日曜美術館 選「ウクライナ 子供たちの1000枚の絵 〜北海道・巨大じゃがいもアート館〜」(2022.8.14)

世界中の子どものアート作品を収集する
「巨大じゃがいもアート館」(北海道・芽室町)で
毎年夏だけおこなわれる展覧会を訪れた小野さん。
最初に目に入ったのは、壁や天井を埋め尽くす子どもたちの絵でした。
今年の展示は、ウクライナの子どもたちの絵1000点あまりを中心に、
150か国から集まった絵・工作など2万点が集合しています。

8月7日は高校野球の関係で番組の移動が激しく、
7月31日「水木しげるの妖怪画」の再放送は14日の午前0時30分。
「ウクライナ 子供たちの1000枚の絵」の初回は20時スタートとなりました。
再放送は21日の午前9時です。

2022年8月14日の日曜美術館
選「ウクライナ 子供たちの1000枚の絵 〜北海道・巨大じゃがいもアート館〜」

放送日時 8月14日(日) 午後8時~8時45分
再放送  8月21日(日) 午前9時~9時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ウクライナの子供たちが描いた1000枚の絵が、北海道・十勝のまか不思議な美術館にある。一体なぜなのか? 十勝出身の美術家、浅野修さんが集めた世界中の子供の絵、150か国、何万枚にもなる宝物だ。子供の絵を見れば、お国柄や景色、家族、祭りや習慣までわかる。いまウクライナの子供の絵は何を映し出すのか? 戦争と平和、そして食糧や家族。子供たちの今を取材し、戦火の中の子供の絵が語りかけてくる真実に向き合う。(日曜美術館ホームページより)

出演
小野正嗣 (作家、早稲田大学教授)
浅野修 (現代美術家・NPO十勝めむろ赤レンガ倉庫代表)
オリガ・ホメンコ (作家・フリージャーナリスト)
セルギーイ・グリチャノック (美術教師)
エフゲーニヤ・リトビネンコ (学生(8歳))
ゲオルギーイ・バスダンジニャン (学生(11歳))
デニス・ゴジエフ (学生(16歳))
NPO十勝めむろ赤レンガ倉庫のボランティアの皆さん
更別村どんぐり保育園の園児たち


浅野修さんの平和への思い

100年以上前に建てられた農産物の倉庫を美術館にリフォームしたのは
帯広出身の現代美術家・浅野修さん。
十勝の人たちの賛同を得て、10年以上かけて作りあげたんだそうです。

なぜ「じゃがいも」なのか

美術館の奥には、
木材(畑の防風林だった廃材)を組み合わせて作った巨大なオブジェが。
三角形が連なる籠のようなオブジェは上から見るとじゃがいもの形をしており、
しかも細長いメークインや丸っこい男爵など、それぞれの特徴があります。
「巨大じゃがいもアート館」の由来ですが、
浅野さんには「じゃがいも」という野菜に特別な思いがありました。

浅野さんのお父さんはサラリーマンで農地を持たず、
太平洋戦争の末期になると家族は食糧不足に苦しむことになりました。
8歳だった浅野さんは、ジャガイモを食べて命をつないだそうです。
世界中でジャガイモを作れば飢えはなくなり争いも起きないと考え、
「食べ物がないと何もできないから」という浅野さんにとって
ジャガイモは平和の象徴なのです。

子どもの絵が映すものとは

「巨大じゃがいもアート館」には、およそ10万点の子どもの絵が保管されています。
この多くは、神奈川県横浜市にある文化施設「あーすぷらざ」で2年に1回開かれる
「カナガワビエンナーレ 国際児童画展」の保管庫から譲り受けたものです。

国際児童画展に集まる絵は2万点。そのうち入選作として全国を巡回するのは520点で、
およそ1万9千480点の絵が「落選作」としてしまい込まれることになります。
2013年に審査員を引き受けた浅野さんは(浅野さんは現在鎌倉在住です)
子どもの絵に巧い・下手で優劣をつけるのは不可能だと思い、
落選作に光を当てることにしました。

浅野さんは「子どものアートは世界中の子どもの状況がよくわかる」といいます。
国ごとの暮らしや文化の違いをストレートに表現する子どもの絵は、
言語を介さずに絵だけで会話できてしまうほど、ありのままを伝えてくるんだとか。

「巨大じゃがいもアート館」(十勝めむろ赤レンガ倉庫)

北海道河西郡芽室町 東3条1丁目6番地

2022年7月16日(土)~9月25日(日)
10時30分~17時

月曜休館 (祝日の場合はその翌日休館)

入場無料

公式サイト


巨大じゃがいもアート館、2022年の目玉は「ウクライナの絵」

2022年、巨大じゃがいもアート館の展覧会は
ウクライナの子どもが描いた1000点の絵が中心。
ともに飾られる作品には、ロシアの子どもが制作したものもあります。
子どもの頃、ソ連軍の樺太(現サハリン)侵攻を目の当たりにしたという浅野さんは
ウクライナ侵攻について「変わらないな」と苦々しく語る一方で、
それでも「子どもに罪は全くない」とも言っています。

国立芸術学校133番(ハルキウ)

ロシア軍による激しい攻撃にさらされた、ウクライナ第2の都市ハルキウ。
この街には6歳から17歳の生徒たちが学んでいた「国立芸術学校133番」がありました。
現在学校は侵攻による傷痕もそのままの状態で閉鎖が続いています。

この学校で美術を教えていたセルギーイ・グリチャノックさんは、
現在高齢のお父さんと一緒に西部のリビウにある聖ヨーシプ修道院に避難しています。
奥さんはお母さんとハルキウに残り、
家族が分断された状態にあるセルギーイさんですが、
そんな状況でも(だからこそ?)避難している生徒に絵を教え続けています。

