「光」をキーワードにオルセー美術館をめぐる前後編。
後篇の「月の肌触り」では、閉館後の夜の美術館にお邪魔して
19世紀の画家たちが描いた「夜」の作品を鑑賞します。
今回は小林聡美さんがプランソワ・ポンポンの彫刻
《ワシミミズク》(1927-30)と《白熊》(1923-33)に成り代わって、
夜のイメージが大きく変化した時代と、その中で生まれた美術品を紹介しました。
2022年2月13日の日曜美術館
「オルセー美術館 II 月の肌触り」
放送日時 2月13日(日) 午前9時~9時45分
再放送 2月20日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
音楽 中島ノブユキ
声 小林聡美
語り イッセー尾形
オルセー美術館には、印象派をはじめ、19世紀中盤から20世紀初頭にかけて新しい芸術の扉を開いた作品たちが所蔵されている。パリの街や暮らしが大きく変わった時代。特にこの時代、「夜」のとらえかたは格段に豊かになった。マネが魅せられた夜の女、ゴッホが独特のタッチで描いた街灯の光、ドガがとらえたカフェの情景。「月」に導かれて、閉館後の誰もいない館内をめぐり、豊穣な闇の表現を堪能する。(日曜美術館ホームページより)
オルセー美術館とエドゥアール・マネの《オランピア》(1863)
前篇に引きつづき、マネの代表作がトップを飾ります。
「オランピア」という源氏名の娼婦を描いたこの作品、
同時期に描かれた《草上の昼食》と同様、
現実の女、しかも「娼婦を描くとはもってのほか」と非難されました。
勢いのある筆跡がのこる、陰影のないのっぺりした女性の体も
当時の人の目には醜く映ったようです。
当時のヌードの王道と言えば、同じくオルセー美術館が所蔵する
アレクサンドル・カバネルの《ヴィーナスの誕生》(1963)のように
神話・伝説の存在を理想的なプロポーションで表現するものでした。
女体というより「物質」感のある《オリンピア》と比べて《ヴィーナスの誕生》は
ポーズと言い表情と言い…圧倒的になまめかしい気がするのですが、
女神だから問題なし、というのが当時の常識だったようです。
サロンでの評判は散々だった《オランピア》ですが、
一方で若い芸術家たちのミューズになりました。
マネの死後、買い手がつかず国外に流出しそうになった《オランピア》を
モネをはじめとする画家仲間が共同で購入して、
1890年に国家に寄贈したエピソードは有名です。
《オランピア》が収められたリュクサンブール美術館(当時の近代美術館)には
マネの後輩にあたる印象派の作品が集まるようになりました。
印象派のコレクションは1929年にルーヴル美術館に移され、
1947年にチュイルリー公園の一角にオープンしたルーヴルの分館
「ジュ・ド・ポーム美術館」に展示されるようになります。
この美術館は室内球技場だった建物を改装した小さな美術館で
じきに増加する入場者に対応しきれなくなったことから、
より大きな美術館が必要となり、
印象派をはじめとする19世紀の美術を収納する
オルセー美術館の誕生につながりました。
光の革命と夜の芸術
19世紀は美術の革命の時代であると同時に、光の革命の時代でもあります。
スコットランドの技術者ウィリアム・マードック(1754-1839)が
ガス灯を発明したのは1792年頃でした。
1860年代になるとパリにもガス灯が普及し、
それまでオイルランプやロウソクに照らされていた夜の風景が一変します。
さらに都市計画(パリ改造)で大きく様変わりしたパリの町には、
カフェや劇場など夜を楽しむ施設がつくられるようになりました。
画家たちは人々が集まって楽しむ様子を描き、当時の情景を現在まで伝えています。
新しい「夜」の世界
ヴィンセント・ファン・ゴッホが
独特の力強いタッチで描いた《星降る夜》(1888)は南仏アルルの夜景。
空には線香花火のような星が散らばり、
シルエットになった対岸の街を照らす街灯の光が
川に映って黄色い帯になっています。
寄り添って川辺を歩くカップルも、
夜が明るくなった恩恵を享受する人たちと言えるでしょう。
フランスが誇るオペラ・バレエの聖地であるオペラ座は、
