19世紀から20世紀にかけて活躍したモネとマティス。
活動した時期は重なるものの作風は全く違う2人ですが、
自らの「楽園」を追求したという共通点があるそうです。
2020年9月6日の日曜美術館
「“楽園” を求めて〜モネとマティス 知られざる横顔〜」
放送日時 9月 6日(日) 午前9時~9時45分
再放送 9月13日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
印象派の巨匠モネと色彩の魔術師マティス。作風が対照的な二人だが、ともに後半生、人工の「楽園」を作り、その中に籠って絵を描き続けた。時代は近代化による社会の転換期。人々は相次ぐ戦争やスペイン風邪などの疫病にさいなまれ、「ここではないどこか」にあるものを求め続けた。二人はなぜ「楽園」にこもったのか?そこで描く作品に何を託そうとしたのか?二人の巨匠の人と作品を新たな視点から読み直し、知られざる横顔に迫る(日曜美術館ホームページより)
ゲスト
工藤弘二 (ポーラ美術館学芸員)
出演
木島 俊介 (ポーラ美術館館長)
近藤 萌絵 (ポーラ美術館学芸員)
三 浦 篤 (東京大学教授)
六人部昭典 (実践女子大学教授)
天野 知香 (お茶の水女子大学教授)
箱根のポーラ美術館で開催中の「モネとマティス もうひとつの楽園」で
展示中のものをはじめとする彼らの作品とともに、
社会の変化とともに芸術家の在りも大きく揺らいだ時代のなかで
自らの芸術を築いたモネとマティスの人生をたどります。
ポーラ美術館の木島館長によれば、この2人の共通点は
好きな環境を自分で作り、それを絵に描いたことなんだとか。
クロード・モネ(1840-1926)
モネが「印象主義」として知られるようになったのは、1872年4月の
「画家、彫刻家、版画家などの美術家による共同出資会社第1回展(第一回印象派展)」
で発表された《印象 日の出》(1872)がきっかけでした。
(印象派という名前もこの作品に由来するそうです)
光の効果を強調した印象派の手法でパリの風景を描いたモネは
40代半ばでパリを離れ、セーヌ川沿いに拠点を移して行きます。
終の棲家となったジヴェルニーに引っ越したのは1883のことでした。
モネは自宅のまわりに、様々な季節の花を植えた「花の庭」と、
睡蓮を浮かべた大きな池を中心に
太鼓橋・柳・藤棚などを配置した「水の庭」をつくりました。
特に睡蓮にはこだわりがあったようで、
様々な品種の睡蓮が動かないよう庭師に指示していたそうです。
季節・時間を変えて同じ風景を描いたモネの作品はこうして作られたのですが、
庭師の人は大変だったことでしょう。
1899年には代表作《睡蓮》シリーズの制作が始まります。
アンリ・マティス(1869-1954)
30代で鮮やかな原色や激しいタッチの「フォーヴィスム」を確立したマティスは、
40代で南フランスのニースにホテルを借り、そこでアトリエを構えました。
アフリカや中東の布でアトリエを飾り、
その中でポーズをとるモデルにも時には自作の衣装を着せたそうです。
マティスが「仕事の図書館」と呼び、
インスピレーションの源にしたエキゾチックなテキスタイルは、
ひとつには異国情緒を表現するものであり、
また布の重なりあいを取り入れることで
「現実より深く広い空間」ものでもあったそうです。
アトリエの中に自分の理想とする空間をつくり
それをさらに絵にすることで「楽園」を作りあげたマティスは
癌を患って体力がなくなった晩年、
サーカスの光景や神話の一場面を描いた《ジャズ》(1947)のシリーズのように
絵筆の代わりにはさみを使った切り絵を制作します。
また最晩年には1947年から51年にかけて、戦果で破壊された
聖ドミニコ修道会のロザリオ礼拝堂の再建を引き受け、
内部装飾まですべて手掛けた美しい空間を作りだしました。
楽園をもとめた時代
モネやマティスが生きていた19世紀末から20世紀は、
産業革命を経てブルジョア階級が台頭し、
人間の価値観にも大きな変化が起きた時代です。
王侯貴族に代わって資本家が社会の担い手になったことで
美術も従来の宗教や理念を形にしてあらわすものではなく、
ただ美しく慰安となるものが求められるようになりました。
更に普仏戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦の勃発、
また第一次世界大戦中のスペインかぜ(インフルエンザによるパンデミック)など
悪いことが重なり、モネもマティスも戦争や病気で親しい相手を亡くしています。
詩人のシャルル・ボードレール(1821-1867)が詩集『パリの憂鬱』(1869)で
「どこへでもいい ここではないどこかへ」
と歌ったこの時代に、モネとマティスは庭園やアトリエの中に
現実を離れた自らの楽園を想像し、人々を惹きつける名作を残しました。
モネは、オランジュリー美術館が所蔵する《睡蓮》の連作(1915-1926)について
この部屋を訪れる人々に花咲く水槽に囲まれて
穏やかにめい想する安らぎの場を提供できるだろう
と語り、
マティスは自分が目指すのは
実業家にとっての精神安定剤
肉体の疲れを癒やす良い肘掛け椅子のような芸術
だと語ったそうです。
自分たちのために築いた楽園をそこで完結することなく
他の人々に対して開いた彼らの作品は、
暗い時代などなかったかのように
見る人々に心地よさを与えてくれます。
「モネとマティス もうひとつの楽園」ポーラ美術館
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原 小塚山 1285
2020年6月1日(月)~11月3日(火・祝)
年中無休(臨時休館あり)
9時~17時
※入場は閉館の30分前まで
一般 1,800円(1,500円)
65歳以上 1,600円(1,500円)
大学・高校生 1,300円(1,100円)
中学・小学生 無料
※( )内は15名以上の団体料金