日曜美術館「妖しく、斬新に、そして自由に 大正画壇の異才・甲斐荘楠音」(2023.7.30)

日曜美術館は、26年ぶりになる甲斐荘楠音回顧展(東京ステーションギャラリー)の会場へ。
舞台への興味から始まった楠音の作品は、「演じる」「成り切る」という言葉では足りないほど、画中の人物と作者が一体化しています。
日曜美術館では、美術家の森村泰昌さんが《島原の女》になりきるセルフポートレイト制作の様子も紹介されました。

2023年7月30日の日曜美術館
「妖しく、斬新に、そして自由に 大正画壇の異才・甲斐荘楠音」

放送日時 7月30日(日) 午前9時~9時45分
再放送  8月6日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

「肌香(はだか)」スケッチに残された画家の言葉。大正時代の京都画壇に現れ、独特の妖しい女性像で話題を集めた甲斐荘楠音(かいのしょう・ただおと)。幼いころから歌舞伎に憧れ、女性の心をつかもうと自ら女形に扮して、それまでにない女性像を描き出した。伝統の中に革新を求め、西洋画の要素も大胆に取り込み、映画衣装の世界にも華麗に転身。あらゆる領域を自由に飛び越えながら、懸命に新しい美を探し求めた画家の物語。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
森村泰昌 (美術家)
梶岡修一 (京都国立近代美術館主任研究員)

出演
星野桂三 (星野画廊代表)
岩逧保 (元東映京都撮影所衣装部)
北大路欣也 (俳優)


甲斐荘楠音の絵

大正から昭和初期にかけて活躍した画家・甲斐荘楠音(1894-1978/かいのしょうただおと)。
東京ステーションギャラリーで開催中の展覧会では、まず革新的な日本画で伝統を超える独自の美を追求した日本画家としての楠音に注目します。

絵を描くきっかけは「歌舞伎」

甲斐荘楠音は、京都にある名家の3男に生まれました。
生家は楠木正成の末裔ともいわれる旗本の家柄だったそうです。

楠音が絵を描くきっかけになったのは、小さい頃から大好きだった南座の歌舞伎でした。
特に女性の役を演ずる女形の役者に「あんな年配の男がどうしてあんなに美しくなるのか」と感銘を受けたと言います。
楠音はお芝居の一場面を描いたスケッチや舞台写真のスクラップを数多く残しています。

京都市立絵画専門学校在学中に制作した《横櫛》(1916)も、歌舞伎の「切られお富」こと「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」がテーマ。
陰影を効かせた生々しい表現やこちらをまっすぐに見つめて口元のみで微笑む表情は、楠音が影響を受けたダヴィンチの《モナ・リザ》の面影があります。

《横櫛》は楠音の兄嫁がモデルと言われていますが、楠音は自ら女性に扮して「役作り」をすることもあったそうです。

楠音の女性像は女性になりきることでその内面まで再現した自画像でもあると、京都国立近代美術館の梶岡秀一さんは指摘しています。


肉体描写へのこだわり

やはりダヴィンチなどルネサンス美術の影響なのでしょうか。
楠音は、肉体の生々しい描写にかなり力を入れています。
当時としては珍しく、ヌードモデルを雇って人体描写を研究したこともあり、40年前から楠音に注目しているという星野桂三さんのもとにはヌードのスケッチが数多く集まっています。

楠音の作品といえば、肌のしわや肉の盛り上がりを大袈裟なまでに描いた女性像を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
その典型のような《春宵(花びら)》(1921頃)は、非常にどっしりした肉体の遊女が盃に入った花びらをつまみ上げようとする様子を描いたもの。
同じような衣装を着た楠音の写真と比べても、だいぶ誇張されていることが分かります。
森村泰昌さんはその過剰な人体表現をドラッグクイーンにたとえ「暴走」と表現しました。

この路線が時の京都画壇で重要な地位にいた土田麦僊(1887-1936)に「穢い絵」と言われ、1926年には楠音の《女と風船》(写真のみ現存)が展覧会への出品を拒否されてしまいました。
(麦僊は理想化された端正な美人画が好みだったそうです)
ショックを受けた楠音ですが、やがて「穢いが生きていろ」という境地にたどり着きます。

