100年に1度の再開発がおこなわれている渋谷駅から。
プロジェクトを率いる建築家・内藤廣(1950-)さんと司会のお2人が探索します。
内藤さんの代表作もあわせて紹介されました。
2023年10月22日の日曜美術館
「建築家・内藤廣 渋谷駅・世界一複雑な都市開発を率いる男 」
放送日時 10月22日(日) 午前9時~9時45分
再放送 10月29日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
乗降客数250万人の足を止めることなく進む東京・渋谷駅再開発計画の中心にいる建築家・内藤廣さん。「海の博物館」「牧野富太郎記念館」など周囲の環境と響きあう名作で知られる内藤さんにとって、渋谷駅開発も精神は同じ。「人間が中心にいること」だという。島根県芸術文化センターで開催中の個展で内藤さんの成功失敗含めた仕事をふかんするとともに、日々変わる渋谷駅の現場を内藤さんと歩き、建築や街にかける信条を聞く。(日曜美術館ホームページより)
ゲスト
内藤廣 (建築家)
出演
妹島和世 (建築家)
大西賢治 (渋谷道玄坂商店街振興組合理事長)
小林幹育 (宮益町会相談役)
岸井隆幸 (一般財団法人計量計画研究所代表理事)
三澤遥 (デザイナー)
鴻上泰 (牧野植物園研究調査員)
内藤廣と渋谷の再開発
100年に1度の再開発現場から
2023年10月22日の日曜美術館は、2020年に開業した東京メトロ銀座線ホームの真上からスタートしました。
将来的には人が行き来する通路になる場所ですが、現在は工事中のため出演者もヘルメット着用です。
構内の広さを確保しつつ上を歩いても安全な強度を支えるM字型の骨組みは、駅構内から見ることができます。
内藤さんによると、今後JR渋谷駅の上も広場になる予定なんだとか。
完成すれば、ハチ公広場や宮益坂下を見おろす絶景ポイントになります。
ちなみに渋谷駅の再開発はまだ道半ば。
駅の完成予想模型には「※現時点のイメージ」と付け足しがあり、最終的な完成図はまだ分からないようです。
再開発プロジェクト全体の中で最も早く公の空間に登場したのは、2012年の「渋谷駅街区東口2階デッキ」です。
最初に世に出るからには最高の物を、と内藤さん自ら手がけた連絡橋は、下を通る車の高さを制限しないために天井から伸びる柱に吊るされた吊り橋型の構造になりました。
2024年1月21日の日曜美術館では、1952年から70年にかけておこなわれた渋谷計画を手掛けた建築家・坂倉準三が取り上げられました。
都市開発と建築家
「都市の開発に建築家が入る意味は?」という質問に内藤さんは、人の暮らしに直接関わる建築家が入ることで、都市はより人に近いものになると答えます。
リアルな物・人の気持ち・行政の仕組みのすべてを「ある程度知っている」建築家は、3者の繋ぎとして間に入ることができるのです。
渋谷の新しいまちづくりを検討する会議には、行政・企業の関係者の他に地元の人々も出席しますが、専門家の会議の中でも素人が発言しやすい空気があるそうです。
宮益町会の小林幹育さんは、場所の風土を熟知した「渋谷のプロ」として、内藤さんから忌憚のない意見を求められたと話していました。
内藤さんは渋谷の雑多さを大きな魅力として積極的に残す方針をとっていますが、これも色々な意見を取り入れた結果なのかも知れません。
渋谷道玄坂商店街振興組合の大西賢治さんは、曲がった坂をはじめとする渋谷の「ゴチャッとした」魅力について語っています。
計量計画研究所の岸井隆幸さんも、国際ビジネスセンター的な東京駅に対して、渋谷は暮らし・文化の担当として日本を動かしていく役割を期待しています。
内藤廣の代表作
「島根県芸術文化センター グラントワ」2005
内藤さんの代表作のひとつである「グラントワ」(「大きな屋根」の意味)は、美術館・演芸ホール・図書館・スタジオなどを内包する巨大文化複合施設です。
特徴は屋根と壁一面を覆う赤い石州瓦(高温で焼いた丈夫な瓦。古くから島根県西部で生産されている)。
この瓦は見た目が綺麗なだけではなく、グラントワの方向性を定める重要なパーツです。
内藤さんは最初、当時の県知事が出した要望が人口5万人の街に建てる施設としては大きすぎると考えて「規模をもっと小さくしませんか?」と提案したそうです。
それに対して知事は「文化の砦に必要な規模なんです」と頭を下げました。
(たとえばホールなら、1500席ないと一流のアーティストが来てくれないそうです)
納得した内藤さんは知事の希望を叶えるべく、長い時間に耐えかつローコストな建物を目指します。
そして建材に選ばれたのが、100年たっても再利用できる石州瓦でした。
石州瓦の良い所は耐久性だけではありません。