1875年に現在の姿になったそうです。
エドガー・ドガの《ダンス教室》(1873-76)が描かれたのは
ちょうどこの時期でした。
レッスンに打ち込む娘がいるかと思えば、ちょっと気を抜いて背中を掻く娘もいて、
稽古場の日常的な一場面をリアルに描写しているようです。
そのオペラ座の正面を100年ばかり飾っていた石像が、
ジャン=バティスト・カルポーの《ダンス》(1865-69)。
神話がテーマなので(?)輪になって踊る人物は全員裸ですが、
口をあけて笑う表情は古典的なスタンダードを外れた生々しい雰囲気があります。
ジョルジュ・スーラの《サーカス》(1890-91)は
サーカスの軽業師とそれを眺める人びとを舞台の後ろから眺めるような作品。
スーラの遺作となった作品で、実はまだ未完成の状態なんだそうです。
目に移る色を徹底的に分割した点を敷き詰めるようにした「点描法」は、
絵具を混ぜないことで色が濁らず、クリアで明るい表現が可能になります。
この作品が完成していれば、
もっとリアルな光に近い鮮やかな場面になったのでしょうか。
エドガー・ドガ《カフェにて》(1875-76)は、
夜明け(という説が有力)のカフェの退廃的な情景。
横並びに座る男女は互いにそっぽを向いて、
男性は不機嫌そうな無表情、女性は疲れた生気のない顔をしています。
女性の前に置かれた飲み物は19世紀フランスの芸術家たちに愛飲されたアブサン。
主原料のニガヨモギの含まれる成分に幻覚などを引き起こす効果があるとされ、
フランスでは20世紀初頭から70年以上販売禁止になったリキュールです。
(現在は含有量を規制したうえで解禁)
眠りと夢の世界
夜の娯楽が充実したとはいえ、夜は眠る時間だということに変わりはありません。
エドゥアール・ヴュイヤール《ベッドにて》(1891)は
布団にくるまってスヤスヤ眠る人を描いたもので、
気持ちよさそうな雰囲気が伝わってきます。
一部だけ表に出ている顔と
その上にかかっている上半分が見切れた十字架は濃い茶色で、
白いシーツや枕が大部分を占める画面のアクセントになっているようです。
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーの
《灰色と黒のアレンジメント第1番》(1871)も、
人物の顔がポイントになっています。
こちらは白・灰色・黒で構成された室内で椅子に腰かける女性を描いたもの。
(壁にかかっている絵までモノトーンという徹底ぶり)
黒いドレスに白い頭巾をかぶった女性は画家の母親で、
敬虔なキリスト教徒だったとか。
頬と唇に乗せられたピンク色が
きりっとした横顔に優し気な雰囲気を添えています。
多くの画家が現実の人々の姿を描く中、
神話の世界を描き続けた画家もいました。
そのひとりであるギュスターヴ・モロの《ガラテイア》(1880頃)には
ギリシア神話に登場する海のニンフと、彼女に横恋慕する巨人が登場します。
題材は古典的ですが、それ以上にモローの個性が際だっているようです。
アンリ・ルソーは《蛇使いの女》(1907)で
夜のジャングルでうごめく怪しい生き物たちを描きました。
全身が影になって眼だけが爛々と輝く女性、
彼女の笛に呼び寄せられた大蛇と不思議な動物たち。
ジャングルの植物は葉の一枚一枚まで丁寧に描き込まれているのですが、
すべて実在しない空想の植物なんだそうです。
新たな芸術の夜明け
「オルセー美術館 II 月の肌触り」のトリを飾るのは、
ポール・セザンヌの《リンゴとオレンジ》(1899)です。
夜とも月とも関係ない静物画がここで登場するのは意外な気もしますが、
これこそが新しい夜明けとも言うべき重要な一作なんだそうです。
単純化されてまん丸に描かれた果実、
遠目には白く、近づくとさまざまな色が交じりあっているテーブルクロス、
上から・横からと異なる視点から見える景色の組み合わせなど、
そこに在るものをリアルに描写したり
空想の世界を本当のように描くのとはまた違った、
絵でしか表現できない世界です。
「近代絵画の父」セザンヌの作品はのちに
キュビスムをはじめとする20世紀の芸術家たちに大きな影響をあたえ、
モダン・アートの夜明けを導くことになります。