子妃も重体でした。

連絡を受けた允子妃は夫と姉の看護のために渡仏。
やがて快方に向かった鳩彦王とともに、
2年半あまりをフランスで過ごすことになります。

朝香宮夫妻とアール・デコとの出会い

朝香宮夫妻が滞在した時期は、
フランスにおけるアール・デコの全盛期にあたります。
20世紀初頭、産業デザインにおいて
ドイツをはじめとする諸外国に後れをとったフランスで、
芸術の都としての威信を取り戻すべく企画されたのが
「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」でした。

朝香宮夫妻は1925年7月9日にアールデコ博覧会を訪れ、
美術局長ポール・レオンの案内で会場内を見学しています。
最大の呼び物だった《フランスの水源》をはじめとする
ラリックの作品を目にしていたことは間違いありません。
特に允子妃は博覧会がお気に召して、毎日のように通っていたそうです。

夫妻はそれ以前にも、ラリックの店で
花瓶、置物、アクセサリーなどの買い物を楽しんでいたようで、
たとえば 1925年4月4日の「受領書綴」(購入品の控え)には、
テーブルセンターピース《火の鳥》、
ペンダント《ショールをもつ人物》と《三匹の蝶》を
購入した記録が残っています。
うち《三匹の蝶》は夫妻の長女である喜久子女王の所蔵となり、現存しています。

関東大震災

朝香宮夫妻のフランスに滞在中、
1923年の9月1日に関東大震災が発生。

当時高輪にあったもとの朝香宮邸は
(品川駅の近く、シナガワグースがあった辺りです)
この地震で洋館と日本館のうち洋館部分が壊れてしまったため、
宮内庁から「朝香宮賜邸地」として1921年に割譲されていた土地(約1万坪)に
新しい邸宅を作ることになりました。
(当時、皇女の嫁ぎ先の皇族には御料地が下賜される慣例がありました)

この土地はもと讃岐高松藩松平家の下屋敷があった場所の一部でしたが、
1871年の廃藩置県で政府が没収し、軍の施設が置かれていました。
宮内庁に献納されて「白金御料地」となったのは1917年のことです。
朝香宮家に割譲されなかった部分は、
後に国立科学博物館附属自然教育園となりました。

文明開化と西洋文化の導入

朝香宮家では、これからの皇族は
西洋の文化を率先して取り入れるべきと考えていたようです。

当時の皇族とはそういったものだったのかも知れませんが、
フランスから帰国した後は
普段の生活をほとんど様式に改めて、
子どもたちにもフランス語・マナー・ダンスなどを教えた朝香宮家では
とくにその傾向が強かったようです。

允子妃の父である明治天皇は、
西洋の文明が入ってきたことで
制度・習慣などが変化した文明開化の時期に、
先頭に立って洋装や洋食をとりいれたことでも有名です。

当時の最先端だったアール・デコの建築は
ただ美しい生活の場というだけでなく、
明治天皇の意思を受け継ぎ
国民に先立って洋風の生活を実践するための
一大事業でもあったかもしれません。

アール・デコの舘の変遷と東京都庭園美術館

戦後、朝香宮家の皇籍離脱が決定した後、鳩彦王は熱海に転居し、
邸宅は朝香宮家の手を離れます。

その後、1947年から1954年までは政府が借り上げて
(所有権は1950年に西武鉄道株式会社に移る)
時の総理大臣・吉田茂(1878-1967)が首相公邸・外相公邸として使用。
公邸としての役目を終えた後、
1955年から1974年までは国の迎賓館として利用された後、
「白金プリンス迎賓館」として一般の結婚式場・宴会場として公開されました。

西武鉄道株式会社から東京都に所有権が移ったのは1981年。
その2年後、1983年10月に「東京都庭園美術館」として開館します。
東京都美術館(1926年開館。当時は「東京府美術館」)につぐ、
日本で2番目の都立美術館でした。

庭園美術館では開館したころから
建物の修復や調度品の買い戻しなど、
創建時の朝香宮邸の姿に近付ける試みが続けられ、
また展覧会でも、旧朝香宮邸や
アール・デコとその時代に関する展示が定期的に行われています。

最近では
「北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック ~アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美~」
(2020年2月1日~4月7日)
「ルネ・ラリック リミックスー時代のインスピレーションをもとめて」
(2021年6月26日~9月5日)
と、2年連続でラリックをテーマにした展覧会が開催されていました。

旧朝香宮邸を語るときに外せない存在であるラリックですから、
今後も定期的に登場してほしいものですね。

東京都庭園美術館(東京都港区白金台5-21-9)

10時~18時(入場は閉館の30分前まで)

月曜休館

入場料は展覧会によって異なる(1,000~1,500円くらい)

ぐるっとパス対象施設(庭園・企画展の入場券)