2020年にBS8Kで放送された
全2回の「オルセー美術館」シリーズの日曜美術館版でしょうか。
前編にあたる2月6日は「太陽の手触り」と題して、光の芸術をたどります。
BS8Kの番組は、2020年4月5日の日曜美術館
「見つけよう!あなただけのオルセー美術館」でも一部紹介されていました。
「オルセー美術館Ⅰ太陽の手触り」では、
セーヌ川を見下ろす窓辺に展示されているガラスのオブジェ
《海藻と貝殻のある手》(エミール・ガレ、1904)が案内役を務めます。
(声・イッセー尾形)
外光を取り入れたオルセー美術館の建物や、
画家たちが過ごした場所の風景も見どころです。
2022年2月6日の日曜美術館
「オルセー美術館 I太陽の手触り」
放送日時 2月6日(日) 午前9時~9時45分
再放送 2月13日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
音楽 中島ノブユキ
声 イッセー尾形
語り 小林聡美
オルセー美術館には、印象派をはじめ、19世紀中盤から20世紀初頭にかけて新しい芸術の扉を開いた作品が所蔵されている。パリの街や暮らしが大きく変わった時代。日常をまっすぐ見つめて描くことで起きた美の革命の結晶だ。モネを夢中にした、汽車の煙に乱反射する光。ルノワールが見つけた、木漏れ日。ゴーガンが追い求めた、南国の光。ガラス天井越しに光が満ちる館内を、「太陽」をキーワードにめぐる。(日曜美術館ホームページより)
オルセー美術館でみる19世紀と光の芸術
セーヌ川のほとり、パリ7区にあるオルセー美術館には、
19世紀半ばから20世紀初頭までの美術作品が収蔵されています。
この時代は印象派をはじめ、旧来のアカデミックな作風を離れて
新しい美を追求する芸術家たちが登場した時代でもありました。
エドゥアール・マネ《草上の昼食》(1863)
19世紀美術のはじまりを告げる象徴ともいうべき作品といえばこれでしょう。
郊外の森でピクニックを楽しむ男女の姿を描いているのですが、
登場する女性が何故か全裸で描かれていたせいで
「下品である」とスキャンダルになったことで有名です。
当時、裸体で描かれるのは神・精霊・古代の英雄など
神話や伝説の存在である、という決まり事があって、
マネはそれに反抗したわけです。
筆跡を残さないのが優れた絵である、というそれまでの常識に対して、
画面奥の人物や背景を荒々しいタッチで描いたことも
「手抜き」と見なされたそうです
もっともマネにしてみれば、
大まかな筆使いも平面的な色づかいを重ねるやり方も狙ってのことでしたから、
世間の評価はさぞかし的外れに思えたことでしょう。
「現実のことを描いて何が悪いのか」と言ったかどうかはわかりませんが、
マネはやがて、現実の人々の暮らしを描くようになり、
多くの画家も同じく生活の中に新しい芸術を求めました。
印象派、都市の生活を描く
19世紀後半には大がかりな都市整備事業がおこなわれ、
パリの町並みは一新されました(パリ改造)。
広い街路が整備され、大きな窓のある建物が整然と建てられた都市で、
そこで暮らす人々の生活も大きく変化します。
印象派の画家たちは以前に比べるとはるかに明るい光に満ちた
都市の生活を作品に描きました。
オーギュスト・ルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876)は
日曜日ごとに開かれるダンスホールで休日を楽しむ人々と
その上に降り注ぐ木漏れ日のきらめきを描き、
ギュスターヴ・カイユボットの《床削り》(1875)は
床にカンナをかける職人の姿を描いて、窓から差し込む太陽の光が
職人の背中や床に散らばった木くずを照らす様子を描写しました。
都市から郊外へ
1830年代半ばから、パリは急速に鉄道化が進みます。
クロード・モネは《サン=ラザール駅》(1877)で
近代的都市の象徴である汽車の駅とその中に満ちた光を明るい色で表現しています。
1837年に創設されたサン=ラザール駅は、パリでもっとも古い駅であり、
(鉄骨とガラスの駅舎は、1850年代初頭に設計されたそうですが)
都市の住人を郊外に誘う出発点でもありました。