グラントワのオープニングの日、内藤さんが設計者であることを知らずに「(この建物が)前からあったような気がする」と語った人がいました。
建築家の妹島和世さんは美術館にたどり着く道中、目に入る街並みの中に同じ赤を見たこと、他より大きな建物が浮くことなく周囲と繋がっていると感じたことを語っています。
地元の人々から愛される場所となったグラントワ内の「島根県立石見美術館」では、内藤さんの展覧会が開催中です。
「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」(島根県立石見美術館)
未完成作も含めた手作り模型82点、構想スケッチ、内藤廣さん自身による10万字におよぶ解説など、充実した内容で内藤さんの活動を伝える、過去最大規模の展覧会。
島根県益田市有明町5−15
2023年9月16日(土)~12月4日(月)
9時30分~18時 ※入場は閉館の30分前まで
火曜休館
一般 1,200円
大学生 600円
小学生・中学生・高校生 300円
※障害者手帳・被爆者健康手帳の提示で本人及び介助者1名まで無料
「鳥羽市立海の博物館」(1992)と「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」(2019-2021)
神奈川県横浜市に生まれ早稲田大学で建築を学んだ内藤さんは、スペインで修業した後に日本で経験を積み、1981年に独立して事務所を構えました。
最初の代表作になった「鳥羽市立海の博物館」は、自分の作りたいものが見えてきた時期の作品なんだとか。
漁村文化の資料を展示する建物は、柱のない木造建築。
中心に密度のある梁を通して屋根の重量を支えるキール(竜骨の意味)の構造を取り入れることで、広く自由な展示空間を実現しました。
海の博物館の収蔵庫は、博物館の学芸員が江戸時代くらいまでに津波が遡上してきた高さを調べ、それよりも高い場所に設置することを要求されたそうです。
内藤さんがこの重要さを知ったのは、2011年3月11日の東日本大震災の時でした。
内藤さんは2011年に教授を務めていた東京大学を退官しています。
地震の発生は最終講義の直前でした。
当時分かった死者・行方不明者の数をノートに点で記録し、被災地にも230回通ったという内藤さん。
高田松原津波復興祈念公園と追悼・祈年施設の仕事を引き受けることになったのは「半分運命ですね」といいます。
広大な公園施設のうち、内藤さんが最も重要と考えているのは、防潮堤の上にある「海を望む場」です。
津波の被害を受けた中には、まだ海の近くに行くことができない・思い出したくないと語る人たちがいます。
そんな人たちが、小さいながら広田湾がとてもきれいに見えるこのスペースで海を眺めて思いをはせる日が来ることを、内藤さんは願っています。
牧野富太郎記念館(1999)
牧野富太郎記念館は、高知県の五台山頂上付近に広がる高知県立牧野植物園の中にあります。
高知の植生を再現したアプローチは曲がりくねった小道のようで、林のようなエリアを抜けると目の前が開けて建物が現れる仕組み。
県の職員として記念館建設の計画にかかわった鴻上泰さんによると、ここが植物園として最も力が入った部分なんだそうです。
内藤さんが設計した建物は、地元の木材を使った2階建てです。
山の斜面に伏せるような形で入口の天井は低く、中に入ると曲線的で広々とした空間が。
建物の窓は中央の中庭に向いています。
この構造は台風の直撃に耐えるためであり、神聖な山である五台山の景観を壊さない配慮であり、中から働いている人や行き来する人の姿が見えるようにする内藤さんのこだわりでもあります。
人の行き来が見える要素は渋谷のアーバンコア(メトロやJRと繋がるポイント。街の側から人が通る様子が見える)にも取り入れられました。
内藤さんによると五台山と渋谷には、色々なものがエネルギッシュに共存するという共通点があるそうです。
一方は植物、もう一方は人という違いはありますが…もしや意識して似た要素を取り入れたのでしょうか?
内藤廣に聞いてみたいこと
牧野富太郎記念館を訪れたデザイナーの三澤遥さんは、 開館当初と比べると植生がより豊かになった植物園を見て、この施設が「完成」するのはいつなのか、疑問を感じたようです。
確かに植物はこれからも成長・変化していきますし、そうなれば植物園と一体化している記念館の建物もだいぶ違って見えることでしょう。
内藤さんはこの質問に対して「難しい質問ですよね」と前置きした上で、完成形は無いと明言しました。
内藤さんの場合、はっきりしたゴールを目指すよりも「川の流れに舟を浮かべるような気分」で、次の世代に伝わっていくものを残すという意識があるそうです。
周囲の風土と共に存在し変化していく建物に完成は存在しないのでしょうか。
あるいは、常に完成し続けているのかもしれません。