二曲一隻の屛風に華やかな着物を着て優雅に横たわる女性をメインに据えて装飾紋様をあしらった(絨毯の模様のようにも見えます)《春》(1929)はどちらかと言えば「綺麗」な作品かもしれませんが、やはり体つきのボリューム感や手足のしっかりした様子に楠音のこだわりを感じます。
女性の顔立ちは楠音に似ていて、これもまた変身した自画像かもしれないとのことです。


《島原の女(京の女)》と森村泰昌《甲斐庄幻想》

名画の登場人物や歴史上の人物になりきったセルフポートレイトを発表している森村泰昌さんが、楠音の作品をオマージュした作品制作に挑みました。

楠音自身かもしれない作品の中から選ばれたのは、京都の遊女をバストアップで描いた《島原の女(京の女)》です。
制作時間は10時間以上。
衣装や化粧はもちろん、照明の加減にも注意を払って、作品の「ゆらぎ」を再現し《甲斐庄幻想》が完成しました。

森村さんによれば、この作品に似せられるかどうかはぼやけた部分・はっきりしない部分をどこまで本物に寄せられるかにかかっているそうです。
楠音の作品自体どこか古い写真を思わせる雰囲気を持っていますから、森村さんの写真作品とは相性が良いのかもしれません。


甲斐荘楠音の1940年代以降

甲斐荘楠音は一度画壇から遠ざかり、30年ほど映画の世界で活躍をしていました。
今回の展覧会では、これまであまり注目されなかった映画美術家としての楠音にも光を当てています。

映画界への転身

1940年ごろ、楠音は映画監督の溝口健二(1898-1956)と出会い、その縁で映画の風俗考証や衣装デザインを手がけるようになりました。
71歳で映画界を去るまで、様々な衣装を手掛けています。

松田定次監督・市川右太衛門主演の「旗本退屈男」ではシーンごとの雰囲気に合わせた衣装を使い分け、その衣装を目当てに芸妓さんたちが映画館にやってくれるほどの評判に。
東京ステーションギャラリーには、クライマックスの大立ち回りで使われた派手で斬新な衣装がたくさん展示されていました。

右太衛門の息子で自分でも退屈男を演じた北大路欣也さんによると、いきなり派手な物を着せられると役者が衣装に負けてしまうので、最初はおとなしい柄の衣装から入るなどの工夫が必要なんだとか。
そんなエピソードも納得の、存在感のある衣装でした。


未完の大作《畜生塚》

《畜生塚》(1915頃)は楠音が20歳の頃に描き始めた作品です。
ところが未完成のまま数十年がたち、楠音の晩年に開催された回顧展まで日の目を見ることはありませんでした。

四曲一双の屏風には、豊臣秀吉が甥の秀次を自害させた際に妻妾と子どもたちを処刑した歴史上の出来事が象徴的に描かれています。
21人の裸の女性たちは何も語りませんが、それぞれの表情とポーズは悲しみ・苦しみ・諦めなどを表しているかのよう。
深い陰影のある生々しい裸体の群像は、やはりダヴィンチやミケランジェロの影響を感じさせます。
楠音は自分も絵の前でポーズをとりながら、処刑される女性たちになりきって制作を進めたそうです。

「どう見てもこれは、屏風の形をしているけど西洋画」と語る森村さんは、中央で気を失った若い女性とそれを支える年配の女性の姿にイエスキリストと聖母マリア、そして楠音とその母親を重ね合わせ、絵の中に凝縮された楠音の人生そのものを見ています。


甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性(東京ステーションギャラリー)

東京都千代田区丸の内1-9-1

2023年7月1日(土)~8月27日(日)

10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで
※金曜日は20:00まで開館

月曜休館(8月14日・21日は開館)

一般 1,400円
高校・大学生 1,200円
中学生以下 無料
※障がい者手帳等の提示で入館料から100円引き(介添者1名は無料)

公式ホームページ