ギュスターヴ・クールベの《オルナンの埋葬》(1849-50)は、
それまでなら神話・英雄を描くような横7mの大画面に
画家の故郷の村でおこなわれた葬儀の様子を描いた作品で、
登場する人物もすべて実在の村人をモデルにしています。
等身大で重々しく描かれた田舎の人々の姿はクールベの
都市に対する批判精神から田舎の生活を持ち上げようとする試みでしたが、
サロンでは酷評されたそうです。
ところがその後、都市改造がはじまったこともあって
都市の住民がこぞって郊外に出かけるようになり、
画家たちも郊外の風景を描いた作品を発表します。
水面に映るヨットの帆が揺らめいているかのような
クロード・モネの《アルジャントゥイユのレガッタ》(1872頃)はセーヌ川辺の風景。
夕暮れの光が色とりどりの粒子となって降りそそぐ
カミーユ・ピサロの《エラニーの風景》(1897)は
ピサロが終の棲家としたセーヌ川支流沿いの村を描いています。
光あふれる自然
アトリエから野外に出た印象派の画家たちは、偉大なる自然と向きあい
刻一刻と移りかわる光をキャンバスに留めようと試みました。
セーヌ川沿いに転々と引っ越しを繰り返し
最終的にジヴェルニーに落ち着いたモネは、
自宅に造りあげた「水の庭」の風景をを30年もの間描き続けました。
その試みから生まれた作品の中に《睡蓮》の連作があり、
オルセー美術館の《青い水蓮》(1916-19)もそのひとつです。
画面は暗い青が目立ちますが、
よく見ると白く光を反射する花や空の青を写す水面など、
光あふれる風景であることがわかります
モネの庭については2020年9月6日の日曜美術館
「“楽園” を求めて〜モネとマティス 知られざる横顔〜」
でも取り上げられましたね。
ジャン=フランソワ・ミレーの《春》(1868-73)は
通り雨がやみかけて太陽が現れた瞬間を捉えて、
遠くに虹のかかる明るい場所と
まだ雲のかかる暗い場所が同じ画面の中ではっきり分かれる不思議な風景です。
現実を離れた光の表現
現実の光の印象に飽き足らず、さらなる表現を追求したのが
ポスト印象派以降の画家たちです。
エドゥアール・ヴュイヤールの《公園》(1894)では
風景や人物がマットな絵の具の平面を組み合わせたような描き方で装飾的に表現され、
地面で反射する太陽の光も水色やピンクの点描で描かれています。
ヴュイヤールたちナビ派が心酔していたゴーガンは
タヒチの太陽に照らされる大地とそこに暮らす人や動物を描きました。
現実と夢が混在する《アレアレア》(1892)では、
女性の白い衣装に落ちる黄色い光と青い影、濃い色で塗り分けられた水面など、
強烈な光の印象が伝わってきます。
オルセー美術館の建築 ― オルセー駅について
オルセー美術館のもとになったオルセー駅の旧駅舎は、
1900年のパリ万博の来場者のために
オルレアン鉄道(現在はフランス国鉄)のパリ側の始発駅として増築されましたが、
その後急速に進んだ鉄道の進化について行けず
新しい車両に対してホームの長さが足りなくなったため、1939年に廃駅となりました。
(地下のホームは近郊列車用の地下鉄として現在も使われているそうです)
駅舎はその後、第2次世界大戦中にドイツ軍の司令部が置かれ、
戦後は捕虜受付センターに、
1958年にはシャルル・ド=ゴールが政権復帰宣言を行い、
またオーソン・ウェルズ監督の映画『審判』(1962)の舞台に使われるなど
さまざまな目的に転用されましたが、
1970年に建て替えための解体許可が下ります。
跡地には新しいホテルが立つ予定でした。
ところが、この時代はパリ全体で歴史的建造物の保存への関心が高まっていました。
1973年、オルセー駅舎は歴史的建造物文化財の候補リストに入り、解体は取りやめに。
同年にフランス博物館局が、駅舎を改装して
19世紀の美術をまとめて収蔵する新しい美術館を作ることを提案し、
ポンピドゥー大統領もこれを承認します。
(1978年に駅舎全体が文化財として正式に登録)
駅舎の建築を最大限生かしたユニークな美術館は1986年12月に開館。
2009年から2011年の大リニューアルを経て、
「人々が美術と出会うプラットフォーム」として現在まで活躍しています。