日曜美術館「光悦 愉楽の書」(2024.2.18)

東京国立博物館で開催中の「本阿弥光悦の大宇宙」を小野さんが訪問。
様々な分野に鋭い美意識を発揮した光悦の作品の中でも、専門家をして「書の革命」と言わしめる書(文字)に注目しました。

2024年2月18日の日曜美術館
「光悦 愉楽の書」

放送日時 2月18日(日) 午前9時~9時45分
再放送  2月25日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

琳派の祖として知られる本阿弥光悦(1558-1637)。大胆な造形で、漆芸、陶芸などの分野に名品を残し、江戸時代のマルチアーティストとも称される。その美意識の神髄を、光悦自身の手による「書」から読み解く。俵屋宗達が描いた鶴の群れの上にしたためた流麗な和歌の文字。宗達の躍動感あふれる絵と絶妙に響き合う、光悦の筆の魔術とは。さらに、光悦の篤い信仰心に触れながら、革新的な芸術の源泉に迫る。(日曜美術館ホームページより)

出演
小野正嗣 (作家、早稲田大学教授)
松嶋雅人 (東京国立博物館 学芸企画部長)
根本知 (書家)
名児耶明 (筆の里工房 副館長)
河野元昭 (出光美術館 理事


本阿弥光悦の美意識

本阿弥光悦は刀剣の鑑定・研磨を家業とする本阿弥家の生まれで、自身も優れた目利きの力量を持っていました。
光悦の美意識は刀剣以外の分野でも発揮され、光悦が手掛けたとされる漆芸・陶芸・書などの作品は、多くが国宝・重要文化財に指定されています。

京都の裕福な商工業者(町衆)のネットワークも、光悦の活躍を支えていました。
茶碗・蒔絵・絵画・金工などの専門家が、現世利益を肯定する法華経の信仰と血縁でつながり、京のトレンドを作っていたのでしょう。
そんな中で光悦の独特な感性は磨かれて行きました。

《舟橋蒔絵硯箱》

過去の日曜美術館でも取り上げられている国宝の硯箱。
『後撰和歌集』に収められた源等の歌を絵と字で表した意匠の面白さも去ることながら、大きく盛り上がった蓋の形が独特です。
平で良いはずの(収納を考えれば「平であるべき」)硯箱をあえて膨らませた光悦のセンスを見せつけられます。

黒楽茶碗 銘「時雨」

口が当たる部分は薄く底が厚い光悦好みの形。
表面の質感やひび割れにも一種の清々しさ・鋭さがあり、「土の刀剣」とも呼ばれているそうです。
ざらついた表面は見方によって星のように輝き、手の中に宇宙があるように感じられるんだとか。
現代のわたしたちは手に取って使うことはできませんが、展示されている時はいろいろな距離と角度から見てみたいものです。


本阿弥光悦の書

近年の再評価によってマルチな才能を持つアーティスト・デザイナーと見なされている光悦ですが、江戸時代はもっぱら書の名人(能書家)として知られていました。
光悦の親戚でもある灰屋紹益(1610-1691)の随筆『にぎわひ草』にも、光悦は「能書家」と記されています。

光悦は最初、14世紀に青蓮院門跡門主・尊円法親王が作り上げた青蓮院流(御家流とも)の伝統的な書を学び、やがて「私流(わたくしりゅう)」という独自の書を編み出します。
太い線と細い線を使い分け、1字1字を繋げずに独立させて自由に組み合わせることで紙の上に美しいリズムを生み出す光悦の書は、型にはまった従来の書とは全く違った新しい魅力で人々を惹きつけました。

鶴下絵三十六歌仙和歌巻

字は光悦、下絵は俵屋宗達による絵巻。
金銀泥で鶴の群が描かれた上に、光悦の文字が躍動する様は、小野さんに「読めないけど綺麗」と言わせる芸術性があります。

光悦はこの作品に、視線誘導のテクニックを盛り込みました。
下絵の鶴の配置に合わせて細い線と太い線を使い分けることで文字の存在感を調整し、さらに文字を独立させて配置することで、三角形の形を作って見る人の視線を横に動かす「読む」よりも「見る」ことを意識した仕組みになっています。

書状 茶碗や吉左殿宛

2代目楽吉左衛門に、茶碗4個分の赤土・白土を持ってきて欲しいと頼んだ書状を軸装にしたもの。
楽家はロクロを使わずに土を捏ねて整形する楽焼の茶碗を作る家です。
初代長次郎は豊臣秀吉と親しく、養子の吉左衛門を江戸幕府に取りなしたのは光悦だったと言われています。

「四」の字が右に飛び出すなど絶妙のバランスで配置された文字は、かっちりと四角く纏められた書状と違って美的な印象さえ与えます。

「立正安国論」

60代の光悦が、鎌倉時代の僧・日蓮が北条時頼に宛てた意見書を書き写したもの。
唯一の教えである法華経によって社会を導くべし、という内容です。
光悦は55歳の時に病で手にしびれが出るようになり、その手で書かれた書は楷書・草書・行書が入り混じった「肩の力が抜けた」様子。
「一言一句を正確に」という聖典書写の常識を外れて楽しみながら書いたようにも見える書は、光悦が母親の供養として寺に寄進したものだそうです。

光悦ら町衆が信仰した法華宗には現世利益の肯定のほか、現世こそが浄土と考えありのままに励むことが功徳になるという思想があります。
己の美意識に向き合い表現し、後の日本文化に大きな影響を与えた光悦は、法華経の教えを体現したと言えるかもしれません。

光悦は58歳の時、徳川家康から京都の北にある鷹峯の土地を拝領。
一族・職人衆を引き連れて新しい街を造り、書や茶わんづくりに没頭し、この地で没しました。
現在も鷹峯にある光悦寺は元々光悦の屋敷で、光悦ほか本阿弥一族の墓所もここにあります。


特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(東京国立博物館)

東京都台東区上野公園13-9

2024年1月16日(火)~3月10日(日)
9時30分~17時 ※金・土曜日は19時まで
(入場は閉館の30分前まで)

月曜休館

一般 2,100円
大学生 1,300円
高校生 900円
中学生以下 無料
障害者手帳の提示で本人と介護者1名まで無料

公式ホームページ