浅野さんを、子どもの絵を「芸術における傑作」と認める
「真の友人」だというセルギーイさんは、
この展覧会のために、戦争が始まってから描かれた子供の絵を
画像データで送ってくれました。

子どもらしい正直な気持ちで目の前の戦争を捉えた絵は、
見る者を圧倒するほど生々しくショッキングなものもあり、
絵を額に入れて飾るボランティアの方々も時に言葉をなくすほどでした。


子どもたちへのインタビュー

日曜美術館では、絵を送ってくれた芸術学校の生徒たちに
オンラインでインタビューをおこなっています。
インタビュアーは、ウクライナの作家で日本で暮らした経験もある
オリガ・ホメンコさん。
オリガさんは『ウクライナから愛をこめて』(群像社,2014)、
『国境を越えたウクライナ人』(群像社,2022)といった
日本語の著作を発表しているほか、昨年から日本語のTwitterも利用しています。

エフゲーニヤ・リトビネシコさん(8歳)

エフゲーニヤ(愛称ジーニャ)さんは、ハルキウの郊外に避難中。
生徒の中でハルキウに残ったのはジーニャさんだけで、
友達がいないのがつまらないと言います。
一人で過ごす時間の中で描かれた作品のうち今回日本に送られたのは、
金属の骨を持ち1000年生きることができる「未来の人間」でした。

ボランティアの方々に「一番ショックな絵かもしれない」と言われたこの絵は、
赤・黒・青の線で描かれたシンプルな人物です。
腕や足が一部欠けてしまって、壊れた人形か遺体のように見えますが、
未来の人間はパーツが交換可能な設定なので、
手足を交換すればきっと元気になるのだと思います。
(もしかすると未来の人間自身は痛みを感じていないのかもしれません)

オリガさんは、
どんな攻撃を受けても死なず、パーツを交換すれば復活できる「未来の人間」は、
人間の命が奪われていく現実への対抗手段であると分析しています。
ただの絵ではなく、自分では変えることのできない大きなものとの戦いなのです。

巨大じゃがいもアート館には、
2年前のジーニャさんの絵も所蔵されていました。
場所は市場でしょうか。
たくさんの果物や野菜が並ぶ台を前に元気よくお客を呼び込む売り子の女性を
きれいな色をふんだんに使って描いた絵は、
平和な日常そのものの明るく活気のある世界です。


ゲオルギーイ・バスダンジニャンさん(11歳)

ドイツ西部に避難したゲオルギーイさんは、現地の学校に通い始めました。
まだ言葉がわからず友人はいないそうです。
「前はとても(ウクライナに)帰りたかったけど今はそうでもありません」
と語る口調はしっかりしていますが、
オリガさんは口では平気そうでも絵を見ると伝わるものがあると言います。

ゲオルギーイさんが送ってくれた作品は、
赤・黒・黄などの強い色を使って戦火の街を描いたもの。
空襲で赤く染まる空の下、めちゃくちゃになった街と
なすすべもなく混乱する人々の姿が画面を埋め尽くしています。

4年前のゲオルギーイさんの絵は「僕の好きな街」というタイトルで
美しい色に満ちた街並みや木々、堂々とした白い聖堂を描いていました。
たったの4年で、世界は大きく変わり、ゲオルギーイさんの日常も変わってしまいました。

デニス・ゴジエフさん(16歳)

生徒の中には、戦争になってから絵が描けなくなった例もあります。
戦争前にはハルキウの古い建物をよく描いていたデニスさんは、
アゼルバイジャンの親戚の家に避難している時に
お母さんとその友人が爆撃に巻き込まれたことで絵が描けなくなりました。
(お母さんはひどい怪我を負い、友人は命を失ったそうです)

毎日どうしたらいいか悩んでいるというデニスさんに
オリガさんがすすめたのは、やはり絵を描くことです。
表現しないということは「あなたは持っているものを全部隠している」
「タンスにしまった宝物と一緒」「勇気をもってどんどん人に見せるべきですよ」
というオリガさんの言葉がどう影響したのかもしれません。
翌日お母さんから「デニスがスケッチをしていた」という報告がありました。

今はたくさんの子どもたちがが重すぎるものを背負っている状態ですが、
出したいものを全部出し、人と分け合うことで軽くなるとオリガさんは考えています。

戦争の世界を描く意味

ロシアの侵攻によってキーウからヨーロッパに避難したオリガさんもまた、
戦争による重荷を背負わされた人です。
ウクライナはいまだに戦火にさらされていて、
自身の気持ちの整理もついておらず、
ニュースで流れる情報を見ればそのむこうに友人や親戚の存在がある。
そのストレスは大変なものでしょう。

戦争の中で描かれた子供たちの絵を
「全部見るのは非常につらい」「どちらかと言えば心が安らぐような絵を見たい」
というオリガさんですが、
(平和な時代のウクライナの子どもたちが描いた絵を見る姿は本当に楽しそうでした)
「でも絶対これを描く意味があると思う」とも話しています。


平和について考えることから

2022年7月、浅野さんは十勝の更別村にある「どんぐり保育園」を訪れ、
園児たちとウクライナの平和を祈る絵を描きました。
「ウクライナを平和にするために描いてるんだよ」と、意気盛んな園児の皆さん。
しかし浅野さんは、より長い計画を考えているようです。

平和を願って描くイベントに参加した事実は、子供の中に残ります。
まず平和について考え、
平和は伝わっていくもの、そして皆が育てていくものだと気づいてほしい、
そう浅野さんは願っています。